おはようございます。
突然ですが、想像してみて下さい。
ある家族がいます。お父さんは80歳、末期の肝臓がんです。
医者がいいます。
「お父さんは余命3か月です。転移が広すぎて手術は不可能です。化学療法を行えば余命は3か月伸びる可能性がありますが、今以上に体は動けなくなります。化学療法を行いますか?今すぐご決断ください。」
妻は言います。
「私は少しでも長くお父さんと一緒にいたい。動けなくなっても、喋れなくなっても少しでもそばにいたい。諦めるなんて絶対にいやだ。」
娘は言います。
「お父さんは昔から延命治療はしないで欲しい、生き長らえたくないといっていた。今も痛みで苦しそう。もう楽にしてあげたい。」
みなさんならどうしますか?
このフィクションはみなさんの身の周りでは起こりえないと言い切れますか?
お気づきのようにこの家族のような悲劇は誰にでも起こりえるのです。
人は必ず死に、人には必ず家族がいます。
今回は5回に渡って、「死生観」という、誰にでも起こる死と、死の価値観についてみなさんと一緒に考えていければと思います。
いきなりですが、日本で1年間で何人の人が死亡しているかご存知ですか?
答えは約125万人です。(厚生労働省 平成24年人口動態統計より)
365で割ると今日1日で3425人が亡くなっている計算です。
さらに24で割ると1時間で142人が亡くなっています。
『26秒に1人』あなたがこれを読んでいる今この瞬間にも、日本のどこかで、だれかが死に、その人を愛する多くの人が悲しんでいます。
ちなみに日本における年間死者数は昭和41年の67万人から年々増加しております。2030年には年間死者数が160万人に達すると予想されています。
このように書くとなんとも少し沈んだ気持ちになってしまいますが、わたしが言いたいことは人の死というものは言わずもがな当たり前であり、誰にでも必ず起こる出来事だという事です。
みなさんはこのように当たり前に起こる死を考えた事はありますか?
近しい人が亡くなったとき。
自分が病気やケガで九死に一生を得たとき。
生命保険に加入するとき。
生死にまつわる映画やドラマをみたとき。
自分、もしくは大切な人が死に直面したとき、冒頭のような場面になったとき、何が正しくて何が間違っているか。
答えはありません。答えは人の数だけあります。
答えがないので人は迷い、悩み、苦しむのだと思います。
いつかみなさんが人の死に直面したときに、このブログのことを少しでも思い出していただければ幸いです。
次回はそんな死を、どのように向かえるか考える分野として緩和ケアについてお話したいと思います。
