抜苦の術は、正行にあらざれば得ず

(空海 「平城天皇灌頂文」)


苦しみから脱する方法は、正しい修行以外にはない

苦しいときこそ、正しい道を行け。

(「空海 魂をゆさぶる言葉」より)


誰しも、人生のなかで辛く苦しい時期があると思います。

そんな時には、直面する問題から逃げようとしても、新たな問題が追ってくるものです。

自分が進むべき正しい道とは何か、頭を冷やして十分考えることが大事かもしれません。


弘法大師が我々に残していただいた言葉の多くは、

何か難しい内容を言われているのではなくて、

このような人生の基本的な原則を大事にするように教えておられます。

それを実践するかしないかが、暗闇の世界に行くのか、輝く世界に行くのかを

分けているのかもしれませんね。
昇悟の機、仰がずんばあるべからず

    (空海「性霊集」)

奇跡というものは、神様が気まぐれにプレゼントしてくれるものではなく、

強い思いや、願いがあってこそ起きるもの。

悟りを開く機会というものも、常に心に願っていなければやってこない。

純粋な熱意と願いを持ち続ければ、奇跡は起こりうるものなのです。

(「空海 魂をゆさぶる言葉」より)


まずは、絶対にこうなりたいと「念を起こす」ことからスタート。

そして、その念を、いつも強く持ち続け、実現できた姿をいつもイメージすること。

その強い思いから、奇跡と呼べるような出会いや、チャンスが巡ってくる。

奇跡というものは、人間の強い思いから起こるものなのですね。
「身分の高い者も貧しい者も、むなしさを抱えて出かけてきて、満ち足りた気分で帰った。

 近い者も遠い者も、その光を求めて集まるようになった。」


これは空海が唐で出会った師である恵果和尚を追悼する碑文にあります。

恵果和尚の徳の高さには及ぼなくとも、自分とひとときを過ごした人が、

「満ち足りた気持ちで」帰ってもらえるような人を目指しませんか。

              (「空海 魂をゆさぶる言葉」より)


むなしさを抱えてやってきた相手に、満ち足りた気分で帰ってもらうのは簡単なことではないかもしれません。

でも、優しい言葉をもって少しでも相手のことを理解しようとすることはできるはずです。

コロナで人に接する機会が少なくなってきていますが、いつもそういう姿勢で人に接したいものですね。






迷・悟、われにあれば、発心すればすなわち到る。

迷・悟、おのれにあり、執なくして到る。

     (空海「般若心経秘鍵」)


迷いも、悟りも、すべて自分のなかにあるのだから、

修業を決意すれば、必ず悟りの境地に達することができる。

失敗が怖いなどというとらわれを捨て、自分の行く道を信じる。

勇気をもって足を踏み出せば、きっと思いはかなうのです。

   (「空海 魂をゆさぶる言葉」より)


自分はもっとこうなりたい、いつか夢を実現したい・・・

人は、頭のなかでは色々と目標を考えたりするものです。

しかし、多くの人は、できない理由を色々考え出して一歩が踏み出せないものです。

でも、明日から出家するとか、いきなり大きな一歩を踏み出す必要もないと思います。

大きな夢を実現するための、小さな目標、例えばそのための本を読み始めるとか、

朝もっと早く起きるとか何でもよいので、とにかく小さな一歩を踏み出すことです。

その一歩を確実に歩むことが、大きな夢につながるに違いないでしょう。
凡夫は善悪に盲いて、因果あることを信ぜず

ただ眼前の利のみを見る、何ぞ地獄の火を知らん

          空海 「秘蔵宝鑰」


凡人は、因果応報の理を知らず、平気で悪いことをしている。

眼の前の自分の利益ばかり考える人に、どうして地獄の恐ろしさがわかろうか

恥じることもなく様々な悪いことをして、そのくせ自我がどうのと主張する。

迷いの世界にとらわれて、それで満足している。

それでどうして煩悩の鎖から逃れられようか。  

        (「空海 魂をゆさぶる言葉」より)


弘法大師の非常に厳しいお言葉に、少し驚いてしまいました。

それだけ因果応報の理(ことわり)を理解することが大事なのだと思います。

大師の時代から1200年近くが経過しても、同じようなことが繰り返されているのかもしれません。

自己優先ばかりではなく、人のこと、世の中のことを優先して考えて行動する「菩薩行」を実践することで、

因果応報を良い方向に動かし、迷いの世界から脱出したいものですね。
実義を知るをば、すなわち真言と名づけ、

根源を知らざるをば、妄語と名づく

       空海「声字実相義」


真実のことばだけが苦を楽に変える、

いつわりのことばは、苦悩を深めるだけだ。

受け身でいるだけでは、ことばの真実は見抜けない

   (「空海 魂をゆさぶる言葉」より)


人は、真実の言葉も、根拠のない妄想や他人から聞いた嘘も真実のごとく話すものです。

そして私たちは、情報化社会になって、日々膨大な数の言葉に接しています。

その多くは妄語かもしれませんが、なかには大事な真言も含まれているはずです。

それを見分ける力をしっかり持つことが、幸せな人生を送るためにとても大事なことです。


受け身になって、テレビやネット、周りの人の言葉をそのまま信じてはいけません。

自分自身で真言と妄語を仕分ける力をつけていきましょう。

できるだけ真実の言葉を語る人と交わり、真実の言葉で書かれた本を読むことで学び、

自分を高めていことです。日頃からできるだけ善い人、善い本に接するようにしましょう。

そうすれば、真言と妄語の違いを見抜く力がついてくるのではないでしょうか。
五大に皆、響きあり、

十界に言語を具す。

六塵、ことごとく文字なり、

法身は、これ実相なり。

(空海「声字実相義」)


自然界の響きは宇宙の声であり、すべて仏のことばである。

風も光も緑も水も、すべては仏からのメッセージなのだ。


五大:自然界(地・水・火・風・空)

六塵:外から受ける感覚(色・声・香・味・触・法)


緑の美しさに目を向け、風の音に耳をすまし、

食事として命をいただくことに今日も感謝しましょう。

 (「空海 魂をゆさぶる言葉」より)


自然の声に耳を傾けることは、日頃はなかなかないかもしれません。

しかし、それが宇宙や仏様からのメッセージだとすれば、

心静かに耳を傾ける時間を持つことが大事だと思えるようになります。

近年の豪雨や豪雪の増加は、人間に対する何かのメッセージなのでしょうか。

近所の神社にある大きな木も、自分に何かを伝えたいと思っているかもしれません。

静かに心を向ける時間を持つようにすれば、色々なことを教えてもらえると思います。
人と生まれた以上、
 
 本当に自分を究尽し、修練すれば、
 
 何十億も人間がおろうが、人相はみな違っているように、
 
 他人にない性質と能力を必ず持っている。
 
 それをうまく開発すれば、誰でもそれを発揮することができる。
 
 これを「運命学」「立命の学」という。これが東洋哲学の一番の生粋である。

    (「安岡正篤活学一日一言」より)  


自分は他の人と何が違うのだろうか?

自分は何が好きで、何を得意としているのだろうか?

勉強や運動が得意という人もいるでしょうが、それは一握りの人たちにすぎない。

数学ができなくても、サッカーができなくても、自分には別に何か得意なことがあるはず。

それが見えないうちは、いったんは、社会の枠にはまってみるのも悪くはない。

社会に揉まれながら、自分の得意なこと、特徴、性質を理解していくのもよい。

仕事の中にあるのか、住んでいる地域のなかにあるのか、家庭のなかにあるのか、どこかに自分を活かせる道があるに違いない。

自分の好きなこと、得意とすることを活かして少しでも誰かの役に立てたらとても素敵なこと。

それを目指すこと、志すことを東洋哲学では「立命」、「命を立てる」と言い、

そのために学ぶことを「立命の学」と言うそうです。

命を立て、自分を日々少しづつでも向上させ、輝いていくことが一番幸せなことではないでしょうか。
いつまで暗闇にいるつもりか。

闇から光の世界に生まれてきたのだから、

心を仏の光で満たさないでどうするのか



生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く

死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し

          空海 「秘蔵宝鑰」

    (「空海 魂をゆさぶる言葉」より) 


仏教では、この世は苦で満たされていると言うと同時に、

仏の光は、誰にでも全員に注がれていると言います。


結局、人間は本来全員が光の世界にいるはずなのに、

我欲から自分で自分を暗闇に押しやって、何度も何度も同じ人生を繰り返しています。


あるとき、そこに気が付いて自分は光の世界にいるのを感じることを、

悟り「enlightenment」と言うのでしょう。
迷いの世界に狂える人は、自分が狂者であることを知らず、

盲目に等しい生きものたちは自分が盲目であることに気づかない



三界の狂人は狂せることを知らず、

四生の盲者は盲なることをさとらず

      空海 「秘蔵宝鑰」

三界:「欲界」「色界」「無色界」(人々の迷いの世界を3種に分けたもの)

四生:「卵生」「胎生」「湿生」「化生」(仏教における生物の分類方法)   

      (「空海 魂をゆさぶる言葉」より)


自分の今を自分で把握することはとても難しいことです。

心がスッと落ち着いていたら、自分の心の動きや相手のことも繊細に感じることができます。


しかし、何かに執着していたり、自分の損得だけで考えていると、

自分で自分が見えなくなり、周りからすると離れていきたくなるような言動をとってしまいます。


せめて一日一回、自分は欲におぼれる狂人でなかったか、周りがちゃんと見えていたか、

振り返ってみたいものです。


自分は大丈夫!と思っている人ほど、小さなところで何かに執着しているものです。

さすがに狂人ではなくても、因果の法則で将来に必ずその影響がでてきます。

自分を振り返ることはとても大事なことなんですね。