帝國海軍二等輸送艦第101号 【戦史考察編】 | Model world

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素晴らしい模型の世界に魅せられました。

1/700 タミヤ

大日本帝國海軍 二等輸送艦101号型(前期)

 

永い間放置していたものの為、色々と忘れてしまっていることも有り、最初の記事で103号型、との紹介をいたしました。

 

しかし、それは誤りで、103号型は石炭燃焼の蒸気機関になっていることから、煙突が艦橋直後に斜めに取り付けられています。

 

当時の記録を紐解き、当該2等輸送艦が101号型であることを確定させていますので訂正します。

 

全生産数は60隻ほどかと思いますが、その内101号型はたったの6隻しか建造されていません。

この2等輸送艦『第101号』ですが、猛砲爆撃の中強行接岸して揚陸を成功させた歴史的事実をジオラマで再現する為にも、戦史から背景を考察してみました。

 

興味のある方は是非最後までお付き合いください。

 

 

 

まず、二等輸送艦が活躍した場所の考察からです。

 

太平洋戦争も末期。

 

連合艦隊も壊滅し、絶望感漂う時期です。

そんな中、どうやって敵前上陸作戦を敢行したのでしょうか。

 

こちらはフィリピンの地図です。

航空写真の輪郭をとって縮小して私が作ったものですが、面倒なので小さな地図を使ったものですから、高精細ではなく見辛くなっていますがご容赦を。

 

は、レイテ島のオルモックという場所を示し、青は、アメリカの大艦隊が終結しているレイテ湾となります。

 

アメリカ軍は、青のレイテ湾側から上陸を開始し、帝國陸海軍は、赤オルモックを中心に敵前上陸を果たしていきます。

 

その中心となったのが、一等輸送艦、二等輸送艦だった訳です。

 

その壮絶な衝撃の歴史を紐解いてみます。

 

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1944年10月17日アメリカ軍を主力とした連合軍は、フィリピンレイテ島東側のレイテ湾に集結し、上陸作戦を開始します。

これを阻止する為に、帝國海軍連合艦隊は捷1号作戦を発動し、3作戦軸
 ・小澤艦隊:

  囮艦隊と言われるが間違え。
 ・栗田艦隊:

  サマール沖からレイテ湾へ突入し、上陸部隊を壊滅させる役割

 ・西村艦隊:

  スリガオ海峡北上レイテ湾へ突入する役割

を発動してフィリピン沖海戦が起こります(最近一括りにレイテ沖海戦と呼ぶ場合がありますが制式ではありません)。

その結果は、

帝國海軍連合艦隊
沈没
 航空母艦『瑞鶴』『瑞鳳』『千代田』『千歳』
 戦艦『武蔵』『扶桑』『山城』
 重巡洋艦『愛宕』『摩耶』『鳥海』『最上』『鈴谷』『筑摩』
 軽巡洋艦『能代』『多摩』『阿武隈』
 駆逐艦『野分』『藤波』『早霜』『山雲』『満潮』『初月』『秋月』『若葉』
 潜水艦『伊26』『伊45』『伊54』


大破
 重巡洋艦『高雄』『妙高』『熊野』『那智』
 駆逐艦『初霜』『浜風』


連合軍

沈没
 航空母艦『プリンストン』『ガンビアベイ』『セントロー』
 駆逐艦『ホエール』『ジョンストン』『サミュエルBロバーツ』
 潜水艦『ダーター』


大破
 航空母艦『サンガモン』『ファンショウベイ』『カリニンベイ』『キトカンベイ』『ホワイトプレインス』『サンティ』『スワニー』
 重巡洋艦『オーストラリア』
 軽巡洋艦『ホノルル』『バーミングハム』
 駆逐艦『ロス』『オーリック』『ベニオン』『アルバートWグラント』『デニス』


帝國海軍連合艦隊はここで事実上壊滅しました。
この時実戦で初めて帝國海軍もレーダー射撃を行っていますが、帝國海軍もアメリカ海軍もレーダー射撃の有用性を評価しておきながら、どちらも戦果に繋がっていないことが判っており、戦果としてはそう大差はありませんでした(昔はアメリカのレーダー射撃は評価されていましたが事実にかけ離れていたことが最近判明しています)。

この捷1号作戦の裏側、同時並行で航空兵力の激突と、帝國陸軍と帝國海軍の陸上合同作戦が行われています。


レイテ島の東側へ上陸した連合軍が、橋頭保から内陸に進軍し、飛行場を建設してしまうと是手遅れ、と総力を挙げて阻止しようとしました。

海軍側はその作戦を『多号作戦』と呼称しました。
多号作戦は第9次まで行われました。

 

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1944年10月23日
第1次輸送作戦発動。
最初の増援輸送は、第1輸送隊はルソン島、第2輸送隊はミンダナオ島のカガヤンからレイテ島西岸オルモックへと行われます。

 

ブルネイから北上する護衛艦隊の編成は、重巡洋艦『青葉』軽巡洋艦『鬼怒』駆逐艦『浦波』。

 

しかし護衛任務に就く前、重巡洋艦『青葉』が雷撃で損傷。

軽巡洋艦『鬼怒』に曳航してもらい何とかマニラへ辿り着きます。

 

第1輸送隊はマニラに有り、1等輸送艦『第6号』『第9号』『第10号』、第2輸送隊はミンダナオ島カガヤンに有り、2等輸送艦『第101号』『第102号』で編成され、軽巡洋艦『鬼怒』駆逐艦『浦波』が護衛してオルモックへ輸送作戦を実施することになります。

1944年10月26日
第1次輸送作戦第1輸送隊はそれぞれの輸送艦がオルモックに無事接岸して兵員と補給物資を揚陸し、概ね成功しましたが、帰路で大きな損害を出してしまいます。
襲撃を受けた輸送艦隊を救援する為に向かった駆逐艦も撃沈されて戻りませんでした。

 

沈没

 軽巡洋艦『鬼怒』
 駆逐艦『浦波』『不知火』『早霜』『藤波』

 

大破
 重巡洋艦『青葉』
 

1944年10月28日
第2輸送隊2等輸送艦『第102号』がオルモックに向かう途中、ネグロス島付近の空襲で撃沈。

『第101号』は猛砲爆撃の中、ボホール島の第102師団独立歩兵169大隊の増援輸送に成功しています。

 

トーマス・スプレイグ少将の第77.4任務部隊(栗田艦隊から逃げた護衛空母艦隊)は度重なる損耗で疲弊していたものの、未だ空母10隻を保有する十分過ぎる戦力を保持していました。

 

この艦隊艦載機がオルモック強行上陸作戦実行中の2等輸送艦『第101号』に襲い掛かります。

 

猛砲爆撃の中、満載していた陸軍部隊、及び2式内火艇、97式中戦車などを揚陸し、あとは補給物資を半分ほど揚陸することに成功しますが・・・

 

延べ数ではなく、実数で80機の艦載機の空襲を受けて、離岸して退避をすることも間に合わず、その場で擱座、撃破されてしまいます。


タミヤの1/700輸送艦(1等、2等)のボックスアートはこの際の揚陸作戦を表現していると思われますが、猛砲爆撃のさ中行われた強行接岸であるのに、猛砲爆撃が描写されておらず、違和感がありますね。

沈没
 二等輸送艦『第101号』『第102号』

 

 

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1944年11月1日
第2次輸送作戦発動。
この作戦は、完璧と言ってよいほどの出来であり、損害も大変軽微で90%の救援兵力や物資揚陸に成功しており、本作戦で最も有名な輸送作戦です。勿論1等輸送艦、2等輸送艦も参加しています。

 

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1944年11月4日
第3~第4次輸送作戦発動。
ある意味悲劇的な作戦として有名です。
 

第3次作戦は準備に手間取り、作戦準備中であった重巡『那智』はマニラ湾で空襲によって撃沈、駆逐艦『曙』『沖波』も大破。輸送船2隻と海防艦1隻も沈没します。
 

そんな中、第3次作戦に先駆けて、第4次作戦が11月8日先に発動します。
11月9日の天候回復と同時に空襲を受け、接岸に必要な大発が機銃ハチの巣に空いた穴の影響から多くが使用できなくなり、海防艦に移乗してから桟橋に接舷する、という有様。猛砲爆撃の中それを行うという残酷な事態。
 

11月10日朝には揚陸作業は打ち切られ、兵力の上陸には成功できましたが携行兵器のみでの上陸となったことから重火器の一切を陸揚げできませんでした。
遅れて9日に出立した第3次作戦隊ですが、帰路すれ違った第4次作戦隊の駆逐艦『長波』『朝霜』『若月』と『初春』『竹』をexchangeして、オルモックに進出していきます。
 

しかし11日、オルモックを目の前に雲霞の如く第38任務部隊の艦載機の襲撃に合い、駆逐艦『朝霜』以外全滅という第3次輸送隊は大惨事となってしまいます。
輸送船と共に陸軍の大部隊も船と共に運命を共にしました。

沈没
 重巡洋艦『那智』
 駆逐艦『島風』『浜波』『長波』『若月』


大破
 駆逐艦『曙』『沖波』

これによりレイテ島への補給は断絶し、上陸した部隊も弾薬、糧食の不足に苦しむことは明白であることから、第5次輸送作戦以降は軍需品の輸送に切り替えられることになります。

作戦準備中の11月13日と14日、第38任務部隊によるマニラ空襲でマニラ在泊中の艦船は大打撃を受けてしまいます。

沈没
 軽巡洋艦『木曾』
 駆逐艦『沖波』『秋霜』『初春』『曙』


 

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11月24日

第5次輸送作戦発動。
残存の松型駆逐艦、睦月型駆逐艦、1等輸送艦、2等輸送艦、駆潜艇を主力として多号作戦を続行することになります。
 

純粋な意味での輸送艦は前述のマニラ空襲で全艦沈没してしまっており、駆逐艦と1・2等輸送艦、駆潜艇のみの戦力での続行は軍需品のみに限定とされます。興味深いのが、この時に陸軍潜水艦「〇ゆ」が3隻も投入されました。


第5次輸送作戦第1梯団は、2等輸送艦『第111号』『第141号』『第160号』を駆潜艇『第46号』が護衛するもので、11月23日にマニラを出航します。しかし、良く24日午後、空襲を避けて島影に退避していたところを見つかり、全艦撃沈されました。2等輸送艦は、輸送を成功させる確率が高かったのですが、このように輸送を成し遂げずに撃沈されていったものも一部ありました。

第2梯団は、輸送艦『第6号』『第9号』『第10号』を駆逐艦『竹』が護衛するもので、11月24日にマニラを出航しましたが、往路25日に空襲に遭います。『第6号』『第10号』が撃沈され、船団は引き返し、オルモックにはたどり着けませんでした。

 

写真は米軍と見間違えるような迷彩が施された第159号


沈没
 2等輸送艦『第111号』『第141号』『第160号』
 駆潜艇『第46号』


 

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11月27日

第6次輸送作戦発動。
輸送船『神祥丸』『神悦丸』を駆潜艇『第45号』『第53号』、哨戒艇『第105号』で護衛するものです。
この時、執拗な日本軍の攻撃にアメリカ軍も悩まされており、疲弊も相当なものとなっていたことから前線を後方に下げました。
そのような実情もあり、空襲には逢いましたが全艦オルモックに到着し、第26師団の補充兵員と補給物資の揚陸も全て成功しました。
しかしながら揚陸後にオルモックからセブ島海域で全艦撃沈されています。

沈没
 駆潜艇『第45号』『第53号』
 哨戒艇『第105号』

 

 

第7次、第8次は壮絶な戦闘になる為、オルモック夜戦という名称もつきます。

こちらは後日付記したいと思います。

 

急な興味が湧いたことでもあるので、調べたところセブ島沖にあるのがレイテ島。

7日間程度であれば、九州や沖縄へ行くより経済的に安く行けるはず。

 

ということで、3月に現地視察に行ってこよう、と画策をしてみます。

どうせ模活できませんしキョロキョロ

 

損耗も激しい2等輸送艦でしたが、生き残りはゴジラ-1.0で描写されたように、復員船として大活躍しました。

 

出典:

戦史叢書48巻 375~389頁「多号輸送計画の概要」「米機動部隊のルソン空襲と輸送船団出航遅延」他