2026年衆院選 ―「熱」と「数字」がすれ違うとき
2026年の衆議院総選挙は、リベラル・ポピュリズム勢力にとって、正直かなり堪えた選挙やったと思いますわ。
長いこと続く景気の停滞、既存政治への不信――この土壌は確かにある。せやけど今回は、思いのほか保守・政権支持の流れが太くなった。
その結果、対抗軸と見られてきた野党は、かつての勢いを保てへんかった。はっきり言うて「退潮」の気配が出てしもたわけです。
その現実を前にして、一部支持層から噴き出したんが「不正選挙」いう言説。とりわけ、結成9か月で11議席を取った新興勢力 チームみらい が疑惑の矢面に立たされた。
計数機メーカーの ムサシ がどうやとか、得票の伸び方が不自然やとか。
せやけど、ここで大事なんはな、「ほんまに不正があったか」以前に、支持者の心理やと思うんです。
自分らの“熱量”と、出てきた“数字”が合わへん。そのズレを埋めるための物語が「不正」なんやないか、と。
第1章:支持層の地殻変動
今回、中道や日本共産党は議席を半減させた。比例も落とし議席も失う。組織の高齢化、野党共闘の迷走、「闘う姿勢」の希薄化――いろんな要素が重なっとる。
その一方で、少し前まで、反体制的なエネルギーを集めていたのが、れいわ新選組 や。
理論不明の中道や理論重視の共産党に対して、山本太郎の「対決型スタイル」は理屈より熱。制度批判より怒りの共有。
かつての野党支持者の一部が、より“体温のある政治”を求めて移動したのは、ある意味自然やと思いますわ。
第2章:「チームみらい」はなぜ標的になったんか
今回の選挙で象徴的やったんは、AIエンジニア安野氏が率いる チームみらい の躍進や。
候補者を立ててへん地域で比例票が多いとか、複数自治体で得票率が似通っとるとか、そういう“統計的違和感”がSNSで拡散された。
でもな、政治の現場を長年見てきて思うのは、
「数字の違和感」いうのは、だいたい「感情の違和感」から始まるんです。
チームみらいは過去に自民党と政策合意を結び、補正予算に賛成した経緯もある。
徹底対決を掲げるれいわ支持層から見たら、「なんやそれ、与党と組むんかいな」という感情が先に立つ。
そこへ躍進という結果が出た。
ほな、「これはおかしい」となる。
数字が原因やのうて、感情が原因なんや。
第3章:迫害の物語
不正選挙という主張(陰謀論?)は、かつては参政党や保守党の支持者からも出されていた。
今回は左派から出されているようで、左右を問わずにこの手の主張が出されている。
ちなみに、日本共産党 は戦前の弾圧の歴史をアイデンティティの核にしとる。
その「迫害と抵抗」の物語は、支持者を通じて れいわ新選組 にも継承されとるように見える。
現代版の迫害は何か。
「メディアが報じない」「少数派が排除される」「そして選挙も操作されとるかもしれん」。
勢いがある時はええんです。
でも退潮局面に入ると、この物語は内向きに作用する。
とくに、れいわは「国政選挙・初敗北」
山本太郎が公示直前に街頭に立ったのに、それでも数字が伸びへんかった。
この“現実”を受け止めるのは、支持者にとって相当しんどい。
ほな、「ムサシの機械が」「プログラムが」いう話が出てくる。
これは政治的というより、心理的な防衛反応やと思いますわ。
第4章:正当性の危機
選挙はな、勝ち負け以上に「結果を受け入れる」という合意で成り立っとる。
その合意が揺らいどる。
「自分らの熱量が反映されてへん」という感覚が、不正言説を生む。
これは一党の問題やのうて、日本の民主主義そのものの正当性に関わる話や。
結論:左派勢力の“内省不足”という宿題
今回の不正選挙言説の広がりは、左派勢力の限界をあらわにしたと思います。
日本共産党 は、迫害の物語に寄りかかりすぎた。
れいわ新選組 は、感情動員型ポピュリズムの天井に当たった。
自分らの政策や手法が有権者に届かんかった可能性を先に検証せず、
「外部の不正」に原因を求める体質がある限り、再生は難しい。
民主主義は、しんどいもんです。
負けを認めて、データを見て、作戦を練り直す。
労働運動や立法制定運動と同じや。感情だけでは勝てへん。
根拠のない疑惑より、冷静な数字。
物語より、現実。
そこに立ち戻れるかどうか。
それが、これからの日本政治の分かれ道ではないか。そう、私は思います。