このお話は第6話、第7話、第8話、第9話の続きです。
翌朝、清掃員詰所の扉を開けると、いつか見たような光景が目に前に広がった。タイムスリップ？ いや、そんなわけはない。
「あんた遅いじゃないの？」
「えっ…、あれ……？ あっ、いや…、どっ、どうしてここにいるんですか？」
「あんたに聞きたいことがあったのよ。これの書き方を教えてくれないかしら？」
「いっ、いや…、そうじゃなくて……。書き方は後程教えて差し上げますので、どうしてここにいるのかを……」
「欣ちゃん（北大路会長）と専務から電話がかかってきたのよ。今月でここ（この現場）も終わりだって聞いたわ。あんたも辞めるんだってね。だったら最後にボランティアで使ってちょうだいってお願いしたのよ」
「そっ、そうなんですね。俺は次の仕事が決まるまでは会社にいますが……」
「どんな仕事を探しているのよ？」
「福祉系です。就労支援の仕事をしてみたいと……」
「あんだって？ 福島県のシューローシェン？ あんた、中華料理屋へ修行に行くの？」
「いや、中華料理屋で修業はしません。全てのワードが明後日の方向にずれています。でも、この感覚、久しぶりで嬉しいです」
「何だかよく分からないけど、頑張るのよ。アタシは久しぶりにここへ来て、生気がモリモリと湧いてきたわ。やる気マンマンよ！」
「張り切り過ぎて倒れないでくださいね」
「あんたの隣にいるのが雪子さん？ よろしくね」
「はっ、はい、こちらこそよろしくお願いいたします」
「いい笑顔ね。専務から話は聞いたわ。正しさって難しいわよね。でも、自分がどうありたいかっていう気持ちは大切にしなきゃいけないと思うわ」
「はっ、はい」
「でも、厄介なのよね……。人間がいちばん盲目になるのは、自分の正義とか正しさに酔ってしまった時よ。それを信じて疑わないばかりに、周りが見えなくなるの。毎日、色んなニュースを見聞きするけど、自分の正義に心を支配されて、大切な人を傷つけてしまったり、人様の宝物を奪い取ってしまったり……。だからね、その正義が本当に正しいのか、心の外に出して吟味することを忘れちゃいけないわ」
「正義を客観視するってことですね」
「そうよ。だけど、簡単じゃないのよね……。だから、どうしても分からない時は尋ねてみるの。人間は一人じゃないわよね？ 話を聞いてくれる人が誰も周りにいないなら、役所だって警察だってあるわ」
「かっ、会長…、役所や警察はお悩み相談所では……」
「一人で悩んで罪を犯すくらいなら、話を聞いてもらいに行ったっていいじゃないの」
「それはそうですが、元の話から飛躍し過ぎている気が……」
「あんたはイチイチ細かいのよ。そんなんじゃ転職活動も上手くいかないわ。面接ではね、何がしたいかを事細かに説明するんじゃなくて、自分がその場所でどうありたいのかを伝えるのよ」
何がしたいかではなくて、自分はどうありたいか……。確かにそうだ。それは正しさや正義にも当てはまるだろう。「人を救いたいではなく、人を救える人間でありたい」、「誰かの力になりたいではなく、誰かの力になれる人間でありたい」、こう言えば、どこか漠然とした思いがより具体的で強い決意として聞こえる。それにしても……、最後の最後まで婆さんに救われるとは……。
転職活動を始めてから半月後、2社目の面接で足を運んだ就労支援事業所から採用の連絡をいただいた。何の経験もなく、もう中年と呼ばれる年齢になってから何年も経つ俺を選んでくれたのは、どうありたいかという自分の正義をしっかりと伝えられたからだと思う。1社目では、十数年ぶりの面接ということもあり浮足立ってしまい、それが出来なかった。だが、人は学習できる生き物である。上手くいかなかったことをもう思い出したくないと記憶から追い出すのではなく、その理由を考え体験として積み重ね、未来に活かしていくことを忘れずにいたい。
さて、清掃員として働くのも残り僅か……。最後まで手を抜かずに"国立大学卒トイレ清掃員"を全うしたい。駅のトイレは臭くてちょっと苦しい時もあるけれど、それが今、俺の胸の中にある正しさである。
文：清掃氏 絵：清掃氏・ekakie（えかきえ）・コムギ
何だかこれで終わりのようなまとめ方になってしまいましたが、まだ終わりません！ ただ、国立大学卒トイレ清掃員としてブログを書くのは、今月で終わりになります。この天理人情編につきましても、30日（水）に最終話を更新します。28日（月）からの3夜連続更新をどうぞお楽しみに……。
その後はどうしましょう……。タイトルを変えずにこれまで書けなかったエピソードを書くか、タイトルを変えて就労支援員としての日々を綴るか……。どちらにせよ、ブログは続けていくつもりです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
清掃氏
文字ばかりでめまいがするような私のブログの世界観を広げ、温かさや彩り、そして伝わりやすさを与えてくださる二人の素晴らしい絵師さんのブログもよろしくお願いいたします。
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国立大学卒トイレ清掃員@fukunokaori
@honeybanchobero ありがとうございます。 職業としての清掃員は辞めますが、出会った人の心を綺麗に出来る人間でありたいと思います。 この仕事をしなければ感じられなかった気持ちや分からなかったことがどれだけたくさんあることか…………。
2020年09月16日 14:43
@neconekoske 隣の街へ行く為のルートが無限にあるように、歩く道はたくさんあります。 通ったことのない道もたくさんあるでしょう。 そんな道に足を一歩踏み入れてみると、知らなかった景色が見えるかもしれません。 挑戦することを諦めないでくださいね。
2020年09月17日 06:43
トイレ掃除をした後のブラシ……。洗剤でゴシゴシと洗えば良いのですが、抵抗もありますよね。結果、不衛生だと思いつつも、水で濯いでケースに入れているご家庭がほとんどだと思います。我が家でもそうしていました。しかし、ある時、居間のソファーに座って新聞を読んでいると、次女がブラシを持って登場……。これはイカンと購入したのが、この【流せるトイレブラシ】です。紙製なので固くこびりついた汚れには不向きですが、ブラシ部分に洗剤が含まれており、使用後はカチッと外して流せるので、とっても便利で衛生的です。
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