SHOUT PIT -35ページ目

方言問題

郊外生まれの郊外育ちこと肉です、こんにちは。

方言は標準語です。

 

ちょくちょく

「下手な方言にイラつく」

みたいな話を聞くと胸がざわつきます。

 

何故って僕自身が「下手な方言」を喋る人間だからです。

 

さらに言うとこれは自分でコントロールが聞きません。

頑張って完璧な共通語にしようと思うんだけど、

どうにもこうにもヘタクソでどうにもなりません。

 

そうというのも僕の周りは方言のオンパレードだからです。

 

親の実家は大家族なので集まればそれはもう

色んな地域の方言という方言で溢れ帰ります。

富山弁やら広島弁やら静岡なんか浜北弁で浜松弁をなじってる。

 

父親の友人は僕が小さい頃によく遊んでくれましたが、

その人は関西弁が特徴的な岐阜出身者でした。複雑だ。

僕はそっちは詳しくないので区別があまりついてないのですが、

本人は「関西人ちゃうよ」って言ってたので関西弁ではないのかも。

 

僕の友人関係だと大阪弁、京弁、東北弁…。

さらにネットスラングももはや国を持たない方言だと僕は思ってます。

なんせ、ほぼほぼ子供の頃から聞いてるわけですから。

まぁ僕なんて7歳ですからね。生まれた頃からですよ。

 

そして僕は鳥なので周りの音を真似する癖があります。

意識的に真似してるわけではなくて、聞いた音が移ってしまうのです。

といっても、別に完璧に移ってるわけではないし、

その人が使った言葉を間違ったとしても使うわけだから、

あまり良い気がしないのはわかります。

 

僕もあまり真似したみたいになると気まずいので

気をつけてはいるのですが、どうしても出てしまう。

特に外部から刺激を受けるとスイッチが切り替わってしまうのです。

要は近くで喋られたり、その土地に行ってしまうと出ちゃう。

 

しかも僕の場合はそんなごちゃごちゃな感じだったので
「下手な方言」というより「下手な方言のアソート」という感じ。
「はー、すまなんだけどこのゴミ投げといてや」みたいなことを
稀に言います。言った後に羞恥に震えます。


しかし言語というものはそういうものではないですか。
周りで使われている音を子供が真似して覚えていくじゃないですか。

それが「下手な方言」だった場合、それはその人の方言になります。

つまり、僕の「下手な方言」がもし不快だと言われてしまったら、
それは「僕の方言」が否定されたことになります。
他の方言に似てるからという理由で。

だから少し僕はこの手の話に臆病なんでしょうね。
理不尽に迫害される恐れがあるからね。


きっとバカにしてなければ怒らないよって人は多いと思います。
それはありがたいことだけど、なんだか不公平な感じです。

コンプレックスがある人もいるんでしょうが、
方言というのは国・続柄を示すアイデンティティです。
他者を知ることによって結束も高まり、ある時は誇れるものになります。

でも東京人にはそれがありません。
あることはあるんですがこのごった煮ぶりです。
こんなものを堂々と出したらそれこそ「下手な方言」と罵られます。
到底誇れるようなものではありません。

おかしいですよね。
同じように子供の頃から聞いてた音が染み付いただけなのに。


そんなこんなだから僕も「メディアの不勉な方言」は嫌いです。
知らない方言を出そうと思う時点でアレなんですけど、
やむを得なかった場合としても間違いまくってるものとかは
「ああ、こういうのでバカにしてると誤解されるのだろうな…」
と思ってしまうので好きではありません。


僕はこの「下手な方言のアソート」がコンプレックスでもあり、
生まれてから今までの僕の軌跡でもあると思うので、
嫌いにはなれません。

不快がる人たちもまた同族かどうかを本能的に振り分けてるだけで、
そいつがどうこうってことではないのだとは思うわけですが。




鳥は敵に囲まれたと思った時に敵の鳴き声を真似て仲間のフリをします。
恐怖と緊張が無意識的にかあるのだと思います。

ドヤ顔で語ってる奴はともかく、
要所要所で下手な方言をしてる人は多分かなりの「小心者」です。

なんていうか…見逃してあげて下さい。

トロッコ問題

思ったことは吐き出さないとモヤモヤが収まらない肉です、こんばんは。

ちょくちょく目にする質問だけど、最近また見かけたので話題にします。

 

あまり詳しくは知らないですけど、今回見たのは

 

「10人乗ったトロッコが崖に向かって暴走しています。

線路の傍に自分と大柄な他人がいます。

大柄な人を線路に横たわらせられればトロッコは止まりますが、

轢かれた人は死んでしまいます。

何もしなければトロッコに乗った10人は崖に落ちて死にます。

大柄な人は自分でも倒せるものとします。

また、自分が線路に横たわってもトロッコは止められないとします。

さて、あなたは10人の為にその他人を突き飛ばせるでしょうか。」

 

という、至ってよく見る単純なもの。

 

 

まあ、道徳的にはとても意見が割れる話ですよね。

どうしたって人が死にますし、自分の良心を傷付けられますからね。

 

 

この質問をされると2択以外を答える人が必ず出てきます。

僕も昔はよくそれをしましたし、今でも少し考えます。

 

二人で協力して岩を線路に置くとか、トロッコの人に呼びかけるとか。

 

 

でも残念ながらこの質問は

「全員で助かる方法を探す問題」ではないのですよ。

 

 

この質問の本質は

「咄嗟に大勢の為に自分を悪者にできるか」という質問なんです。

 

僕が見たトロッコ問題の中で一番多く死ぬのは暴走電車の200人でしたが、やっぱりポピュラーな10人が一番意見が割れますね。

人が少なくなればなるほど、平等に近付きますからね。

後ろ指を指してくる人間も増えますし。

この問題の場合はどのみち指されそうですけど。

トロッコの暴走の原因が自分でない限り、

そこまで良心の呵責もないでしょう。

 

なのでやっぱりスルーして10人見殺す人が増えます。

 

 

しかし、この質問は偽善者を炙り出す質問ではありません。

10人見殺したっていいんです。責任はないんですから。

むしろそういう大勢がいないと困ります。

 

10人の為に1人を殺して後ろ指を指されてくれる人間は、

1人を殺せない人間の上に立ち守ってくれる存在です。

すべての責任を、良心的呵責を、引き受けてくれる人です。

 

彼は非難されるでしょう。

救った10人にも非難される可能性はある。

自分を好きになれなくなるかもしれない。

彼の人生は幸せなものではなくなってしまうかもしれない。

 

でも、彼のお陰で血も涙も、1/10ので済みます。

数字で表現すると平等厨がうるさそうですが、

その重い悲しみと絶望が10倍もあったら僕は潰れてしまいます。

 

そして、1/10の悲しみで彼が糾弾され殺されれば、
犠牲者は最高でも2人で済みます。人の悲しみも癒されます。


これがわかってながら、咄嗟にその道に進める人間。
それが人の上に立つ人間です。
それを簡易的に見極める問題なのです。


全員を助けたいという気持ちはよくわかります。
でも、だったら、その欲望をぶつけるのは、
まずトロッコが暴走しないようにするという状況を
作り出すところに注力するべきなのです。

そして、暴走してしまったら、
(状況にもよるでしょうが、2択以上に手が尽くせない状況だとして)
もう選ぶしかないのです。


迷った時点で10人は死にます。
他の道を探した時点で10人は死にます。
暴走トロッコがそんなにゆっくり進んでたら困ることはありません。

あくまで咄嗟に、判断できるかという話なのです。


だから、いい歳して別の道の回答してる人を見ると、
ちょっとゾッとしますね。
こういう人が「もっとできたことがあった筈だ」とか言って
1人を殺した(そして死んだ1人の)勇者を糾弾するのです。

褒めろとは言わないが、じゃあお前がやれよって思ってしまうね。
自分は10人を殺す人間なのに、1人を殺させた人間なのに、
…っていうのは僕の経験上での勝手な推測なので、
そう言ってたわけではないのですが。
ごめんな、トラウマスイッチ入ったんでござるよ。


仕事をする上では1人を殺せる人間が一番信用できる。
自分に自信がないと近くにいるのは怖いと思うが、
そもそも究極の2択を選ばなければならない状況を作らなければいい。
それは誰にだってできる筈だ。

できなかった時に、最後の砦がいる。
これはとても大事なことなのだ。
泣いて謝るくらいのことなのだ。


だが、仕方が無い。
そこを含めてのトロッコ問題なのだから。

悪人になり、墓にクソを垂れられる勇気があるかということだから。



もし、今の僕がこの問題を出されたら、
机上では1人を殺すだろう。
そして、その英雄を丁寧に弔うだろう。

しかし、現実ではどうだろうか。

 



人を殺した人間が手放しで救われることはない。

色々言ったが、糾弾されて然るべきなのだ。

それがまったくなかったら、それはそれで怖いことなのだ。

 

本当に、酷く、醜く、簡潔で、美しい問題である。

 

 

僕はきっと、現実で何の躊躇いもなく(躊躇っていたら遅い)、

1人を殺せる人間を憎むことはできないだろうな。

 

褒め讃えるのは違う。糾弾するのも違う。

 

 

本当に。醜悪で美しい問題だ。

考えない方が利口に生きられる

頭で考えると良いことがまるで無い肉です、こんにちは。

 

見栄。嘘の辻褄合わせ。嫉妬。見下し。

弱い心を守る為に今日も僕の脳は休み無く動いている。

 

心を励ます為に周りを蔑み、蔑むから意外な能力に嫉妬し、

そんな薄汚れた心を隠す為に嘘を付いて、

その嘘がバレないように人と距離を取っている。

 

そうしないと生きられない程に心が弱いのだ。

 

心底、嫌になる。

 

 

頭で何も考えなくなれば、僕はとても楽しい。

手は勝手に好きなことをやってくれる。

仕事は進むし、人は褒めてくれる。

 

そんな人の賛美も耳に入れずに、ただ、黙々と、

ただ、独りで、何も考えずに生きれれば、

 

僕はとても楽に生きられるだろう。

 

 

結局独りには変わらないのだけれど。

 

 

僕は、どうやっても。

失敗しても、成功しても。

 

独りでいるしか上手くはいかないのだ。

 

 

一重に心が弱いから。

自分の弱さを認められないから。

それを人に知られたくないから。

 

 

強くなれれば誰も傷付けずに済むのに。

強くなれれば傷付かずに済むのに。

 

ずっとずっとずっとずっと

 

強くなりたいと思っているのに。

 

 

全然強くなれないのだ。

どうしたらいいか、知ってる筈なのに。

恐くて怖くてどうしようもないのだ。

 

 

 

強くなる第一歩として、ひとまず、

僕は「心の弱い醜悪な自分」を認めなければならない。

そして赦さねばならない。

 

それができない。

赦せない。

 

 

神に赦されようと。

人に赦されようと。

 

自分に赦されなければ逃げ道は無い。

 

 

僕を嫌う人間は、僕を殺そうとする人間は、

僕の隣りにいる。

 

 

こいつを、どう殺したらいいかわからない。

あの子を殺したのは誰だ

原発を稼働させる体験をさせてもらう夢を見た。

僕には火力発電所に見えたが何故か被曝したようだ。

そしてその場に居合わせた人と何故か結ばれた。

勿論その人も被曝している。

 

被曝カップル、一夜の一発着床である。

 

家に帰るや否やすぐに子供が生まれた。

特に大騒ぎする間もなくつるっと出た超未熟児だった。

マッチ棒のように小さくて手足のない子は息をしていなかった。

 

僕はその子供の多分背中であろう部分をさすったり

あまりにも小さ過ぎる口に息を送り込んだりした。

すると、奇跡的にも子供は息をしたのだ。

 

キルラのマコに似た可愛い女の子だった。

それだけのことだが少々愛着が湧いてしまった。

 

彼女はすくすくと育ったが障害を持っていた。

長女の筈だが誰よりも子供っぽかった。

随分頭は良かったし意思表明もハッキリしていた気がする。

ちょっと心が幼かったくらいだ。

後、身体がパスケース並みに薄っぺらかった。

 

気付くと片親(僕のフィアンセである)が変わっていて、次女と長男が生まれていた。連合いも子供たちもアニメ系のキャラに似ていたが、誰だったか忘れてしまった。

長男は人外キャラだったが、あたかも普通の人間のように扱われていた。

次女は15、6歳くらいで長男は15歳くらいに見えた。

 

家族たちは優しかったが、長女と触れ合うのに戸惑いを感じた。

長女がSNSで見た子犬たちがやってる可愛らしいポーズをやって写真を撮りたいと言い出した。

次女は「いいんじゃない?可愛いよ」と言いはしたが、長女が「(きょうだいで)一緒にやろう」と言ったら苦い笑いを残してその場を去ってしまった。長男もにやけた顔のまま無言で立ち去る。

「一緒に撮るぐらい良いじゃない」と連合いも言ったが、連合いも含めて誰も一緒にはカメラに入ろうとはしなかった。

 

子供たちは年頃でその行為自体が恥ずかしいのかもとは思えたが、

親は少しくらい付き合ってやれよとちょっとモヤモヤした。

嫌な感じはしなかったが、壁は少し感じてしまった。

 

寂しそうな長女に僕は「意地悪なきょうだい達に仕返ししてやろう」と

言って彼女たちのケーキに描いてあったキャラクターの絵を弄ってやった。(何故かホール2つだったが誕生日だったのだろうか?)

長男の格好良いヒーローの絵にはメイド服を上書きして着せて、

次女の可愛い女の子キャラの顔にトランスフォーマーの顔を乗せた。

「ギャー!酷い!」と次女も長男も怒ったがみんな笑っていた。

この時は家族全員で笑っていた。

 

 

後日、長女は一人で人形遊びをしていた。

シルバニアファミリーくらいの大きさの玩具だった。

僕は親としてではなく、カメラとしてそこで見ていた。


長女は想像力が豊かな子だった。
人形たちが勝手に動いてるように見えたのは
彼女の目を通して僕が見ていたからかもしれない。

彼女は豪邸のお嬢様になっていて、人形たちは召使いだった。
召使いたちも、彼女には少し壁を作っていた。
「意地悪な召使いはクビです」と彼女は言った。
召使いたちはどよめき集まって次々に口を割った。
「あんまりです」「こんな酷いことはありません」

そう言われると彼女は手を止めてしまった。
召使いたちが可哀想でクビにできなくなってしまったのだ。

僕だったら「もう意地悪しませんか?」と言って
召使い共を恐怖政治で縛ろうとか思ってしまうが、
彼女はそんなことはできなかった。

心底、召使いたちに同情してしまったのだ。
こんな酷いことを言ったのは誰だと思ってしまったのだ。

彼女は床に頭を付けて目を開いたまま何も言わなくなってしまった。
玩具のグランドピアノが燃え始めた。
瞬く間に部屋に火は広がっていくだろう。

そこで夢は終わってしまった。


起きた時、僕の心に最初に沸いた感情は
「なんて優しい子なのだろう」だけだった。
戯れな仕返しにすら心を痛めてしまうような子だったのだ。

確かにこの流れで仕返しはおかしかったかもしれない。
彼女が彼女の心のままに優しさを振りまいていれば、
家族だって召使いだっていつかは打ち解けていたかもしれない。

彼女に心を開いてくれない人たちに憤りを感じてしまったのは僕だ。
でも、僕はそういう時に仕返しをするしか思いつかない。
善いことも悪いことも鏡の様に仕返しで生きてきたから。

彼女にはそのやり方が合わなかったのだろう。
結局、僕も彼女のことを理解はしていなかったのだ。
彼女は緩やかな孤独の中で自分を責めてしまった。


彼女の環境は恵まれていた方だと思う。
彼女自身こそ障害を持っていたとはいえ、
家族仲が酷く悪いわけでもなく、虐められているわけでもない。
慎ましくも豊かそうな家だった。

だったからこそ、彼女は自分を責めるしかなかったのだと思う。

壁に阻まれて心から繋がれる者がいない孤独を、
感じることすら罪になってしまったのかもしれない。
ただ、彼女は寂しかっただけなのに。

何故彼女を癒す人がいなかったのだろう。
僕はどこにいたのだろう。
火はどこまで奪っていってしまったのだろう。

そういえば彼女に犬のぬいぐるみをプレゼントした記録があった。
写真の下に「犬の魂が入ってるらしい綿の塊」というメモがあった。

そのアルバム風の走馬灯は長女が大きくなるまでの間の
走馬灯のようなもので、さっと通り過ぎてしまったから
違和感くらいしか感じなかったが、思い起こすとゾッとする。

彼女を一番愛していると思っていた僕が書いたメモなのだろうか?
元々の僕の連合いは何故いなくなってしまったのだろうか?



僕は夢の中で罪を重ねていく。
昔はもっと軽い罪だったように思う。
どんどん蓄積していって今はとても大きくなっているように感じる。

僕は
どうなってしまうのだろうか。

負の連鎖

負の連鎖を断ち切れない人ほど平和主義だったりするよね。

そんな思想を植え付けてくれた親に感謝してる肉です、こんばんは。

 

最近やたらと母親の様子がおかしいと思ったら、

彼女の父親が謎の長文メッセージを送ってきていたみたいです。

彼女の愚痴を聞いてられるほど今は暇ではないので

言葉の端々でしか内容はわかりませんでしたが、

仏教の内容とか母親の姉のメールの話とか諸々。

まぁ急ぎでもないような長文をパートの出勤前に送られてくるとか。

返信しても「返信まだ?」という催促があったりするとか。

 

「忙しいから土日にまとめて返信するね」って言って

忙しい時間帯は放置すればいいのにって言いましたが、

なんかごにょごにょ言ってるので僕の知らない法則があるのでしょう。

 

まぁ老害っていうのは往々にして面倒臭いもので。

僕も子供の頃はよくそのお爺様からはメールがきましたが、

典型文章をコピペして返信してたらこなくなりました。

 

当時から母親は彼女の親の話になると不機嫌になるので、

僕も父親も母親は親のことが嫌いなのかと思って

なるべく触れないようにしていました。

 

しかし母親は

「盆も正月も私の実家には帰らなくて私の家族を蔑ろにしている」

と怒ることがあります。

 

帰ってたんですよ?僕が小学生の時は。

その度に僕は母親から嫌な目にあっていたし、

父親も母親とは喧嘩が多くなりました。

 

彼女にとってもいいこととは到底思えないのですが、

何故かそういった形で関与することを拒まないのです。

例の長文メールも「返信してスッキリしたい」という。

 

「殴られたら殴り返した方が気持ちがいい」というのはわかるが、

関わって結局不機嫌になるなら最初から関わらなければいいと思ってしまう。

 

僕がよく母親に「××はやめてくれ」とお願いすると、

「文句があるなら出てった方が自分が楽だよ」というけれど、

なんだか彼女を見ているとそうでもないような気がしてきます。

だって、彼女は親の文句を独立して何十年も経った今でも抱えている。

まぁ、それは余談なんですが。

 

 

まぁどういう問題を抱えようが、

本人にどうする気もないなら僕らはどうもできない現状です。

それよりも一番恐いのは彼女はやられた事を当事者ではなく、

関係のない家族にやり返してくることです。

 

残念ながらこの家族は人間関係レベルは本当に低いです。

思いやりがないとかそういうことではなくて普通にレベルが低いです。

なので、誰一人として現状を打破することはできません。

それは母親自身だってそうな筈です。

それを責めたって何の解決にもならないのだから、

せめて彼女が生きるのに邪魔になる部分は置いておこう。

余力がある時にやりたいようにやってみたらいいじゃないか。

そういうスタンスしか残されてはいません。

 

ただでさえワープアはその日倒れたら食べられないんですから。

少しも休んでる時間なんてないんです。

 

それを冷血だというのなら、

地球上の該当する人間を全員罰してみればいい。

勝てる数ではないと思うから。

 

 

それでも彼女は親の不満を知っていながら

「親はこういうもの」として子供それを与えてきます。

自分がやられて嫌なことをやってくるのです。

 

一度それを問いただしたことはありました。

「嫌だと思ったことを関係のない人間にやるということは、

その人間を嫌いだと言っていることにはならないだろうか?」

「少なくとも嫌がらせにはならないだろうか?」

「良心は傷まないのだろうか?」

 

返事はこう。

「私もやられてつらかった」「しょうがない」

人の心がないんだなと思いました。

 

それと同時に恐れました。

彼女の血を引いてる僕はきっと子供に同じことをするだろう。

弟にだって近いことをしてしまっていたかもしれない。

恐ろしい。

 

僕がこんなブログをやってるのは気持ちの整理の為です。

誰に言っても解決しないようなことや、やるせないこと、

どう考えても自分が悪い逆ギレ内容なんかは人に言えません。


でもブログだったら「誰か見てるかもしれない」と錯覚することによって
人に話した気になりますし、実際物好きが見てる場合もあります。
それによって何らかの感情を持ってくれたら僕は嬉しいし、
別に何も感じずにスルーしたってむしろ当たり前だとさえ思う。

川辺の石ころを見る世間の目程度でいいんですこんなの。
それだけでやるせなさも少しは消えるんです。

そうやって、無差別にぶつけずに済むなら、結構なことじゃないですか。
読みたい人だけがぶつけられればいいじゃないですか。
しかもここまで無関係だと面倒事もないですし。

そうやって負の連鎖を止めればいいのに。
何故、そうしないのだろう。
「ツイッターで愚痴垢作った」と言ってたのに、
何故それで消化しきれないのだろう。


「そんなのみんなやってるから安心して子供を作れ」
そう言われてゾッとします。

僕は自分の子供を悲しませる為に生まなければならないのでしょうか。
僕は自分の子供を親の玩具として生まなければならないのでしょうか。
親の罪悪感の緩和の為に、仲間意識の為に、安堵の為に。

何の誇りもなく、ただ、同じ苦しみを与える為だけに。

子供が何をしたのでしょうか。
生まれたことが罪だったのでしょうか。
何故生んだのでしょうか。
何を求められているのでしょうか。

慰みなのでしょうか。奴隷なのでしょうか。

「逃げればいい」

本当にそうなのでしょうか。
どこに逃げるのでしょうか。


本当の「逃げ」を完成させるなら、それは。
対象を殺すしか方法がないと思いませんか?
自分が死ぬしか方法がないと思いませんか?

そんな「逃げ」は僕らの選択肢に入れていいんでしょうか。
その「逃げ」を誰が擁護してくれるのでしょうか。
合法的に殺せばいいんでしょうか。
合法的に死ねばいいんでしょうか。


逃げ道なんてないと思いませんか。
生まれたという十字架を背負って、耐えるしか無い。
そこで潰れたとしても、誰も罪人を見つけられない。

今日も罪人は見えないところで人を殺してる。
それを許してる僕らは。


もしかしたら、「生きる」という選択をした時点で、
負の連鎖は止まらないことが確定しているのかもしれない。
全員が一斉に止めようと思えば別だが、
それが善いことかもわからないのに実現しようがない。
みんなが善いと思ったところで実現が難しいのも事実。

そもそもこれは人間間の話ではない。
親子という関係性の話だ。

愛情がなければ人間は完成しないというのだから、
親子の関係性は崩せないのかもしれないが、
歪みの正し方が確立していれば或いは…。


育児をしない動物もいる。
全員じゃなくて、一部がそれを適用してもいいのでは?
負の連鎖を持つくらいならそれがいいのかもしれない。
システムだ。システムが確立しなくては。


なんだか話が逸れてきてしまった。
ちょっと面白い考えの種もできたし今回はこの辺で。
毎回まとまりがなくてスンマソン。