死に向かえるから楽しいんだ人生は
昔は体力があった方で、臆病でもあったが故に自殺は
僕なんて生き物には不可能なことだと思っていた。
今日、初めてつらい過呼吸に遭った。
微熱が出て息苦しいのが1ヶ月続くなんてことはあったけど、
すぐに苦しくなったのは初めてだった。
きっと体力が落ちたからすぐに症状が出るようになったのだろう。
ああ、やっとだ。
これでやっと。
後もう少し。
もう少しで、抗いようのない死が僕を襲う。
もう少しで、死ねる。
長かった。
抗えるものなら抗ってみろ馬鹿者。
人を傷付けない嘘は冷酷ですか
父親の態度は直せない。
直せないというよりはそれに力を入れるのは非効率的だ。
だったら父親は気持ちよく持ち上げておいて自分たちは
上手く立ち回ったらいいじゃないか。
父親の態度に不満を持ち解決にもならない心的疲労を溜め込んでる
母親にそういった。
どの道、不必要に心的疲労を溜めても状況は好転しないのだし。
そうしたら
「なんだか寂しい家族だね」
と不満そうな口調で言われた。
人のプライドを傷付けないように、
且つ、自分の目的を果たすことの何が寂しいのだろうか。
父親はある目的が問題で捻くれるわけではない。
プロセスが問題なのだ。
すべてがそうではないが、それで回避できることもある。
母親は弟の家庭環境を憂うのであるが、
本当にそう思うのであればイザコザを避けるべきだ。
しかし彼女は自分のプライドを守る為か、
良心的な目で見れば父親に気付かせる為に真っ向からぶつかる。
大事なことかもしれないが割を食うのは僕と弟だ。
上手く立ち回ることができればうちは楽な家族なのだ。
昔は大変だったかもしれないが今は特に楽なのだ。
誰も嫌な思いをしない平和的解決だというのに。
人が傷付くだろうと思ったことを黙っていることは悪なのだろうか。
良いように変換して言うのは悪魔の所行なのだろうか。
感情すら殺して、真実すら闇の中であっても、
それは嘘になってしまうのだろうか。
どうしたら喧嘩は止まるのだろうか。
ずっと、止まらないんだ。
弱者
弱さは悪だ。
そう、断言するのは危険だ。
それはわかっている。
善いものではないが、決して悪でもない筈だ。
そんなことはわかっている。
偽善と叫ぶ心を宥めて「弱さ」というものを許さねばならない。
それが強さだからだ。
そう、「弱さ」を許せるのが「強さ」だ。
それができない己の弱さがただただ憎い。
弱さ故にあらゆるものを失い、失いながらも何も言えない。
誰にも助けを求められない。
誰にも理解されない。
つまらない、痛みすら感じない現象に打ち負ける。
その「弱さ」が憎い。すべてを奪う「弱さ」が憎い。
そんな弱い俺が、どうして「弱さ」を許せる強者になれようか。
憎い。
弱い心が。
死んでくれ。
頼むから死んでくれ。
死んでしまえ。
死んでしまえ。
細胞
人は一つの細胞である。
「人類」という大きな生物の一つの細胞である。
古い細胞から新たな細胞を生み、
新たな細胞は受け継いだ情報を元に営みを始める。
その伝達が間違えば困ったことになる。
が、まあ、少数であればなんとかなる。
その為の数である。
数とは厭らしい言い方に聞こえるかもしれないが、
僕には安心の材料でもある。
一人あたりの価値が減るのかもしれないが、
一人あたりの責任も減るのだから。
一つの大きな「人類」を生かすのが我々の仕事である。
「意味」も「自分」も何もない。
ルーティンで当たり前なのだ。
何億年、ルーティンを繰り返してきたというのだ。
思うままにやりたいことがあるならやったらいい。
今までの仕事さえやっていれば追加するのは勝手なのだ。
僕らの細胞としての営みは生むことだけではない。
「維持」「発展」も立派な仕事だ。
ゴキブリは毒の耐性を作る為に多くのタンパク質を必要とする。
そうすると子供の数が少なくなってしまう。
しかし、生まれた子供は毒に強い個体になっている。
が、この世の危険は毒だけではない。
折角作った毒耐性個体も天敵に食べ尽くされてしまっては意味がないのだ。
そこで耐性を敢えて作らない個体も存在する。
その個体はどんどん子供を生む。
沢山生む者。今までの正攻法を進む者。
新たな問題を解決しようとする者。
僕はゴキブリに関してこのエピソードが一番好きだ。
そうやって、多くの個体で助け合い、蹴落とし合い、
より強い個体が生き残る。
そうやって僕らも生まれてきたのだ。
多くの精子が争い合った果てに、僕らが生まれたのだ。
僕は「負け」というものに違和感があった。
どんなに人に「負け」と言われても「そうか」としか思わなかった。
だが、
自分の心の中で「負けた」と思った瞬間に
「敗北」の意味を初めて知ったような重みが体を押しつぶした。
「負け」とは、「負けた」と思った時に、「負け」なんだ。
そして「負けた」個体はより強い個体の礎となって終わる。
勿論、それもまた強い個体をより強くした礎なのだ。
恥じるものは何も無い。
勝った強個体もまた、さらに上の個体の礎となるのは決定事項なのだから。
どんな手段を使ってでも生き残る。
これがこの世界の唯一のルール。
社会。法律。暗黙のルール。
こんなものはすべてそのルールの派生に過ぎない。
強い爪を持たない人間は数と連携で生き残る術を編み出した。
その中で生きる為のものに過ぎない。
あくまで根底にある絶対のルールは「生き残る」ことなのだ。
肉体が、名前が、思想が。
「残れば」それが勝利だ。
それを得る為に周りも無意識に躍起になっている。
陰気で人とコミュニケーションをあまりとらない、
或は上手くないものを煙たがり追い出そうとする行為は
ある意味で生き残る為の本能的な行為。
しかし陰気な人間も考えた。
それを「いじめ」という反社会的行為として封じようとしている。
善も悪もない。理不尽も何も無い。
どっちが勝ったって、拮抗していったって。
それはただの闘いなのだ。
勝つことに意味がある。
結果が出なければそこに意味を付けることもできない。
我々は細胞として、この世界で闘い助け合っている。
目的はただ一つ「人類存続の為」
この世はどんな手段を使ってでも生き残るゲーム世界。
殺し合ってもいい。殺し合わなくても良い。
助け合ってもいい。裏切ってもいい。
なんでもいい。ただ、生き残るゲーム。
適応して、進化して、維持して、伝達して。
それが生きるってことなのかもしれない。
不穏の中の癒し
突然、田舎の祖母から電話がかかってきた。
何事かと恐る恐る取ったら第一声が飛び込んで来る。
「結婚するのけ!?」
しまった…。
伯父にいざとなったら人の家に転がり込むと漏らした情報が
なんか湾曲とまでは言わないが気の早い伝わり方をしている…。
そして実際その可能性は低い…と言わせてくれ>>1よ。
俺はもっと稼いで独立するのだ…。
しかし祖母があまりに嬉しそうな声で喋るので
「そうなる"かも"しれないけど、まだ全然先の話」
とだけ言っておいた。
しかしすごいなぁ…。
人ってあんなに嬉しそうな声が出せるんだなぁ…。
そして嬉しそうな声って活力になるものなのだなぁ…。
状況としてはあまりよろしくないけれど
他にも父親や自分の仕事の件で良いニュースも提供できたし
祖母が喜んでくれていてなんだか嬉しくなってしまった。
僕ももっと嬉しい時に嬉しい声が出せる人になりたいものだ。
あんな声はまた聞きたいと、人が思うじゃないか。
そういう人が、幸せになれるのだ。
だってその人はもう、人を幸せにしているのだから。
僕には眩し過ぎてなかなか帰ってあげられないけれど。
もっと喜ばせてあげたいなぁ。
もっと
もっと頑張らないと。