市長選
私の住む街では、近々に市長選挙がある。
選管のスローガン風に言うと
「この街の未来を託す大切な一票」と言うところなのだろうが
明確な争点が無い選挙は投票する候補選びに非常に困る。
今回は、現職の引退に伴い、新人二人が出ているのだが、いずれも現市長の批判はなく、しかもどちらも政党の支持は受けておらず(片方には連合の支持が付いているが。)政策も殆ど違いが見えず、違いと言えば年齢、一方は私とほぼ同い年、一方は私の親とほぼ同い年といった位なのもので、正直どちらに投票すればいいのか全く見当が付かない。
仕方がないので「公開討論会」というものに行ってみたのだが、まあ討論にならないというのか、意見の対立軸が中々見えてこない。強いて言えば片方は市に出向していた元キャリア官僚で「国のどこに金があるのか熟知している。」という事で、片方は叩き上げの市職員で「身を削り金を捻出する。」というところだろうか。
まあ主催がJCだったのでJC独特の何か緩ーい討論会でどうも要領を得なかったのが痛いところだった。
人口7万3千人のそう大きくも無く、一応人口も増加している市で、阿久根市のような市を2分するような対立が起きるのもどうかと思うが、ここまで対立軸が無い状態で予算を掛けて選挙をするのもどうかなと思ってしまう。片方の候補は、現市長の後継として指名されていて、一部市議が「現市長の院政の始まり。」と危惧しているらしいが、ならばもう少し違いを見せて欲しいものだと思う。
聞けば、わが街は東洋経済の住みよさランキング2010年版で近畿ブロック1位を獲得、全国総合ランキングでも10位となったらしい。
選挙が重要なことは十分承知しているし、対立することがよい事だとは思わないが、選挙をすることが目的にはなって欲しくないものだなと何となく考えてしまうのである。
「小島よしお」と名前が書かれている。
珍しい名前ではないが、どうも別の人を想像してしまい笑えてくる。
当人にしてみれば「そんなの関係ねぇ。」んだろうが・・・。
もう16年も経ったのか
阪神大震災からもう16年にもなるのか。
震災の二日前が成人式だった私が、もう40歳台も視野に入ってきているので
それ位年月が経っていても不思議はないだろう。
前記のとおり、平成7年は私が新成人だった年である。
もともと天邪鬼であり、かつ当時住んでいた地域に馴染んでいなかった私は、当然地元の成人式に出る訳もなく、かつて住んでいて慣れ親しんだ岡山で、恩師や友人と一席設けていた。
岡山に住む前は、神戸市東灘区に住んでいて、岡山に向かう電車の車窓から眺める神戸の町並みを懐かしく眺めていた。特に阪急三宮駅を見て、「ああ、三宮まで来たか。」と思ったのが何故か非常に印象に残っている。今まで見慣れていた阪急三宮駅の特徴的な建物を見るのがこれっきりになるとは夢にも思わなかった。
震災後、神戸に初めて入ったのは、阪神電車が青木駅運転再開し、阪急JRに先駆けて神戸市内入りを果たした後だったと記憶している。青木駅は神戸に住んでいたときの最寄り駅で、知り合いも住んでいるので水とカイロを見舞いとして持っていくためだった。
昔住んでいた文化住宅は当然の様に倒壊していたが、住んでいる人の話だと、幸いな事に死者は出なかったそうだ。その人は当初、家が倒壊している事に全く気付かず、外からの呼び掛けに「玄関の鍵開いてるから入って来て。」と答えたそうだ。すると外から「玄関なんか無いぞ!」と言われて初めてとんでもない状態にあることに気付いたそうだ。
私としては正直震災のことなんて無かったことにしてしまいたい。しかし、今日も阪神大震災の鎮魂の報道を見るにつけ、「どうしてこんなに悲しいんだろう。」と思ってしまう。
そういえば辛坊次郎さんが「関西では1.17に阪神大震災について新聞トップで伝えるが、関東では一面で報道するが記事としては随分端に追いやられていると嘆いていた。
確に、関西ローカルのニュースで阪神大震災慰霊式典の中継にかなりの時間をさいているが、全国ニュースでは随分後の扱いどころか殆ど取り上げていない番組もある
時が経つにつれ、記憶が薄れていくのはどうしようもない現実だろう。ただ今の安全は6343名の犠牲の上に成り立っている事は頭に入れておきたい。
あと数年で震災を知らない新成人が誕生する。今更ながら年月の流れの速さを痛感してしまう。
もっとも、その時私は二度目の成人式を迎えるのだが・・。
雪は降る
あなたは来ない、と言う話ではない。
以前こんな話を聞いた事がある。「地球温暖化とはいうが年間を通した平均気温は殆ど変わっていない、つまり夏が猛暑だと冬は極寒になる」と。
新年を迎えて二週間弱、確に寒い、そして何より雪が酷い。年始の山陰豪雪に比べると屁みたいなものだろうが、それでも10日で積雪三回とは余り経験のないハイピッチな積雪である。
元々雪国育ちではない私は、雪が降るといちびってカメラを持ってイソイソと出かけるのだが、何せ雪国育ちではないのですぐに足を滑らせてしまう。雪道よりもアイスバーンが怖いと思ってしまう。
最近では殆ど車を運転することもないが、前の職場にいた時は、雪道や凍結路でいろんな経験をさせてもらった。 さすがに雪の降る地域なのでスタッドレスタイヤを履いているが、それでも滑る時は滑る。仕事に向かうため朝4時ごろ車を出し、路地から表通りに出ようとして見事にスピンした時は心底焦った。人生において車でスピンを経験したのはこれっきりである。
しかし、天気予報を見ていると結構雪のマークが出ている。
正直そろそろ雪にも飽きてきているのだが・・・。
火祭り
私の住む街の氏神様では、毎年1月の第二土曜日に
近江の奇祭といわれる火祭りが行われる。
元来、祭りとか、やたらと人の集まるイベントは好まないのだが
数年前、たまたま仕事帰りに見物したのをきっかけに
なんとなく通うようになっていた。
何でも鎌倉時代から続く由緒ある祭りらしく、
当時の天皇に憑いたとされる大蛇を退治したというのがいわれらしく
大蛇に見立てた松明を焼き払い、無病息災を願うというものらしい。
さて、当日、時間に少し余裕を見て行ったのだが、
既にヒマ熱心なカメラマンの皆様が多数いらっしゃったのであまり
よいポジションが確保出来なかった。この辺がやる気の無さの表れだろう。
また、今年は祭りの進行が相当遅かったような気がする。
若者集が太鼓と松明を担いで町内を練り歩き神社に集結するのだが
境内のアナウンスで
「道中お神酒をいただいて多少訳のわからなくなっている若衆もいますので
十分ご注意ください。」と流れて見物客が爆笑していた。
これが冗談ではなく泥酔して、世話役に担がれていく者の多いこと多いこと。
おかげで太鼓も松明の鳥居の所まで来ているのだが、なかなか進まない。
結局、普段より小一時間くらい遅かったのではないかと思ってしまった。
全く、酒は呑んでも飲まれるな、と言う所だろうか。
とはいえ、私もしっかり般若湯を頂いていたし人の事をとやかく言えないのだが・・。
しかし、私のいた場所が悪かったのか、相変わらずカメラマン席は殺伐とした
空気が流れていた。
カメラマンの肩を持つわけではないが、一般の見物客のマナーも大概だな。
通路になる所で、柵の切れ間があったのだが、そこからどんどん見物客が入っていき、入れないはずの柵の前にどんどん人だかりが出来ていく、
ちょっと周りを見れば判る事だと思うのだがなぁ
港町
港町というと皆様はどの様なものを想像するだろうか。多くの皆様は漁港を想像するのではないだろうか。
私の場合は、むしろ工業港や旅客港を想像する。やはり幼い頃、阪神工業地帯で過したり、友達の家に行くときにいつも前を通った東神戸フェリーターミナルや田舎へ帰る度に乗った宇高連絡船や大阪高知特急フェリーの印象が強いのだろう。
故に、港町というと郷愁を誘うものであり、重要な被写体のひとつなのだが、工業港は常に動いている感じがして、どちらかというと動より静が好きな私としては活気ある港町は少しイメージが違う。
そこで数少ない港湾が眠りにつくこの時期に港を徘徊してみた。
この辺り、思い出せば学生時分からしばしば訪れている。どこまでも続きそうな荒涼とした空間、姿は見えないが、どことなく人の存在を感じさせる雰囲気とそれによる若干の恐怖感。対岸に広がる巨大な娯楽施設群との対比、まさに子供の頃に見た港町、いやこの場合港湾地帯そのものである。
近年は隣接する所に巨大テーマパークが存在するが、その賑わいとは全く無縁で、ただ淡々と時が流れている。
渡船でわずか3分、対岸に渡ると休日を楽しむ人々で賑わっている。
と、少し格好つけて書いてみたがいかにも冬の天気という感じで余り気候に恵まれなかった。晴れていたのだが、いざ撮影しようと思うと厚い雲に覆われてしまった。雲ににはいくつも切れ間があり、晴れ間がのぞくのだが一分ともたない。晴天順光を是とする私の撮影スタイルにはちょっと合わない。とは言え、これだけ静かな港湾は盆か正月しかないのでありがたく撮影させてもらった。
このあと安治川上屋から弁天埠頭まで足を伸ばそうと思ったが、天気が悪く断念した。
ところでこの弁天埠頭かには我家にとって笑い事の様な話がある。
高知出身の私の母親が若かりし頃に帰省の為弁天埠頭から船に乗ったのだが、停泊中に見事に海に転落したらしい。曰く窓にもたれたら開かない筈の窓が開いて転落したらしい。全く我が親ながらとんでもない経験をしているものだな。
しかし考えてみると船の旅って殆どしなくなった。よく利用した大阪高知特急フェリーは会社が潰れてしまったし、昨年は宇高航路も廃止になりかけた。数年前に乗った時、夜中3時発とはいえ、乗客三人ではきついだろうと思っていたらやはり廃止話が出てきた。船旅は去年の今頃ジャンボフェリーの夜行便で神戸から高松に渡ったのが最後だが、安くて横になれて中々よいものである。政策に翻弄される船舶業界だが、楽しい船旅を与えて欲しいものである。










