明日への希望
神谷貴行さんの裁判の第一回公判、それに記者会見が終わった。
https://www.ben54.jp/news/1886
「明日への希望」を感じさせる会見だった。
信じていたものに裏切られた思いを止揚させて、裁判闘争に打って出るまでには、たくさんの葛藤があったはずである。
神谷さんは「松竹さんの除名は手続的におかしい」と主張し、長期にわたる「調査」と称するパワハラを受け続けた。その過程においては、苦悩の中で選択を迫られ、自分が職を失うことを覚悟した瞬間がきっとあったはずだ…。それでも、自己批判(!)の強要を最後まで拒否し続けた。
そして、このような不条理に抗議をされた方々にも、たくさんの葛藤があったはずである。
兵庫県の蛭子智彦さん(南あわじ市議)、福岡県の砂川綾音さん、羽田野美優さん、栃木県のカピパラ堂の夫妻(元鹿沼市議露久保健二さんと美栄子さん)。
それらの方々の行動は、自分が所属した、かの組織を放逐される覚悟を決めたものにしかできない行動であった。
それは、自分が構築してきた地位や立場や様々なものを投げ捨てることをも意味していたはずなのだ。
それでも、不条理に対して沈黙するのではなく、行動することを選んだ。
人間らしい苦悩と、人間らしい選択を、私は絶対的に支持する。
最近、強い違和感を覚えたことについて書く。
核兵器の非人道性を語り継ぎ核廃絶の必要性を唱えてきた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が、ノーベル平和賞を受賞した(2024年12月10日)。
それ自体は、歓迎すべき事だろう。
違和感を覚えたのは、これに関して、共産党が、まるで自分たちが核兵器廃絶運動の先頭に立ってきたかのように「しんぶん赤旗」で報道し続けたことについてである。
そのような一面があることは否定しない。だが実際には、核兵器廃絶をめぐる労組や市民団体などの運動は、分裂したままである。なぜか。
1961年・62年のソ連の核実験や中国の核実験をめぐり、「いかなる国の核実験にも反対」とする社会党・総評系と、「社会主義国の核実験を帝国主義国の実験と同列に論じるのは誤り」とする共産党系が対立した。
62年の第8回原水禁世界大会では、「いかなる国の核実験にも反対する」という基調報告に対して共産党が反対し、運動体は原水爆禁止日本協議会(原水協)と原水爆禁止日本国民会議(原水禁)とに分裂した。
そして、被爆者たちの核兵器廃絶の願いをよそに、かつて「ソ連の核は防衛的なもの」と主張していた共産党は、
「相手方(原水禁側)が一方的な見解を押し付けたから運動が分裂した」
などという、イカサマの論理・サカサマの論理を展開して相手方を攻撃し続け、運動体に取り返しのつかない亀裂を生じさせてきた。
最近になって“しれっと”方向転換するが、それまで60年もの長い歳月、核兵器廃絶運動に拭い難い亀裂を生じさせ、核兵器廃絶を願う人々の心に傷跡を残してきたのは、他ならぬ共産党であったはずである。
にもかかわらず、この問題を「克服」したなどと一般人には理解不能な理屈をもって、まるで自分たちの成果であるかのような報道をする姿には、ただただ閉口させられる。
60年を経て、当時の関係者の多くが鬼籍に入った。まさにそのタイミングで、苦悩することなく、まるで手のひらを返すように“しれっと”方向転換をしたことに対して、違和感を覚えずにはいられないのである。
共産党は自らに起因する「労働問題」や「人権問題」については、弾圧者そのものの顔で、声を上げたものに対して、不当解雇・除名・除籍を連発して排除している。
私は、神谷貴行さんが不当解雇された際に、福岡県委員会に抗議の電話をかけた。
詳細な説明を求めたが、返ってきたのは「ホームページに書いてあることがすべて」という官僚的な回答であった。
あなた方が行ったことは労働法的にもおかしい、正しいと思っているのか、という私の問いに対しても、返ってきたのは「規約による正しい処分だ」という独善的な回答であった。
だがしかし、「科学的」であることを自称し、常に「正しい」ことを自称するこの政党から、どんどんと支持者が離れていくのはなぜだろう。
「正しい」彼らには、きっと、神谷貴行さんが苦悩の中で異論を表明し、不当解雇され、裁判を決断した思いが、分からないのだろう。
「正しい」彼らには、きっと、蛭子智彦さんが、砂川綾音さんが、羽田野美優さんが、カピパラ堂の夫妻が、苦悩の中で声を上げた思いが、排除された悔しさが、分からないのだろう。
苦悩することなく、何十年も活動してきた人間を排除することを「正しい」ことと言ってはばからない彼らには、もしかすれば、人間の思い自体が分からないのかもしれない。
多くの市民の思いはこうだろう。
「正しい」共産党など、正しくない、と。
話を元に戻そう。
共産党は被団協のノーベル平和賞の受賞をまるで自分たちの運動の成果のように誇張する。
しかし、そもそもノーベル賞の創設者である、アルフレッド・ノーベルとはどんな人物なのか、理解しているのであろうか。
ノーベルは、生前、ダイナマイトを発明した人物である。
そして、そのダイナマイトが「爆弾」として使われ、大量殺戮に使われた結果、多くの人間が殺された。人間を殺す「兵器」の発明者として、兵器工場の戦争特需の結果、ノーベルは大金持ちになったのである。
しかし、ノーベルは、自らの発明が多くの人命を奪うことに使われたことに苦悩し、慟哭した。
生前、人間として悩み続けた彼は、財団を設立することを決意し、全財産を後世の人々に投げ出した。
ノーベル平和賞は、彼の苦悩の中の産物でもあるのだ。
「核兵器廃絶」に関連して、アルベルト・アインシュタインの平和運動にも触れておくことにする。
実は、アインシュタインの科学的業績(相対性理論)こそは、核兵器の開発と生産につながったものである。
アインシュタインは晩年、自身の科学的創造がもたらした致命的な結果に苦しみつつ、全世界で核兵器を禁止するようにと激しく主張するようになった。
アインシュタインの平和運動は、凡人には計り知れないほどの彼の苦悩と慟哭の産物によるものなのだ。
彼らの科学的業績以上に、人間らしい苦悩や慟哭が、「明日への希望」を生む。
特定社会保険労務士・作家 北出 茂