人と話をしていると「〇〇は正しい」とか「〇〇は間違っている」と言う話になったりしますよね。
実際の所、どこにも正しいと誤りはありません。
この正誤と言うのは人間が勝手に作っている概念です、だからと言って「自分の行動は全て正しい」と言う事でもありません。
この正誤の関係性ですが。
単純に「目的が違えば正誤も逆転する」と言う事です。
感情をコントロールする上でも重要な倫理となります、よくテレビなどでも「そ考えは間違っているよ!」と言っている人をよく見かけますね。
しかし言われている側はそれを望んでいない場合もあるので、もしその物事に対し望んでいないのであれば間違いとなります。
わかりやすく言うと
部屋の掃除をしない人がいたとします。
この人はジョニーと言います(名前は適当です)ジョニーのお母さんマザーがジョニーに部屋を片付けなさいと言います。
ジョニーは部屋が散らかっているのが好きなので部屋の掃除は言われてもしません。
これには理由がありました、マザーにはあちらこちらに散らかっているように見える物でもジョニーにとっては何がどこにあるか把握していて部屋を掃除してしまうと何処に何があるのかが分からなくなってしまう癖がありました。
マザーは何度ジョニーに言っても聞かないので仕方なくマザーが自分でジョニーの部屋を勝手に片付ける事にしました。
ジョニーが家に帰ってきて片付いた部屋を見た途端に怒り出したのです。
さて、どっちが悪いのでしょうか?そしてどっちが正しくてどっちが誤りなのでしょうか?
世間ではお母さんのマザーが言う部屋を片付けなさいが「正論」とされているかもしれませんね。
しかし、互いに目的が違う為、正誤が合致していません、だからこそ喧嘩に発展しやすくなるわけです。
ジョニーにとって部屋を綺麗にするメリットはあるのでしょうか?この文章内ではメリットはありませんね、あるのはマザーのメリットしかありません。
お互いの習慣や考え方が違う為に部屋を片付けるという行動がジョニーにとっては誤りになり、マザーにとっては正しいとなるわけです。
正誤と言う言葉は便利ですが内容が無ければ何の意味もありません。
率直に言えば正しいも誤りもどっちでもいいわけです、この言葉を使う秘訣としては行動する前から正誤を使うのではなく行動してから正誤を使うようにしましょう。
マザーは部屋を片付けたくて仕方が無いのはなぜでしょう?
整理整頓すると何が何処にあるのかがわかりやすくなるから?
清潔に見えて頭の中もスッキリするから?
お母さんの家だから子供は親に従えと考えるから?
食べ物の残りカスを放置すると不衛生?
足の踏み場がないと物を踏んでしまった時物が壊れるから?
足を怪我するかもしれないし、転んで大けがするから?
息子のためを思って?
この場合、まずはジョニーが何故そのような記憶方式を使っているのかを考察しなければいけません、ジョニーが整理整頓の重要性をきちんと理解して本人がそうでなければいけないと思わない限り片付けは行わないわけです。
旧世代の教育方法だと力尽くでやらせたりや、怒声を浴びせたり、怒ったり叱ったりして無理矢理、本人に片付けをやらせたでしょう。
そのような子供達は大人になってどうなっているのかは想像がつくでしょう。
誤りを正しくするのも自分であり、正しさを誤りにするのも自分自身です。
そしてそれは他者に押し付けるものでもなく正誤は相手に使うのではなく自分に使うべきものなんです。
ジョニーの記憶方法は抜群の記憶力を発揮しやすいですが環境や状況が制限される習慣でもあります、どちらを取るのかは本人が選んでいるので否定しようがありません。
多くの人がこの自分の倫理を人に押し付けている事が多々あります、果たしてそれは正しいのでしょうか?誤りなのでしょうか?(笑)
目的があるからこそ、そこから正誤が生まれ違う目的であれば勿論、正誤の意味も逆転します。
正誤の世界は実はあやふやで自分の問題なんですね、相手は関係ないと言う事です。正しくするのも自分、誤りにするのも自分。
人間の場合は他者を傷つけたり陥れたりする事は全てにおいて誤りではあるでしょう、しかし自然界で言うと自分の生命維持をするために対象を「捕食する」と言う意味では正しくなります。
相手の行動を見てイライラしたり不快に感じたりするのも相手に無意識で自分の倫理を押し付けている証拠です。
最近チラっと聞いた話なんですが歌舞伎役者?の海老蔵さんの奥さんが他界されました、その2・3日後にディズニーランドへ行っていた!何て事だ!と言う話です。
どーでもいい話なんですが(笑)
海老蔵さんがどのような考えでどの様な精神状態でディズニーランドへ行ったかも知らないので何とも言えないし、仮に元気に行ったのならば立ち直りの早い超人的な精神力の持ち主なのかもしれません。
現実逃避とまでは言わないまでも、今まで奥さんにつきっきりだったので子供達と、っと言うパターンも考えられます。
悲しんでばかりじゃいられない、奥さんがディズニーにこの前行きたいなとぼやいていたのを思い出して行ったのかもしれないし。
精神状態が不安定なまま仕事は出来ない(演技力いるから余計にですよね)気分を何とか上へ持って行こう。
奥さんとの思いでを噛み締める為とか
考えたらキリ無いくらいで出てきますが、正誤に囚われ自分の考えを見失っている人達は人の上辺だけの行動で相手の真意を知ろうとします。ある種の人へのサボり癖でもあり、無知である特有の発言です。
まぁ、そのようにメディアで騒ぎ立てれば視聴率が上がったり、注目を浴びて得する人もいるからそのような発言をすると言う事もありますよね。
いずれにせよ、自分の正誤と他者の正誤は違うと言う事、つまり正誤を決めるだけ無駄だと言う事ですね。
本当の悲しみを知った時、人は常人の理解を超えてしまうと言うのは確かにそうです。
っと、この言葉、僕の言葉なんですけどね☆
輝優伸でした☆
久々の更新となりましたがブログを辞める気はありません、単にサボっていただけなんです(笑)