楠板本尊に関するこれまでの記事 8(最終)

 

 

今回を最終とし、身延山中の大聖人の生活状況、等、堀日享上人の本音、「楠板本尊」の制作者推理、「大聖人の御肉牙」公開申請 を紹介します。

 

35.

日蓮大聖人の御生活の状況 前 | 明るい未来へ弟子として生きる

 

36.

日蓮大聖人の御生活の状況 中 | 明るい未来へ弟子として生きる

 

37.

日蓮大聖人の御生活の状況 後 | 明るい未来へ弟子として生きる

 

38.

信徒に述べた経済状況 前編 | 明るい未来へ弟子として生きる

 

39.

信徒に述べた経済状況 後編 | 明るい未来へ弟子として生きる

 

上記の記事35~37を新たに纏めたのが、記事38、39になります。この様に信徒への御消息文に述べられている通り、大聖人には、弘安2年10月12日に戒壇本尊と称される楠板製の「木製曼荼羅」を作成する経済的余裕は全く無く、「楠板本尊」が「後世の模作」なのは明らかなのです。

 

 

40.

堀日亨上人の本音 | 明るい未来へ弟子として生きる

堀日亨上人の著書に

『大聖人は、興上弘教の熱誠を賞し、その功績の重大なるにともないて、法難の熾烈なるは、実に末法怨敵の当鉾なりといえども、これまったく日蓮出世の本懐満足の画期として、これを記念するために、弘安二年十月十二日に、本門戒壇の大御本尊を興上に親付し、万年広布流溢の時、大戒壇に安置すべく堅牢の楠板に書写せられたり』(堀日亨著「富士日興上人詳伝(上)聖教文庫159-60頁)

とあります。

 日亨上人は、日興上人の弘教に対する熱意と功績大なるを賞賛しつつも、本音として、

①日蓮出世の本懐は、(広宣流布を予想できる)法難を伴った妙法の弘教拡大にあった。

②この時代を区切る本懐満足を記念する為に、大聖人は、弘安二年十月十二日に、本門戒壇の大御本尊(大聖人真筆の真の三大秘法の御本尊、紙幅)を日興上人に授与した。

③広宣流布の暁に大戒壇に安置する為に、(その後、大聖人以外の関係者が)堅牢の楠板に書写された。

と考えられた様です。

 

 

41.

楠板本尊の作成者は誰か | 明るい未来へ弟子として生きる

大石寺の歴史を詳細に記述したのは17世法主の日精(生没1600-1683年)の 

日精上人記『日蓮聖人年譜』(富要集5巻67-146頁)と、

日精上人記『富士門家中見聞上中下』(富要集5巻147-266頁)です。

 楠板本尊の彫刻を宣伝したのも日精なので、彼を彫刻作成者とも考えられるが、私は歴代法主の中で、6世日時・9世日有・14世日主に、それぞれ楠板本尊作成の動機があり、日精以前に石山が楠板本尊の彫刻を作ったとすれば、この3人に絞られると考えています。

 

 

42.

大聖人の御肉牙の不思議 | 明るい未来へ弟子として生きる

本記事の前半は、法華講員さんも御存知だと思いますので、後半の戸田二代会長が宗門に提出した御肉牙に関する請願書を紹介します。
請願書(要旨)
一、御肉牙は今迄は宗門内の者にのみ拝観を許されて居りますが、最初(昔)は御本山の幹部の方だけの様に伺っております。
次に時代が経つにつれて強信なる信徒にも拝観を許される様になり、次いで時代と共に拝観の範囲も拡げられて、近年は御座替りに参加した宗徒一般に拝観が許され、去る立宗七百年祭には拝観者数が四千名にも達しました。
以上の様に御肉牙の拝観は時代の変遷と共に一般化して参りまして、特に今度の御座替りには数万の宗徒が拝観を許される事になっております。
この傾向よりしましても、又現在の宗門の発展より見ましても、この世界的秘宝「御肉牙」に関し、世界的にその存在を発表して反響を待つべき時であると信ずるものでありますが、この儀は如何なものでございましょうか。
特に医学界・生物学界・生理学界・その他科学界に広く発表したならば謗法となるものでありましょうか、ならぬものでありましようか、この点につき御伺い申し上げます。
右の理由といたしましては、御生骨は広宣流布へのための御生骨であるとうかがっております。この事から考へますと、宗門興隆の現在、発表した方が良いと存じます。
そして発表すれば外部で事の真偽の疑いを持つ者もありましようし、その他、色々と反響が大きい事と豫想され、これが日蓮正宗の法の正しさを世に知らせる遠因となると愚考する次第でございます。
何卒微忠の真意を了として愚見を御採用下さいますよう書面をもつて謹んで誓願申し上げます。(以下、略)

結局、宗門は、外部発表を許さなかったのです。

「楠板本尊」の鑑定も同様で、「作り法門」の事実が明らかになる事を恐れているのでしょうね。

 

 

 

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