日蓮大聖人の御生活の状況 前     


日蓮大聖人が御弟子達に送られた御消息文より、大聖人の御生活状況を考えてみたいと思います。

 


「けかち(飢渇)申すばかりなし米一合もうらずがし(餓死)しぬべし、此の御房たちも・みなかへして但一人候べし、このよしを御房たちにもかたりさせ給へ。」(富木殿御書964頁 文永11517日 53歳御作)

【通解】 飢餓状態は言いようがないほどです。米は一合も売ってもらえないので、餓死するかもしれません。ここにいる御房達も皆養うことができないので里へ帰して、ただ一人この山にいることにしましよう。 この事情を御房達にも語りお聞きいただきたいです。


「日蓮が身の賤きについて巧言を捨てて候故に国既に亡びんとする・かなしさよ、又日蓮を不便(ふびん)と申しぬる弟子どもをも・たすけがたからん事こそ・ なげかしくは覚え候へ。いかなる事も出来候はば是へ御わたりあるべし、見奉らん。山中にて共にう()え死にし候はん。」(乙御前御消息1222頁 建治 元年84日 54歳御作)

【通解】 日蓮の身分が下賎であるとして、その正しい主張を捨てて用いない故に既に国が亡びようとしているのは、悲しいことです。また、日蓮を不便と思って仕えてくれた弟子達をも助けがたいことが嘆かわしいのです。 どのような事でも起こったならば、この身延へおいでなさい。心からお迎えしましょう。山中 でともに餓え死にしましょう。


「むくりのおこれるよし・これにはいまだうけ給わらず、これを申せば日蓮房はむくり国のわたるといへば・よろこぶと申すこれゆわれなき事なり、かかる事あ るべしと申せしかば・あだがたきと人ごとにせめしが・経文かぎりあれば来るなり・いかにいうとも・かなうまじき事なり、失もなくして国をたすけんと申せし 者を用いこそあらざらめ、又法華経の第五の巻をもつて日蓮がおもてをうちしなり、梵天・帝釈・是を御覧ありき、鎌倉の八幡大菩薩も見させ給いき、いかにも 今は叶うまじき世にて候へば・かかる山中にも入りぬるなり、各各も不便とは思へども助けがたくやあらんずらん、よるひる法華経に申し候なり」(南条殿御返 事1535頁 建治2年閏324日 55歳御作)

【通解】 蒙古が攻めて来るとの事は、まだ此方では伺っていません。蒙古の事をいうと「日蓮房は蒙古国が攻めてくるといって喜ぶ」と言っている様だが、それは謂れの無い事です。この様な事があるであろうといったので、仇、敵の様に人々は日蓮を責めたのですが、経文に説かれているので、 攻めてくるでしょう。どの様にいわれようとも、いたし方ないことです。 何の罪もない、ただ国を助けたいという者を用いようとしないばかりか、法華経の第 五の卷をもって日蓮の顔を打ったのです。梵天・帝釈はこれを御覧になっていたし、鎌倉の八幡大菩薩も見られた。どんなにしても、今は諌めを聞き入れられな い世であるから、このような山中に入ったのです。あなた方のことを不憫とは思うけれども、助けることは難しいでしょう。しかし昼夜に法華経に祈念しています。


 


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