年が明けて

1月に緊急入院した父(83歳)。




この8ヶ月間で、


入院

転院

手術

退院

再入院

転院

転院

老健入所


と駆け抜け、





昨日から今日に

日付が変わるころ、



父は静かに

息を引き取りました。




 ガン手術を経て要介護2の 
 父の介護にまつわる話です。 

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書きかけになっていましたが、




この日と

昨日の午前中と2回。




それぞれ10分間という

制約はありましたが、


コロナーッ(怒)




母とともに

父と直接面会ができたことは、

本当によかったし、

感謝しかないです。







父の目を見て話しかけ、

父の手をとり、

泣きながら、




でも、

笑い話(?)もまぜたら、



そのとき、そのときの

ちゃんとした?タイミングで、



父が笑っているような

表情になったことは、



驚くやら、

うれしいやら。






大谷選手や松山選手のような

「大物スター」が大好きな父だったので、



初孫の長男をネタにして、





大谷、今、

大リーグのホームラン王、

単独トップやで。



すごいよなー。



大谷や羽生結弦の年代が、


大谷世代とか

羽生世代とか言われるけど、




長男世代やんなー。




長男にも

これから頑張ってもらわな、

あかんなあ~(笑)




という言葉に

一番ウケてた(ように見えた)。









意識があるような、ないような、

うっすら開いている目は、



きちんと

私を見つめているような感じでした。






母が、

もう声さえ発せない父に、




おかーさん、おかーさんって

いつも私を呼んでたなあ。




と言ったときに、





父が



「おかーさん」



声を振り絞って言った

(ように聞こえた)ことは、



本当に驚きました。








あれが

父の最後の言葉になるのかなあ。








また明日も来るからねー、と

部屋をあとにしたけれど、




明日になる前に

施設から電話があって、



駆けつけたときはもう

息を引き取っていました。











死に目には会えず

看取られることなく

一人で旅立たせてしまったけれど、




この2日間、

きちんと3人で時間を過ごせたことで

私と母には悔いはありません。








そのあと、

エンゼルケアをしてもらっている間に





父の荷物の整理をし、

葬儀社に連絡をし、

叔母に連絡をし、

死亡届を記入したり、

葬儀場に移動したり、




朝になったら何をするのかという

葬儀社さんの説明を聞いたり。







23時半ごろに電話をもらって

家を出て、

家に帰ってきたのは

深夜3時前でした。







そして今日、

朝7時には

お寺さんに電話しないといけないので、

目覚ましをかけて・・・。





ね、眠いし、


しんどいし・・・。









これから、

経験したことのない、



葬儀の段取りから、

名義にかかわるもろもろの手続きに




私自身は、今

悲しみよりも

緊張のほうが勝っています。








そのときが来れば、

私も母も泣きじゃくって

葬儀社の連絡どころじゃ

ないだろうからと、




ダーリンが

「おれが各所に電話するから!」と

言っていたけど、




意外と泣かない私に

拍子抜けしてる(苦笑)





今まで

メソメソ泣いてたのに(笑)





いや、今まで

メソメソ泣いていたから、

もう泣かないのかも?








一日葬の家族葬にするので、



今日は葬儀社との

打ち合わせだけになるかと。






従来?なら、

今晩、お通夜になるのかな。





今の私の疲労と精神状態で

今晩お通夜に突入していたら、

絶対に途中で倒れてるよ。



世の中の皆さん、

すごい精神力だよ(汗)







どうぞ、

無事に行えますように・・・。





 

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