「日蓮大聖人の出世の本懐」の本意と捉え方 6

 

大石寺歴代僧侶の捉え方 5

 

大石寺 31世 日因上人の捉え方

 

 

日因上人(生没1687-1769年)は、読書家で多くの書物を書き遺されていますが、残念ながら私は所有できていません。今回は、「日有上人の捉え方」でも紹介させて頂いた「有師物語聴聞抄佳跡」の中から、日因上人御自身の御主張部分を記載させて頂きます。

 

 

「日因私に云く此中に宗旨の大事を示す、所謂当宗の即身成仏・事の一念三千の南無妙法蓮華経是なり、此則愚迷を簡はず有無の智を論ぜず師弟和合して御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人の当躰・即無作三身如来なり、日蓮聖人御出世の本懐是なり云云」(日因上人 記『有師物語聴聞抄佳跡 上』富要集1巻188頁)宝暦7(1757)年作、祖滅後475年

現代語訳:日因の私が言います。この(日有上人の説法)中に宗旨の大事を示します。いわゆる当宗の即身成仏、事の一念三千の南無妙法蓮華経がこれなのです。これは則ち愚か者や迷い人を選ばず、智慧の有無を論じることも無く、師弟が和合して御本尊を信じて「南無妙法蓮華経」と唱うる人の当躰が即ち無作の三身如来なのです。日蓮大聖人の御出世の本懐とはこれなのです。

日因上人が考察された大聖人の御出世の本懐は、「楠板本尊」にあるのではなく、御本尊を信じて唱題する民衆の即身成仏を願われた事と理解できます。

 

 

「妙法蓮華の当躰とは法蓮華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり云云、又云く正直に方便を捨て但法華経を信じて南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業苦の三道・法身般若解脱の三徳と転じて三観三諦即一心に顕れ、其の人の所住の処常寂光土なり、能居所居身土心・倶体倶用・無作の三身本門寿量の当躰の蓮華仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり云云、即此の意なり但法華経を信じてとは三種法華経中・第三文底下種法華経なり、熟脱の法華に非ず何ぞ天台宗智恵の法華経を取らんや、彼は迹門理の一念三千の妙法なり、此は本門事の一念三千の妙法なり、仍て当家門人智恵才覚の所用を斥け玉う蓮祖出世の御本旨を破する以ての故なり。」(『有師物語聴聞抄佳跡 上』富要集1巻189頁)

現代語訳:妙法蓮華の当体とは、法蓮華経を信ずる日蓮が弟子檀那等にとって父母、つまり生みの親の肉身なのです。又言います。正直に方便を捨てて但、法華経を信じて南無妙法蓮華経と唱える人は、煩悩・業・苦の三道が法身・般若・解脱の三徳と転じて三観三諦に(三観【空観・仮観・中観】は三諦【空諦・仮諦・中諦】であるとの意で、衆生が観じる一切諸法【三観】は、真如実相の理、空・仮・中の三面【三諦】を有する)即一心(衆生の一心【生命】に円かに備わっている)として顕れ、その人が住む所は、処常寂光土なのです。能居(居住する主体者である仏・菩薩・二乗のこと)所居(仏・菩薩・二乗が住む住処)身土心(身体・土地・心の三つの要素が密接に関連しているとの概念)・倶体倶用(体とその働きが細部にわたって備わっていること)・無作の三身の本門寿量の当体の蓮華仏とは、日蓮とその弟子檀那等の中の事なのです。即ち(全てが)この意味であり、但法華経を信じてとは、三種の法華経中の第三の文底下種の法華経であり、熟益脱益の法華経ではなく、どうして天台宗智恵の法華経を採用するのでしょうか。彼は迹門理の一念三千の妙法であり、此れは本門事の一念三千の妙法です。従って、当家の門人の智恵才覚の所用を用いていません、日蓮大聖人の出世の御本旨を破るからです。

日因上人は、ここでも「日蓮大聖人の出世の本懐」が、宗門の主張する「戒壇本尊の建立」とは述べておられません。

 

 

「次に彼の寺々の謗罪の事は第一に蓮祖の御本懐に背いて私の一見を起し八品所願を立つ故に、信仰の真俗倶に大謗法となるなり第二にはたとひ勅願所祈願所たりとも君臣未だ宗旨に皈入せざる故に、謗法の祈願と成るなり、故に今之に付玉うなり。」(『有師物語聴聞抄佳跡 上』富要集1巻193頁)

現代語訳:次に彼の寺々の謗法の罪は、第一に日蓮大聖人の御本懐に背いて私見を起して(大聖人が言われていない)八品所願を立てた故に、信仰の真俗倶に大謗法となるのです。第二にはたとえ勅願所や祈願所を建立したとしても、主君も家臣もいまだに宗旨に帰依しない為に、謗法の祈願となるのです。だから今、これに付け加えたのです。

私が思うに、御書や歴代法主の古文書には書かれていないのに、さも大聖人が直造されたという「戒壇本尊」の宣揚こそが、大聖人に対して背く事になり、謗法ではないでしょうか。

 

 

「次に戒律の事、出家必す三衣を着す・末法相応の律儀之有り・何ぞ爾前・迹門・小乗等の律義を行はんや、但今戒律持破及び三毒凡夫・但信の一字を以て即身成仏を定む等云うは・大聖出世の御本意に就て申す事なり」(『有師物語聴聞抄佳跡 上』富要集1巻211頁)   

現代語訳:次に戒律の事について、出家者は必ず三衣を着用します。末法時代に相応した律儀がこの様にあります。何故、爾前・迹門・小乗等の律義を行うのでしょうか。ただし今、戒律の持破(を気にする人)や三毒にまみれた凡夫であっても、但々、信の一字を以て即身成仏が成就する等と云うのは・大聖人の出世の御本意にしたがって申す事なのです。

妙法に対する「信の一字」こそ、「大聖人の出世の本懐」に報いる事と述べられていますね。

 

 

◎「『大聖人の出世の本懐』に関する大石寺の歴代法主の捉え方」の紹介は、今回までで、次回の「要法寺の日辰上人の捉え方」で本シリーズを終わります。結局、26世日寛上人以外の御法主では、「戒壇本尊の建立」を重大事とされ「大聖人の出世の本懐」と記された御文は見つかりませんでした。また、近代の52世日霑上人(生没1817-1890年)の「祖文纂要」や58世日柱上人(生没1865-1928年)の「南無日蓮大聖人」の宗門紹介書物からも、当然ながら「弘安二年十月十二日」や「本門戒壇の大御本尊」なる語句は全く見当たりませんでした。

 

 

 

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