前回の記事では、オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授の論文から、10年後になくなる仕事について書いていきました。

今回は、10年後も生き残る仕事で、しかも、やりがいがある仕事とはどんな仕事なのかを心理学的な視点も加えて話していきたいと思います。

 

<仕事の本質>

仕事のやりがいと言っても、やりがいを感じるポイントは人それぞれで、あなたが何にやりがいを感じるのかはあなた次第だと思っていませんか?

心理学では、あなたが仕事でやりがいを感じられる方法が具体的にわかっています。

 

2013年12月に出版されてから大ヒットした心理学の本「嫌われる勇気」で一躍知られるようになったアドラー心理学では、「仕事の本質は、他者への貢献」だと説いています。

他者への貢献とは、あなたが他の誰かのために行動して、それがその人の役に立っていると感じることです。人の役に立っていると感じることで、社会との所属感が満たされて、それがやりがいにつながると考えられています。

ボランティア活動に精を出す人が多いのは、本来の仕事で人の役に立っていると感じられていないからではないでしょうか。

 

もちろん、アドラー心理学では、お金を稼ぐために仕事をするという考えを否定はしていません。ただ、一生遊んで暮らせるだけ稼いでもさらに仕事をする人というのは、自分が行った仕事や作った製品が、誰かの役にたっていることを実感しているから、仕事を続けているのではないでしょうか。


 

<どんな仕事がやりがいを感じやすい?>

仕事はお金を払ってくれるお客さんのために行うものです。そして、仕事の本質は他者への貢献です。そう考えると、心理学的には、全ての仕事にやりがいを感じる事は可能です。

しかし、実際は、お客さんを想像しにくい仕事はやりがいを感じにくいですよね(例えば、事務作業とか、クレーム処理の仕事など)。

 

では、お客さんを想像しやすい仕事の場合はどうでしょうか?

あなたの仕事がダイレクトにお客さんに伝わり、その反応がすぐに返ってくるような仕事。

前回の記事で書いた10年後も生き残る仕事、これは他者への貢献をすごく感じやすい仕事なのではないでしょうか。

 

10年後も生き残る仕事は、看護師や作業療法士、心理カウンセラーなどなどのヘルスケアに関係する仕事が含まれます。ヘルスケアは人との関わりが強い仕事が多いです。そして、この関わる人はお金を払ってくれるお客さんでもあります。ヘルスケアの仕事は、関わる方は患者であることが多いので、心か体に不調を抱えている方が、不調を良くしていくという過程で必要不可欠な職業です。そのため、仕事内容が直接、人の役に立つので、他者への貢献をすごく感じやすい仕事だと言えます。

 

つまり、ヘルスケアの仕事は10年後、20年後の人工知能やコンピュータなどの技術が進歩した時代でも生き残る職業であり、なおかつ、やりがいを感じやすい職業だということです。


 

次回は、仕事を楽しむためにはどう考えたら良いのかを説明していきたいと思います。


 

やりがいのある仕事であり、なおかつ収入のある仕事。

そんな夢のような職業があったら嬉しいですよね。

就職してみたは良いけど、「聞いてたイメージと違う!」

なんてことはよくあることです。

 

仕事選びで失敗しないためには、あなたがやろうとしている仕事について知ることが必要不可欠です。特に、その仕事は一生続けていけるのか、さらにもっと言えば、その仕事は30年後も存在するのか、そういう目先のやりがいに加え、先を見据えて職業を選ぶことができれば、仕事選びで失敗することが少なくなります。

 

今回の記事では、数多くある職業や業種が10年、20年後どういう変化をする可能性があるのかをお伝えしていきたいと思います。

また、今回の記事から5週に渡って、やりがいと収入を両立させる可能性がある仕事は本当に存在するのかを考えていきたいと思います。


 

<なぜ10年後、仕事がなくなってしまうのか>

2013年9月に英国オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授が衝撃的な内容の論文を発表しました。

その論文のタイトルは「未来の雇用」

 

マイケル・A・オズボーン准教授は日本でいう工学部、特に人工知能に関する研究を行っている研究者です。つまり、この「未来の雇用」という論文は、どういった仕事や業種が、10年後の未来の世界で進化した人工知能に取って代わられてしまう可能性が高いのかをまとめた論文です。現在でも車の自動運転や工場の機械化がどんどん進んでいますよね。こういった技術発展がさらに進んで、今は人がしなければならない仕事も、10年後には機械が代行できるようになってくると言われています。


 

<どんな職業がなくなってしまうのか>

この論文では、702の職業を色々な創造性や社会性など色々な項目に分けて評価しています。702の職業ごとに10年後に機械に取って代わられる可能性を算出しているのですが、

ランキング1位(10年後消失する可能性が最も低い職業)はレクリエーションセラピスト、ランキング702位はテレマーケターという結果になっています。

 

イギリスの仕事であるため、日本人には聞き馴染みのない職業かもしれませんが、簡単に言うと、レクリエーションセラピストは余暇活動やスポーツなどを利用して高齢者・障害者の健康増進や交流の場を作る専門家を指します。

テレマーケターは、電話で対応してくれる人や売り込みをする人のことを指します。

 

日経WOMANという電子雑誌では、「10年後になくなる仕事、残る仕事 あなたの仕事は?」の記事内で、論文「未来の雇用」でランキングされた10年後人工知能に代わられる主な仕事と生き残る仕事を表にしています。

この表から、事務作業やコンピュータプログラミングを使って判別・作業できる仕事は10年後になくなる可能性が高く、反対に10年後も生き残る仕事は、人と人とのコミュニケーションを大切にする仕事であることがわかります。

 

あなたが就職したい、または就職している仕事の業種は人工知能に取って代わられることはないでしょうか?

もし、あなたがまだ就職していなかったり、転職を考えているのであれば、10年後、20年後もちゃんと仕事が存在する、そんな業種を選ぶと良いのではないでしょうか。

 

出典:日経WOMAN「10年後になくなる仕事、残る仕事 あなたの仕事は?」より引用。


 

<今後も生き残る仕事>

人工知能やコンピュータの技術革新が進むことで、どんどん人間から仕事を奪っていきます。しかし、人工知能やコンピュータでもそう簡単に奪うことができない仕事はあります。

それが、人と人とのコミュニケーションが業務の主軸となっている仕事です。

 

そして、人と人とのコミュニケーションは、今回の記事のタイトルである「やりがいと収入は両立できるのか?」のやりがいに関係が深いものです。

次回は、「やりがいを感じられる仕事とは何か?」

について、心理学的な考察を交えてお話ししていきたいと思います。

おはようございます。
 
 

就活
 
婚活
 
妊活
 
朝活
 
豚カツ(笑)
 

色々な事柄に向けての取り組みに対する〇〇活という言葉が最近では溢れています。
 

その中で「終活」という言葉を見聞きしたかたも多いのではないでしょうか。
 
 

検索エンジンにて終活と検索すると実にいろいろなものが出てきます。
 
 
終活フェスタ

終活カウンセラー協会

終活支援センター

ユーキャンの終活アドバイザー

などなどです。
 
 
これらの多さから終活について興味ある方が多くいらっしゃることがよくわかると思います。
 
2009年頃に終活という言葉が生まれ、2012年には流行語大賞にノミネートされていました。
 
 

よく終活として捉えられているものは次の3つになります。
 

1つはお金の管理

遺産や財産分与、葬式やお墓について生きている間に事前に整理するものです。
ケアマネージャーやファイナンシャルプランナーなどが携わり、エンディングノートの書き方の講座まで全国各地で開かれています。
 
 
1つは医療・介護の準備です。

介護が必要になったときにどうするのか、延命治療は行うのか、いざとなったら病院はどこにするのかなどを元気なうちにご家族で話し合ってもらうことが大事です。
前に述べた緩和ケアの考えや、リビング・ウェルの啓発などはここに入ってくると思われます。
 
もう1つはセカンドライフについてです。
 

元気なうちにどこでどのように暮らすか。これを考える事も終活です。
 
 

とあるサイトではセカンドライフの終活として、ハワイのリゾートホテルのオーナーになれるといった案内もありました。
 
 

全国3600人の60歳以上の男女に対して行った終活の認知度調査では、終活という言葉を知っている人は27%、またエンディングノートを知っている人は64%、そのうちエンディングノートを書いている、書いてみたいという人は53%いるという調査結果が出ています。
 
 

自分自身の死について考えるこの終活という考えが最近日本でもメジャーになってきました。

終活を行うことで死生観を見直し、これまで振り返り、これからを考える事ができます。

しかし、それには選択肢を知る必要があります。例えば緩和ケアは末期でないと行くべきところではないという思い込みや、リビング・ウィルの存在を知らないという事は選択肢を狭めてしまう事になります。

また、自分は自分の死生観をもっていたとしてもそれを家族は理解し、尊重してくれるものなのか、家族間で話し合いすり合わせていく必要があります。
 
個人的には日本の現代社会においてそこの部分が一番足りず、一番難しいところではないかと思っています。
 
 
 
 
 
全5回に渡って死生観というテーマで少しテーマとはずれる部分もありましたが、みなさんと死について今一度考えていくことができました。
 
死は悲しい事ですが、死があるからこそ生があり終わりがあるから進む事ができるのではないでしょうか。
 
 
この文章が何かみなさんの心にかかってくれれば幸いです。

 

おはようございます。
 
 
今日は尊厳死とリビング・ウィルについてお話したいと思います。
 
 
尊厳死という言葉は大分メジャーになってきており、みなさんも聞いたことはあるのではないかと思います。
 
 
日本尊厳死協会では、尊厳死とは「不治かつ末期の状態になったときに延命処置は行わないが、痛みをとめる緩和医療はしっかり受けて、人間としての尊厳を保ちながら死を迎えること」と定めています。
 

よく混同される安楽死とは「本人の希望を受けて、薬剤投与により患者の意思で死を迎えること」です。
 

尊厳死は自然な死を本人の尊厳に沿って見守ること

安楽死は意図的に死期を早めることと言い換えられます。
 

最近では平穏死という言葉もありますが、これは尊厳死とほぼ同義です。
 
 
 
 
ちなみに余談ですが、Wikipediaで尊厳死の項目を見たところ、どうも安楽死と意味が混同されつつあると感じました。情報は取捨選択しないといけませんね。
 
 
 
 
 
 
 
自身の最期について、NHKの情報番組によると91.1%が「延命治療を行わないでほしい」と希望しています。
 
 
ではその希望が叶い、自分の希望通りの方法で死を迎えられることができる人は何%ほどでしょうか。
 
 
 
 
 
答えはわずか数%です。
 
 

例えば、親が急に倒れた場合、親から延命治療を行わないでほしいと聞いていたとしても、とっさの判断で延命治療の中止を願う事は出来ず、意識のないチューブにつながった親を見て、この判断は本当に正しかったのだろうかと子は葛藤する。
こんな事が多くの救急医療現場で起こっているのではないかと想像ができます。
 
 

では、自分が延命治療を望まないと意思決定するためにはどうすればよいか
 
 
リビング・ウィル(LW 尊厳死の宣言)を書いておくことが大切です。
 

LWとは延命処置はしないと意思表示する文書です。

日本尊厳死協会はリビング・ウィルの啓発・普及をしている団体で全国に約12万人の会員がいるそうです。
 
 
リビング・ウィルを表明し、日本尊厳死協会の会員になると、LWカードがもらえます。財布やバッグなどに入れて、万が一の時に備えておきます。
 
 

リビング・ウィルはいつでも撤回できます。
 
また家族等にコピーを配っておくことも大切になります。
 
 

米国では国民の41%がLWを書いているそうです。

一方日本では0.1%に満たない状態です。
 
 
 
これはリビング・ウィルの認識の低さが招いているからだと私は感じます。

尊厳死という言葉は知っていても日本尊厳死協会がありリビング・ウィルを提唱している事を知っている人はかなり限られているのではないでしょうか。
 

リビング・ウィルの存在がもっと公になり、もしもの時の対処法を家族でしっかりと話しあえる時間を作っておく事が大切だと思います。元気なうちに家族間で死について語り合うことが少ない日本の死生観教育を見直すべきツールとしてリビング・ウィルが少しでも世に広まる事を望みます。
 
 
 

次回は最終回です。終活についてお話したいと思います。
 
 
 


おはようございます。
 

前回は緩和ケアについて、緩和ケアの在り方を説明させて頂きました。
 
 
 
今回は緩和ケアでの痛みのとらえ方、スピリチュアルケアについてお話したいと思います。
 
 

いきなりスピリチュアルなんて言葉が出てくると、怪訝な顔をされる方もいるんではないでしょうか?私は占い師や超能力者と称す人たちが、テレビで「オーラが見える」なんて言って恋愛相談や人生相談に答えてくる印象があります。
 
ここでいうスピリチュアルケアとは緩和ケアにおけるスピリチュアルペインに対するケアを指します。
 
 
 
ではスピリチュアルペインとはいったいなんでしょう。
 
 
緩和ケアおける痛みの分類は4つあり、それをまとめて全人的苦痛(トータルペイン)と呼びます。
 

一つめは身体的苦痛。痛みや食欲低下、倦怠感など文字通り体の痛みを指します。

二つめは精神的苦痛。痛みや死に対する恐怖。不安感などを指します。

三つめは社会的苦痛。家族と家計、治療費などの不安。社会的地位の喪失などを指します。

そして4つめが霊的苦痛(スピリチュアルペイン)です。なぜ自分が死ななければならないのか。自分はなんのために生まれてきたのか。自分は生きている価値がないのではないか。といったいわゆる魂の痛みを指します。
 
 
 
 
WHOでも健康の定義を「physical(肉体),mental(精神)、spiritual(霊的)及びsocial(社会的)にdyanmic(活動的)な状態を指し、単に病気や病弱が存在しないというものではない」と改定する案が出されているようで、健康とスピリチュアルは切り離せないものだととらえられています。
 
 
 
スピリチュアルケア研究会の村田久行会長はスピリチュアルペインを「自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛」と定義し、スピリチュアルペインの構造を時間存在関係存在自律存在の三次元から解明されるとしています。
 
 
時間存在とは「将来があるから今を頑張れる」という人間の姿をとらえたものです。死が近づいた人は自分に将来の希望を失うというスピリチュアルペインが生まれます。

関係存在とは「人間は他者との関係の中でこそ存在する」という姿をとらえたものです。死によって人間関係が終わることへのスピリチュアルペインが生まれます。

自律存在とは「自分の事は自分で決め自分で行う」という姿をとらえたものです。介助が必要であり、自己意思も通じなくなる事を恐れスピリチュアルペインが生まれます。
 
 

これらのスピリチュアルペインに対するスピリチュアルケアの一番の方法は「傾聴」です。つまり話を聞いてあげることが一番なのです。
 
 
傾聴に大事な事はまず信頼関係を作ることです。相手の心情に寄り添い、相手を理解することで自然と相手の本質的な悩みが見えてくるのです。
 

前回の新城先生の「緩和ケアで大事なことはおしゃべりだ」と述べていた事がここでも裏付けされているわけです。
 
 
 
ここまで主に緩和ケアにおけるスピリチュアルペインについて紹介しました。考えてみるとこのスピリチュアルペインは死が間近に迫る人でなくても、人間には誰しもある痛みなのではないかと感じました。
 

自分がなんのために生きているのか。自分はなんてちっぽけで無力な存在なんだ。自分は必要ない人間なのではないか。

そう考えたことがない人なんているのでしょうか?

そしてその悩みを直接打ち明ける事はなくとも、それでも生きて、生活していきたいと思うのは家族、恋人、友達など大切な理解者がいるからではないでしょうか。

つまり人間は誰しもスピリチュアルペインを持っており、他者とかかわることではからずともお互いにスピリチュアルケアを受けているのではないでしょうか。
 
 
次回は尊厳死とリビング・ウィルについてお話したいと思います。

 
おはようございます。
 

今日は緩和ケアについてお話したいと思います。
 
 
緩和ケアとは定義上「生命を脅かす疾患による問題に直面している患者およびその家族の、QOL(いのちの質)を改善するアプローチである」とされています。

末期がんなどの生命予後の悪い方に対して、病気を治療するのではなく、痛みの緩和やその人らしさを追求した最期の在り方を追求するようなアプローチです。
 
 
緩和ケア病棟とインターネットで検索すると、どの病院の緩和ケア病棟も太陽が差し込む開放的な空間で、ゆったりと穏やかな時を過ごせそうな、病院とは思えないような場所が検索結果として出てくると思います。
 
 
 
なんとなく緩和ケアとは、ゆったりとした最期の場所として在るものというイメージがありますが、緩和ケアチームの医師として働いた新城拓也先生は、著書「患者から早く死なせてほしいと言われたらどうしますか?」の中で、
10年以上緩和ケアに携わっているが、緩和ケアを説明するのは難しい」と述べられています。
 
なぜなら緩和ケアに対する実体感がなければそれを借り物の言葉で話しても、患者や家族には伝わらないと経験されているからだそうです。
 

また、緩和ケアがある病院や緩和ケアが必要な患者がいても、患者側から緩和ケアに受診してくる事はまずないそうです。
 

歯が痛いときは歯医者、お腹が痛いときは内科、背中がかゆいときは皮膚科に皆さん向かうと思います。
 
ただし、緩和ケアを掲げて患者を待っているだけでは誰もきません。

みんな、「緩和ケアに紹介されるということは、自分はもう先が長くないんだ」「緩和ケアに通っている患者は自分よりも重症の人なんだ」と思いこみ自分から緩和ケアを受けたいとは思わないからです。
 

そして緩和ケアを紹介する側も、緩和ケアの目的やメリットを説明し、患者が納得した上で自分の意志で受診するような形をとっていると、紹介が遅くなり、結果余命が短い晩期からの緩和ケアしか実践できなくなってしまいます。
 
 
遺族からのアンケートによる研究では、遺族の多くが緩和ケアやホスピスへの紹介は遅かったと振り返っているとされています。
 
 
緩和ケアとは本人や家族の思いに寄り添って、よりよい選択肢を多職種で連携しながら考えていくものです。

しかし、いきなり緩和ケアを紹介され、何かお困りですか?と尋ねられても患者は何も言えない事がほとんどなのだそうです。
 
 
では緩和ケアとは何なのか?どうすればいいのか?
 

新城医師は緩和ケアの提供のコツはおしゃべりをすることだと述べています。

とにかく定期的に患者とコンタクトし、生活の中で患者のニーズを一緒に探索していくことだとしています。
 
良い話、悪い話、治療には直接関係ないおしゃべりを通して、おのずと緩和ケアのニーズが生まれてくるそうです。
 
ですから、専門医が緩和ケアを借り物の言葉で紹介し、患者がそれを理解し、自分の本質的な悩みをいきなり打ち明けるのは従来無理なことなのです。と新城先生は言います。
 

おしゃべりをしながら患者は「ああ、こういう事を求めていたんだ」という事に気づき、医療者も「ああ、こういう事を望んでいたんだ」と気づくものなのです。
 
 
 
 
私の緩和ケア医療についてのイメージは、余生の少なく痛みに苦しむ患者様に対しての投薬とQOLの向上を引き出す環境が大事だという印象がありましたが、新城先生はコミュニケーションこそが最大の緩和ケアだとされていました。
 

緩和ケアを言葉にする事は難しい、緩和ケアに長く携わった先生のこの言葉は緩和ケアの奥深さ、難しさを現しているのだと感じました。
 
 
 
次回は緩和ケアにおける痛みへの考え方、スピリチュアルケアについてお話したいと思います。
 

 

おはようございます。
 
 
 

突然ですが、想像してみて下さい。
 
 
ある家族がいます。お父さんは80歳、末期の肝臓がんです。

医者がいいます。

「お父さんは余命3か月です。転移が広すぎて手術は不可能です。化学療法を行えば余命は3か月伸びる可能性がありますが、今以上に体は動けなくなります。化学療法を行いますか?今すぐご決断ください。」

妻は言います。

「私は少しでも長くお父さんと一緒にいたい。動けなくなっても、喋れなくなっても少しでもそばにいたい。諦めるなんて絶対にいやだ。」

娘は言います。

「お父さんは昔から延命治療はしないで欲しい、生き長らえたくないといっていた。今も痛みで苦しそう。もう楽にしてあげたい。」
 
 
 
みなさんならどうしますか?
 
 

このフィクションはみなさんの身の周りでは起こりえないと言い切れますか?
 
 

お気づきのようにこの家族のような悲劇は誰にでも起こりえるのです。
 

人は必ず死に、人には必ず家族がいます。
 
 
 

今回は5回に渡って、「死生観」という、誰にでも起こる死と、死の価値観についてみなさんと一緒に考えていければと思います。
 
 

いきなりですが、日本で1年間で何人の人が死亡しているかご存知ですか?
 
 
答えは約125万人です。(厚生労働省 平成24年人口動態統計より)
 
365で割ると今日1日で3425人が亡くなっている計算です。

さらに24で割ると1時間で142人が亡くなっています。

26秒に1人』あなたがこれを読んでいる今この瞬間にも、日本のどこかで、だれかが死に、その人を愛する多くの人が悲しんでいます。
 
 
ちなみに日本における年間死者数は昭和41年の67万人から年々増加しております。2030年には年間死者数が160万人に達すると予想されています。
 
 
 
 
このように書くとなんとも少し沈んだ気持ちになってしまいますが、わたしが言いたいことは人の死というものは言わずもがな当たり前であり、誰にでも必ず起こる出来事だという事です。
 
 
 
 
みなさんはこのように当たり前に起こる死を考えた事はありますか?

近しい人が亡くなったとき。

自分が病気やケガで九死に一生を得たとき。

生命保険に加入するとき。

生死にまつわる映画やドラマをみたとき。
 
 

自分、もしくは大切な人が死に直面したとき、冒頭のような場面になったとき、何が正しくて何が間違っているか。
 
 
答えはありません。答えは人の数だけあります。
 

答えがないので人は迷い、悩み、苦しむのだと思います。
 
 
いつかみなさんが人の死に直面したときに、このブログのことを少しでも思い出していただければ幸いです。
 
 
次回はそんな死を、どのように向かえるか考える分野として緩和ケアについてお話したいと思います。

 

おはようございます。

 

2015年の芥川賞作品の「スクラップ・アンド・ビルド」を読んで現役理学療法士が感じたことを書いていきます。

 

今回は、最後のテーマになりました「尊厳死」について書いていきます。

 

尊厳死とは、不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすためだけの延命措置を断わり、自然の経過のまま受け入れる死のことです。本人意思は健全な判断のもとでなされることが大切で、尊厳死は自己決定により受け入れた自然死と同じ意味と考えています。(一般社団法人日本尊厳死協会HPより)

 

最近では、「尊厳死」という言葉に加えて「終活」や「エンディングノート」なんていう言葉も、一般の方々に認知され始めてきたかと思います。

 

ではなぜ、近年、に対してどう向き合うかといったテーマが良く取り上げられるのでしょうか。

 

ここで「スクラップ・アンド・ビルド」の本文を抜粋します。

 

延命措置が発達した世の中では、したいことなどなにもできないがただ生き長らえている状態の中で、どのように死を迎えるべきかを自分で考えなければならなくなってしまった。ほとんどの人は昼も夜もない地獄ノの終わりをただじっと待つしかない。それは長寿の現代人にもたらされた受難なのか。目の前にいるこの小さな祖父一人にそれを背負わせるのはあまりにも酷ではないか。

 

つまり、意識もある程度しっかりありながらも、衰えていく身体とともに死をリアルに実感していくことができてしまう現代の高齢者にとって、自然と発生してきたテーマだと思います。

 

最初のテーマで取り上げた、健康寿命と平均寿命の差の期間により実感することでもあると思います。

 

今回のテーマに戻ります。

 

「尊厳死」に関しては、よく本人の意思を尊重することを重きにおかれます。しかし、今回は本人ではなく、その家族にも焦点を当てて欲しいと思います。

私は、「死」とは当事者だけのものではなく、この世に残される「家族」のテーマでもあると考えます。

 

当事者が、「死」への気持ちを整理する時間があった上での「尊厳死」であるならば、家族にもその時間が必要だと思います。

 

私の経験をお話しします。
 

私は、6年前に母を亡くしました。がんという病気と闘っていることは知っていましたが、実家を出て大学に通い、その地域にそのままで就職していたこともあり、母と顔を合わせるのは長期休みの時だけでした。

 

しかし、体調が少しずつ悪化していたことは子供である僕たち兄弟には、あまり知らされず、自宅での生活が限界を迎え、入院した際も、そのことを知ったのは入院から1週間後でした。

 

母は、入院約3週間後に亡くなりました。最後の入院の期間で母に会えたのは2回でした。2回目に会ったのは、亡くなる前日で、苦しそうに何度も寝返りして、なんとか落ち着く位置を探しているようでした。一言二言で息苦しさもあったため、会話という会話はほとんどできませんでした。

 

もっと時間を大切しにおけばと思う一方で、母の「死」を身近に感じてからあまりにも短い時間でした。私は、自分の経験も踏まえて、残される家族にも当時者の「死」を受け入れる時間が必要と思います。

 

大切な人の「死」は、時間が十分あれば受け入れられるものではないのかもしれません。

 

しかし、少しでも「死」を意識してからの「死」までの時間があれば、思い出を振り返る時間、感謝を伝える時間、残りの人生を一緒に楽しむ時間を過ごせるのではないでしょうか。

 

厚生労働省から出されているデータでは、近年、病院ではなく在宅で終末期を迎えたいと希望する人が多く、さらには戦後初めて実際に病院死が減少し、在宅死が増加しています。在宅で終末を迎えるという選択肢は、大切な家族との時間が増えることにつながるのかもしれません。

 

 

誤解を生むといけませんので、改めてお伝えしておきますが、私は、ギリギリまで元気でコロリと死ぬ「ピンピンコロリ」が良いとか、平均寿命と健康寿命の間が空いている方が死への準備ができて良いとかの話をしているわけではありません。

 

あくまでも、当事者と大切な家族がどれだけいつかは来る「死」を意識して、大切な人と関われるか、その時間を大事にできるかが、大切だと思います

 

どう生きるか「生き様」だけでなく、どう死ぬか「死に様」も、前向きに考え話せる世の中になると良いと感じます。

 

全4回にわたり、「スクラップ・アンド・ビルド」を読んで現役理学療法士が感じたことを書いてきました。

 

もしお読みでない方も、これまでのブログの意見は全部忘れて、ぜひ自分なりの視点でお読みいただけると。超高齢化社会を考えるきっかけになるかと思います。

 

長文お読みいただきありがとうございました。

 

おはようございます。

 

2015年の芥川賞作品の「スクラップ・アンド・ビルド」を読んで現役理学療法士が感じたことを書いていきます。

 

今回は、「高齢者の心理」について書いていきます。

 

本の中でも、「なんで祖父はこんなこと言うのだろう」「この行動の意味はなんだろう」と主人公の健二と同じ年代の読者の方は感じたかもしれません。

 

“祖父”に限らず、高齢者というのは特徴的な心理症状が出やすいといわれています。

 

しかし、それは個人差が大きく、”祖父”のような気持ちは理解できない高齢者ももちろんいらっしゃいますので、ご理解いただいた上で、読み進めていただけたらと思います。

 

高齢者は、論理的な考えよりも、「印象」や「直感」によって判断することが多くなってきます(厚生労働省:資料8-1 高齢者のうつについて)。


例えば、「この方法が一番理にかなっているし、いろんな人に聞いても同じ方法を選ぶ、しっかりとした裏付けもある」と説明しても、本人の中での今までの経験や印象だけで「それは良いが、これは良くない」と決めつけてしまったりして、高齢者の方が理解していただけないといった経験をされたことはないでしょうか。

 

僕は、理学療法士という病気や怪我の方に対してリハビリテーションに携わる仕事をしていると、何度かこの壁にぶち当たった経験があります。

 

例えば、こんなエピソードがあります。

 

自宅の中で転倒し骨折された高齢者の方がいます。

 

病院での治療にて回復し、今までの自宅での生活に戻ることを目指しているとします。

 

退院直前に、ご家族の目からも、ほぼ転倒前と変わらないくらいの身体の状態です。

 

「先生、転ぶ前と同じくらい元気になったので大丈夫です!」、、、非常に危険だと感じます。

 

なぜなら、転倒した原因を、本人がしっかりと理解できているかが問題となるからです。

 

自宅内の環境が原因で何かにつまずいたのか、生活習慣の活動量が低く身体機能が落ちたから転んだのか、他に原因の病気があるため転んでしまいそのため薬を飲む必要があるのか。

 

いずれにせよ、転倒前と同じ身体能力、同じ生活習慣や環境では、同じことを繰り返します。

 

再発しないために、今までの生活を少しでも変える必要があるのです

 

その生活習慣や環境を”少し変える”ということに難しさを感じています。

 

それを実現するためには、前半でも書いた通り、転倒に関するデータを並べたり医学的に理由を伝えても、理解していただけなかったり、そのままの生活を再び送ってしまい再発してしまう患者をみてきました。

 

高齢者には、身体で「この運動はやると身体に良さそう!」と実感したり、この棚の位置を変えてみたら「空間ができて動きやすい!」と実感するなど、考えて理解させるのではなくて、直感的に理解していただく方が、習慣が変わりやすいと感じています。

 

「この運動をしばらく続ければいつかは効果があるよ」をどれだけの高齢者が根気強く続けられるでしょうか。

 

それよりもその場で、実感させてあげられること、それを積み重ねれば生活が変わるのではないかということを実感させる必要があります。

 

高齢者の心理をよく理解して関われる人が、今後、高齢者が増加する日本には必要となってくるのではないかと感じていています。

 

長文お読みいただきありがとうございました。

 

次回は、最後のテーマ「尊厳死」について書いていきます。

 

おはようございます。

 

2015年の芥川賞作品の「スクラップ・アンド・ビルド」を読んで現役理学療法士が感じたことを書いていきます。

 

本日は、本の中に出てきた「プラス介護」という内容について書いていきます。

 

私は、理学療法士というリハビリテーションに関わる仕事をしているため、介護という言葉はとても身近なものになっています。

 

皆さんは、今までに「介護」という場面に関わったことはありますか。ご家族の中に介護が必要な人がいた、現在自分が介護を必要としている、仕事として介護職についているなど様々な場面で「介護」に触れているかもしれません。

 

また、現在のところは全く無縁だよという人もいると思います。

 

介護とは、障害をもった方の生活を支える行為全般を指します。そのため、内容は多岐に渡ります。

 

つまり、介護とはできないことを助ける行為です。逆に言えば、余分に介護をしてしまうと人はできるはずだったものが、習慣的にやらないことでできなくなっていきます

 

スキーやスノーボードなどのウィンタースポーツを一定期間やらない時期があると、次の年に再開した時に、すぐには去年のようにはうまくできないといった経験があると思います。さらに長期期間やっていなければ、身体が思い出すのにはもっと苦労します。

 

本の中で、健斗は祖父に対して、「プラス介護」つまりできることにも積極的に介助をしていき、祖父は「早く死ねばよい」と言っているため、その願いを叶えてあげようとしています。

 

本の中では、こうも言っています。

 

プロ(デイサービスで働いているスタッフ)の過剰な足し算介護を目の当たりにした。健斗は不愉快さを覚える。被介護者への優しさに見えるその介護も、おぼつかない足どりでうろつく年寄りに仕事の邪魔をされないための、転倒されて責任追及されるリスクを減らすための行為であることは明らかだ。手をさしのべず根気強く見守る介護は、手をさしのべる介護よりよほど消耗する。要介護3を5にするための介護。介護等級が上がれば、国や自治体から施設側へ支給される金の額もあがる。

 

 私たちデイサービスのスタッフは、見方を変えればこのように映ります。現場で働いている身ではありますが、正直、異論はありません。


国が負担する介護費用は、皆さんご存知のように年々増加傾向にあります。

 

介護サービスを受けるための要介護の認定を受ける人が増え、介護費用を受給する人が増え、一人当たりの費用額も増えています。

 

また、それを負担する働き手の数が少子高齢化により、少なくなってきています。もちろん必要以上の介護サービスを加えれば、その分手厚い介護となり、利用料金(介護費用)も高くなっていきます。以下、厚生労働省ホームページから抜粋しました。

 


 

介護分野には「できないことをやってあげる」とイメージが利用者側、提供者側双方に強くあるように思います。

 

例えば、、、

 

加齢に伴い、少しずつ家の家事が大変になってきている一人暮らしの高齢者がいるとします。

 

この方に、介護認定の段階で一番軽度の「要支援1」という認定がおりたとします。

 

そこでケアマネさんの勧めで、一番大変だと感じている「お風呂の掃除」を手伝ってくれる介護サービスをヘルパーさんに依頼し受けることにしました。

 

ヘルパーさんは、契約しているお風呂掃除を隅々まで全てやってくれます。

 

その時の会話はこんな感じだと思います。


ヘルパー:「お風呂掃除終わりましたよ!ついでに洗面所もやっておきました!あと少し時間ありますから、他にも何かありますか?」

利用者:「いつもこんなとこまでやってくれてありがとね!じゃあゴミ出しもお願いしようかしら!」

 

。。。

 

当たり前のように行われている流れが悪いとはいいませんが、この状況が続けばなにが起こるかは前半に書いた通りです。

 

やらないことはできなくなります。

 

使わない関節や筋肉は衰えていきます。日常的に使っているから維持できているのです。


必要な人に必要な分だけ。

 

非常に当たり前のことですが、医療費介護費という税金が利用者やサービス提供者の見えないところで行き来しがちな分野では、少し薄れがちになる感覚です。

 

実は、サービス提供者側が「厚意」というエゴで、「プラス介護」をしてしまっているケースは意外と多く存在すると様々な現場で感じています。

 

介護は、その人ができるようになれば「マイナス介護」もありだと感じます。その可能性を常に探りながら関わる必要があります。

 

次回は、「高齢者心理」について書いていきます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。