「本尊七箇相承」なる書物の伝承と内容

 

 

「本尊七箇相承」(別名・「本尊七箇口伝」「本尊七箇口決」)なる御文は、富士興門派内では、日蓮大聖人が日興上人に相伝された、とされる御文です。その末文に
「日興は浪の上にゆられて見へ給ひつる処の本尊の御形なりしをば能く能く似せ奉るなり、仍って本尊書写の事・一向日興之を書写し奉る可き事勿論なるのみ。」とあり、この次の二本線引用部分(年月御名判等、日享上人が後人の偽の追加文と判断された箇所)が、
『弘安五壬午十月十日  日蓮在御判
右此の七箇の大事・唯一人の秘伝なり、聊爾に口外す可からず、云云、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無日蓮大聖人』

(日蓮大聖人より日興上人へ伝「御本尊七箇相承」富要集1巻33頁)
とあり、つまり人物・日蓮大聖人が、年月日・弘安5年10月10日に相伝されたとしているのは、虚偽である、と日享上人は、判断されていたのです。

 

 

★大石寺歴代法主の本抄伝承の御文を紹介

 


「本尊七箇の口伝は七面の決にこれを表す。教化弘教の七箇の伝は弘通者の大要なり。またこの血脈ならびに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承、唯授一人の血脈なり。」(本因妙抄 新2228頁・全877頁)

現代語訳:本尊七箇の口伝は七面の決(七つの箇条書き)によりこれを表します。教化弘教の七箇の伝は弘通者の大要です。またこの血脈ならびに本尊の大事は日蓮嫡々の座主伝法の書であり、塔中相承の稟承であり、唯授一人の血脈です。

本抄のこの御文も、堀日享上人は、後世の追加分である事を認識され、別枠小文字で紹介されているものと思われます。


 

「五年(壬)午二月御書を日興に下ださる死活抄とするなり(御筆西山に之れ有り)、本尊七箇決、教化弘教七箇決、日興に伝授したまふ又、補処遺状日興に下ださる。」(日精上人記「日蓮聖人年譜」富要集5巻138頁)

現代語訳:弘安5年(壬午)2月に(大聖人が)御書を日興上人に与えられ、これを死活抄と称します。(御筆書は西山に有ります)、本尊七箇決、教化弘教七箇決、を日興上人に伝授され、また補処(根拠の補助)として遺状を日興上人に与えられました。                                                                                         

 

「弘安二年に三大秘法の口決を記録せり、此の年に大曼荼羅を日興に授与し給ふ万年救護の本尊と云ふは是れなり、日興より又日目に付属して今房州に在り、此西山に移り、うる故今は西山に在るなり、同三年に一百六箇血脈抄を以つて日興に授与し給ふ、剰ひ此の書の相伝整束して日興に伝ふ、亦本尊の大事口伝あり是れを本尊七箇口決と申すなり、是の故に師に代りて本尊を書写し給ふ事亦多し日興書写の本尊に大聖人御判を加へ給へるあり奥州仙台仏眼寺霊宝其証なり」(「日精上人記「富士門家中見聞上 日興」富要集5巻154頁」

現代語訳:弘安2年に三大秘法の口決を記録しました。この年に大曼荼羅を日興上人に授与していただき、万年救護の本尊と云うのはこれです。また、日興上人より日目上人に付属されて今は房州に在って、これが西山に移り、うる故今は西山に在ります。同3年に一百六箇血脈抄を日興上人に授与していただき、その上にこの書の相伝を整束して日興上人に伝えます。また、本尊に対する大事な口伝があり、これを本尊七箇口決と言います。このおかげで師匠に代って本尊を書写される事も多く、日興上人書写の本尊に大聖人の御判を加えていただく事があって奥州の仙台仏眼寺の霊宝はその証拠です。

大石寺17世日精上人(生没年1600-1683年)も、本抄を御存知で、多く引用されています。

 

 

「冨士に学を立ること哲あり愚あり、就中日目は高祖の侍者、興師の嫡子なれば本尊の大事幷に七箇口決等相伝し給ふ」(「日精上人記「富士門家中見聞上 日興」富要集5巻173頁」

現代語訳:冨士の門家に宗学を立てて見ると哲学があったり愚問あったりします。中でも日目上人は日蓮大聖人の侍者であり、日興上人の嫡子とも言える人なので、本尊の大事並びに七箇口決等を相伝されたのです。

実際にそうだったのでしょうか、後述します。

 

 

「亦本尊七箇決を相伝し給ふ、之れに依て元徳正慶の間師に代って本尊書写したまふ、故に日目書写の本尊数幅之れ有り、されば古より相伝して云く付属の弟子は日目付所の弟子は日代と此の言良に由し有るかな、日代日妙等本尊書写したまふは皆日興入滅の後之を書写す」(「日精上人記「富士門家中見聞中 日目伝」富要集5巻187頁」

現代語訳:また、(日目上人は)本尊七箇決(本尊七箇相承)を相伝されます。これによって元徳と正慶年間に師匠に代って本尊を書写されます。その為に、日目上人書写の本尊が数幅有り、だから古くから相伝して言われています。付属の弟子とは、日目上人付きの弟子は日代上人とこの良き言動に理由があるのでしょうか。日代上人や日妙上人等が御本尊を書写されたが、全て日興上人が御入滅の後にこれを書写されたのです。

日目上人は、御登座(1290)後ながら、日興上人御入滅(1333年)前の正中3(1326)年の御本尊に限って、日蓮在御判のルールを守られず、仏滅年紀も記入されていません。従って本抄は、日目上人の御登座頃では徹底されていなかった、と推察されます。

 

 

「これ則ち蓮祖出世の本懐、本門三大秘法の随一、末法下種の正体、行人所修の明鏡なり。宗祖云く『此の書は日蓮が身に当る一期の大事なり』等云云。故に当抄に於て重々の相伝あり。所謂・・(略)本尊七箇の口決・・(略)宗門の淵底は唯我が家の所伝にして諸門流の知らざる所なり」(日寛上人文段集,『観心本尊抄文段上』443-4頁)

現代語訳:これ(文底下種・観心の本尊)は、つまり日蓮大聖人の出世の本懐であり、本門の三大秘法の随一であり、末法下種の正体であり、行人所修の明鏡なのです。大聖人は『此の書は日蓮が身に当る一期の大事である』等と仰せです。だから当抄(観心本尊抄)において重々の相伝があります。いわゆる・・(略)本尊七箇の口決・・(略)宗門の淵底は唯我が家の所伝にして諸門流の知らざる所なり

本抄での(略)・・(略)には大聖人の数多の相伝が列記されており、その中に「本尊七箇の口決」が含まれていますが、解説書(観心本尊抄文段)中に全く「本尊七箇口決」の紹介は有りません。従って大石寺26世日寛上人(1665-1726)は、名目は御存知なのでしょうが、「本尊七箇口決」の内容は、御存知なかったと推察されます。

 

 

「弘安元年蓮祖妙経の講を延山に開く師其口伝を筆受す世流布の御義口伝と云は是なり、師筆法に善し命を奉する毎に代て本尊を書す仍て其口伝を稟く本尊七箇の口決と云ふなり」(日量上人記「富士大石寺明細誌」富要集5巻320頁)

現代語訳:弘安元年に大聖人は法華経の講義を比叡山で開き、師匠のその口伝を(日興上人が)筆受されました。世間に流布された「御義口伝」と云うのはこれなのです。師匠と筆者は法に善力し命を奉仕する度に、代って本尊を書きます。よって授かったその口伝を「本尊七箇の口決」と云うのです。

大石寺48代日量上人((1771-1851)の時代にも、本抄は伝承されていた様です。

 

 

★本抄の問題箇所を紹介

 

 

「七、日蓮と御判を置き給ふ事如何(三世印判日蓮躰具)、師の曰はく首題も釈迦多宝も上行無辺行等も普賢文殊等も舎利弗迦葉等も梵釈四天日月等も鬼子母神十羅刹女等も天照八幡等も悉く日蓮なりと申す心なり、之に付いて受持法華本門の四部の衆を悉聖人の化身と思ふ可きか。 師の曰はく法界の五大は一身の五大なり、一箇の五大は法界の五大なり、法界即日蓮、日蓮即法界なり、当位即妙不改・無作本仏の即身成仏の当躰蓮花・因果同時の妙法蓮華経の色心直達の観、心法妙の振舞なり、又本尊書写の事予が顕はし奉るが如くなるべし、若し日蓮御判と書かずんば天神地神もよも用ひ給はざらん、上行無辺行と持国と浄行・安立行と毘沙門との間には・若悩乱者頭破七分・有供養者福過十号と之を書く可し、経中の明文等心に任す可きか。
一、仏滅度後と書く可しと云ふ事如何、師の曰はく仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅なりと遊ばさるゝ儘書写し奉るこそ御本尊書写にてはあらめ、之を略し奉る事大僻見不相伝の至極なり。
 一、日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり。」(「御本尊七箇相承」富要集 1巻32頁)

現代語訳:「七、日蓮と御判を書き置かれる事はどうしてでしょうか。(印判して、過去、現在、未来の三世に亘って日蓮の存在を漏れなく知る)、師匠の仰せには、「首題も釈迦多宝も上行無辺行等も普賢文殊等も舎利弗迦葉等も梵釈、四天、日月等も鬼子母神、十羅刹女等も天照八幡等も全て日蓮である」との御心です。これに関して、法華を受持した本門の四部(比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷)の衆生を全て聖人の化身と思うべきでしょうか。 師匠の仰せには、「法界の五大は一身の五大であり、一箇の五大は法界の五大であり、法界即日蓮、日蓮即法界であり、当位即妙不改・無作本仏の即身成仏の当躰蓮花・因果同時の妙法蓮華経の色心直達の観、心法妙の振舞なのです。また本尊書写の事は私が顕わさせて頂いた様にしなさい、もし、日蓮御判と書かなければ、天神地神もまさか用いられる事はないでしょう。上行無辺行と持国天との間、また浄行・安立行と毘沙門との間には「若悩乱者頭破七分」「有供養者福過十号」と書きなさい。経中の明文(経釈の要文)等は(書者の)心に任すべきでしょう。
一つ、仏滅度後と書きなさいと言う事はどうでしょうか。師匠の仰せには、「仏滅度後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大曼荼羅である」と書かれている儘に書き写される事こそが御本尊の書写です。これを略される事は大いなる偏見であり相伝されていない事に尽きるのです。 

一つ、日蓮在御判並びに嫡々代々と書きなさいとされる事はどうでしょうか、師匠の仰せには、「(本尊は)深秘であり、代々の聖人は悉く日蓮である」との意味なのです。

大聖人の御本尊を書写(書き写すこと)するに当って、ルールが決められていたのですが、此れが、大聖人の御在世中では無かった、と推察されています。

 

 

◎この「本尊七箇相承」の御文と「戒壇本尊」の相貌との間に大きな乖離がある事は、法華講員さんもおそらく理解されているでしょう。そして、「歴代法主書写本尊」は、「戒壇本尊」の書写ではなく、本抄のルールに随って執行されていた事も理解されているでしょう。

 

 

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