緊急事態条項=ナチスの手口 2-1 | きなこのブログ

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[報道ステーション]ワイマール憲法から学ぶ自民党憲法草案緊急事態条項の危うさ  (文字起こし)【前半】
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=108461
 
素晴らしい、渾身の特集だと思います。
 
古館氏が「日本で、ナチ、ヒトラーのようなことが起きるなんて到底考えておりません」と断りを入れていますが、映像を観ると、今まさに安倍政権がナチスの後を辿ろうとしていることが、はっきりと印象付けられ、危機感を覚えます
 
多くの人がこの動画を観ると、安倍政権の正体を見破ることができ、日本の未来が変わる、そのような思いがします。

報道ステーション:ワイマール憲法から学ぶ自民党憲法草案緊急事態条項の危うさ
転載元より文字起こし) YouTube 16/3/20
https://www.youtube.com/watch?v=wLKaJje0bO0

古館
「憲法改正というのが、徐々に視野に入ってまいりました。ならば、あの緊急事態条項から動いていくのではないかということに関して、もっともっと議論が必要なのではないか。
 
その場合に、専門家の間ではドイツのあのワイマール憲法の国家緊急権、この教訓に学ぶべきだという声がかなり上がってきているのも事実であります。
 
その国家緊急権を悪用するかたちで、結果、ナチの台頭があった。
 
ですから、これからご覧いただく中に、思わず目を背けたくなるような映像が入っています。
 
しかしドイツで実際に起きたこと。
 
ありのままに放送しようという結論に至りました。
 
そこはご了承いただきたいと思います。
 
もちろん日本で、ナチ、ヒトラーのようなことが起きるなんて到底考えておりません。
 
しかしながらですね、将来、緊急事態条項を日本で悪用するような想定外の変な人が出て来た場合、どうなんだろうということも考えなければという結論に至りまして、私、一泊三日でワイマールに行ってまいりました。
 
ドイツ・ワイマール
 
 
古館
「朝方の雨が上がりました。そのせいか、だいぶ人通りが多くなってきたような気がします。
 
そして、私が立っている後ろ、国民劇場です。
 
今夜はゲーテのファウストが上演されるということですが、この向かって左手の人物が、その文豪ゲーテ。
 
そして右側が、あの年末吉例、第九の歓喜の歌の詩人シラーです。
 
見た所、シラーがゲーテに軽く突っ込みを入れている感じがしています。
 
 
さて、第一次世界大戦後、今から100年近く前に、当時、世界でも最も民主的と言われたあのワイマール憲法が、この劇場でまさに制定されたんです。
 
第一条は、もちろん国民主権
 
そして、男女平等、思想信条の自由、その基本的人権を尊重する
 
日本国憲法も大きく影響を受けたわけです。
 
 
さて、このプレートに、そうです。
 
1919年8月11日、ドイツ国民はこの場所でワイマール憲法を制定したとしっかり書いています。
 
ただ、ここでちょっと見てもらいたいものがあります。カメラさん、引いていただけますか?
 

これがいまの国民劇場の前の広場。
 
同じ場所ですが、トンと飛んでこれ、1926年のこの広場です。
 
ワイマール憲法制定から、わずか7年後のこの1926年。
 
ナチスの第2回党大会が開かれている様子です。
 

アドルフ・ヒトラー、ナチ。
 
国民社会主義ドイツ労働者党を率いて、独裁体制の元、第二次大戦を引き起こしてユダヤ人の大量虐殺という大惨事を生んだ。
 
でもヒトラーというのは、軍やクーデターで独裁を確立したわけではありません
 
合法的に、実現しているんです。
 
実は、世界一民主的なはずのワイマール憲法の1つの条文が、独裁に繋がってしまった
 
そしてヒトラーは、遂にはワイマール憲法自体を停止させました。
 
 
だから、先ほどのこのワイマール憲法制定のプレート、これも親衛隊に一時外させています。
 
今のプレートは戦後また、同じ物をかけ直したというわけです。
 
ヒトラー独裁への経緯というのを振り返っていくと、日本がそういう風になるとは到底思わない。
 
ただ、今日本は憲法改正の動きがある。
 
立ち止まって考えなくちゃいけないポイントがあるんです。
 
 
ワイマールの街を代表するホテル。
 
ホテル・エレファントです。
 
このホテルをとてもヒトラーは気に入ったと言います。
 
最終的にこのホテルは、ナチが経営をしていたんです。
 
二階には、かつてナチが会議室に使っていたという部屋があります。
 
ここです。
 
今は綺麗に改装されて、客室になっています。
 
そして続きにバルコニーがあります。
 
ヒトラーはこのバルコニーに出て、パレードを謁見していた。
 

当時のドイツは、第一次世界大戦に負けて巨額の賠償を抱え込んだ。
 
しかし、経済においては、一旦においては立て直すことができた。
 
 
その後です。世界恐慌が起きてしまった。失業者が街に溢れた。
 
さらには、失業していない人々の心の奥にも、失業への恐怖というのが渦巻いていた。
 
そういう中でヒトラーは、経済対策と民族の団結を全面に打ち出していった。
 
そして表現がストレートだった。
 

「強いドイツを取り戻す」「敵はユダヤ人」だと憎悪を煽った。
 
演説が得意だったというヒトラーは、反感を買う言葉を、人受けする言葉に変えるのが上手かった。
 
例えば、独裁を「決断できる政治」、戦争の準備を「平和と安全の確保」、といった具合です。
 
 
アドルフ・ヒトラー
「平和を愛すると共に、勇敢な国民になってほしい。この国を軟弱ではなく、強靭な国にしたいのだ。この道以外にない。」
 
古館
「ヒトラーの腹心ヘルマン・ゲーリングも、後にその手法を語っている。」
 

ヘルマン・ゲーリング
国民は指導者たちの意のままになるそれは簡単なことで自分たちが外国から攻撃されていると説明するだけでいい。
 
平和主義者に対しては、愛国心が無く国家を危険にさらす人々だと批判すればいいだけのことだ
 
この方法はどこの国でも同じように通用する。』
 
古館
「ヒトラーの息遣いはどんどん、どんどん大きくなっていった。
 
ただ、ドイツの憲法は、世界一民主的なあのワイマール憲法ですよ。
 
独裁なんてものが許されるわけがないんです。
 
じゃあヒトラーはどうしたんだと。
 

実は使ったのは、ワイマール憲法の第48条「国家緊急権」というやつなんです。
 
これがポイントです。
 
これは、国家が緊急事態に陥った場合に大統領が、公共の安全と秩序、これを回復するために、必要な措置をとることができる。
 
大統領が何と一時的には、何でもできちゃうという条文だったわけです
 
この条文が、実はヒトラーに独裁の道を遂に開かせてしまった。
 
じゃあ何で、そもそもこの条文が入っていたのかと言いますと、憲法を当時作った人たちがですね、国民の普通選挙による議会制民主主義というものを、実はまだ完全には信用していなかったんですね。
 
国民の、男女平等選挙による議会っちゅうのは初めてのことですから、言ってみれば、憲法を作ろうとしていた人たちが、まさにこのぎっしり詰まったソーセージのように、疑いをぎっしりと詰め込んでいたということなんです。
 
庶民は全く信用されていなかったということなんですね。
 
でも、ヒトラー以前には、この条文は実は何回も使われていたんです。
 
議会が紛糾して全く動かなくなる、さあどうしよう、法律を通さないといけないという時には、何回もこれは使われていた。
 
しかしヒトラーは、完全にこれを悪用したということなんです。