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教師支援の話も必要

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。



 Oさん、どうもです。
 kingstoneです。

>  そうですね、kingstoneさんのおっしゃるとおり、教師支援の
>研究をしているという話ですが、その話を聞きにきた人には支援は
>必要無い...^^;

そんなことは無いと思います。
 是非入れて下さい。

 私もいろんなところで研究会のことを宣伝しています。

 ひょっとしたら○月○日は、ある地域の先生で初めて来るという方があるかもしれません。(そう願っています)で、そういう方はどうしたらいいか迷っている方が多いと思います。

 そういう方にはOさんのリーフレットに書かれた内容についてその先生にレクチャーしはったのと同じように話して頂けたら、「そっかあ」と思うところ、多いのじゃないかと思います。

※リーフレットの内容はこちら
「自閉症児の授業場面における教師支援効果」について

 私が言ったのは「教師支援(で、バイアスがかかっていると言われてしまたっけど(笑)結局「わかってない」教師への支援だよね)の話です」なんて言ったら「俺のこと、「わかってない教師」やっちゅうんか」とヘソを曲げられる恐れがあるかな、ということなんですよね。

 で、レクチャーによって「わかって」教師の行動が変わった、ってことはもちろん子どもの行動も変わったわけでしょう?そこらへんの話、大事だと思います。

 それから下手に「応用行動分析のことを教えてあげよう」と思うと、やたら難しくなる可能性無いかなあ・・・ついつい専門用語を出してしまいがちになるから。

 出すなら「要するにこれはかくかくしかじかのこと」というふうにかみ砕いてあげて下さいね。

ある知的障害特別支援学校の体育祭についての保護者の感想へ

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


○○さん、どうもです。
 kingstoneです。

> のに、先生は動かないからさらに手出しする・・・。だって、
>子供たちは体反らせてるんですよ!「やりたくない!手ー出さん
>とって!」って思ってるのが凄く伝わってきました。
>
>  でも、先生にしてみれば「皆と一緒に“ちゃんと”やろうね」
>ということでしょうか。

>  なんだか、色々思った体育祭でした。しかし、年々思いは
>複雑になっていくなー・・・(T_T)。

もちろん「ちゃんとできる」に越したことはない。
 ではそのためにどういう手だてを取るのか。
 そして普段からどういう授業をするのか。

 そのことについては昨年学校の反省に書いたものを私のホームページの「考えていることいろいろ」のところにアップしています。実は学校の反省の方がもう少し過激だったと思います。(私なりに表には学校が悪いと読みとれることは書きたくないという思いは強いのです)

運動会についての意見


 「そうだ」と言ってくれた先生がちらほら。言葉として聞いたのは、他の先生から伝え聞いたのを合わせて2名。
 他の先生は「怒る」「しかめっ面をする」「無視する」
 管理職には「こういうのは書いてはいけない」と言われました。

 私は同様の意見を少なくとも2年連続で提出しました。

 やっぱり保護者から学校へ「伝える」「教えてあげる」「要望する」ってことは大事じゃないでしょうか。もちろん言葉を選ぶ必要はあるでしょうが。

 昨日、佐久間象山について書きましたが、当時の黒船にあたるものは保護者からの要望ではないかと思っています。


> 一緒に行ってた□□が、用具倉庫の戸を開けたり閉めたりしてイタズラしてまし
>た。鍵はかかっていないし、張り紙もしてない・・・。
>近くに学年の担任で、抱っこ法の使い手の先生がいたので、
>「あけません(開けません)」と赤で×を紙に書いて貼って
>もらいました。
>  先生は「これでわかるなんて凄いねー」と感心?してましたが、

うふふ。この先生。部分的ではありますが、いろいろな場面で視覚支援を使って下さっています。もちろんまだまだ少ないのですが、でもその周囲の先生方のことを考えるとすごく多くの場面で使って下さっていると言っていいと思います。

 で、○○さんがこの先生に書いて頂いたことで、そしてその効果を見たことでさらにいろんな場面で「使おう」という気になって下さるのじゃないかと思います。

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追記
 ほおお。管理職(というか校長先生)に「こんなことは書いてはいけない」と言われてたんや。まったく忘れてた。

「日本の戦争 田原総一郎著」から

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。



 kingstoneです。

 実践的な話ではない、という意味ではやっぱりゴミな文ですが・・

 忙しい、忙しい、と言いながら必要にせまられてではなく本を読んでしまいます。で今、

「日本の戦争」田原総一朗著(小学館)

を読んでます。「なぜ日本は負ける戦争をしたのか」という問題意識から書かれた本です。幕末あたりから書かれてはいるのですが、源氏物語あたりも出てきます。

 第2章が「和魂洋才」という言葉を調べていく話になっています。

 このあたり、TEACCHを参考にした指導を取り入れる時に合う抵抗と重ね合わせる部分があります。

 例えば佐久間象山。

 彼は蘭学者では無く儒者ですが、西欧列強の恐ろしさを知り西洋科学技術を学ぶために自らオランダ語を学び原書を読破し、その危機感から「海防八策」を書きます。

 しかし幕府の取り入れるところとはなりません。

 その後、全国の砲台を見て回り、このような旧式のものではひとたまりもない、と意見書をもと老中であった藩主に提出します。しかしこのような過激な意見は身に危険が及ぶと、藩主は幕府には提出しません。

 ところが象山は直接幕府に提出してしまいます。

 そして尋ねて来た吉田松陰と話すうち「直接外国を見てくるべきだ」と盛り上がり、そのまま松陰はペリーの船に密航しようとして断られ、戻ってきてつかまり、松陰も象山も蟄居となります。(後に井伊直弼が出てきて安政の大獄が起こったために松陰は死刑)

 この本の中で
「象山の予言、それは妄言として、逆に象山がうさんくさく思われていたのだが・・」というところが出てきます。

 「40過ぎのうさんくさい奴」と言われている私と重ね合わせてしまうのね。もちろん私は象山ほどの才能も学識もありませんが。

 彼は後の書物の中で「東洋の道徳、西洋の芸術(技術)」という言い方をしているが、田原さんは研究者と話すうちに象山のこの言葉はある意味で時代の吐かせたカモフラージュで「洋魂洋才」と言いたかったのではないか、ともまで書いてはります。