第731話
ご覧いただき
ありがとうございます
神仏の声を聴いて
皆様にお届けしております
菊水千鳳です
今回は、2年前にお伺いした
巣鴨(東京)にある有名な
〈とげぬき地蔵〉とお会いした時の体験談をご紹介します。
あまりに沢山、投稿したい日記があったものですから
いつの間にか月日が経ってしまいました(m(._.)m)
~~~~~
この日は、SさんとC君と
一緒に上野で開催されている仏像展へ向かう予定でした。
当時 学生だったC君の学校が終わってから合流するまでの間、少々時間があったので、俺とSさんは先にどこかへ飛び入り参拝してみようかという話になりました。
(事前の下調べなしの飛び込み営業か😀)
上野からは山手線沿いなので、わりと近くだったのでここを選んだわけです。
〈巣鴨〉は
おじいちゃん、おばあちゃんが多い街だと言われています。
とげぬき地蔵の名前だけは聞いたことはありましたが…
名前からして、トゲが沢山刺さってるお地蔵さん?などと訳の分からぬ想像をしていました。
賑やかな商店街を歩いて
いよいよ境内へ入りました。
手水を終えて
すぐのことでした。
手を拭いてると、
目の前にお地蔵さんのような仏さまが出迎えてくれました。
体は何故か灰色一色、
右手に長い錫杖(しゃくじょう)を持っていました。
(あとで、何故 この仏さまがこんな色をしているのが判明します)
この仏さまが語りだしました。
【変わり種(だね)の風(ふう)だろう
ワタシ 生(なま)の
延命菩薩の声を聴きなさい
心行くまで堪能してください】
と言うと、本堂を指差して消えてしまいました。
※【変わり種の風】とは、
恐らく年配者が多い街で、参拝者も年配の方が多いので、一風 変わった感じだろう?の意味のように?思います。
俺たちが来たのを察知されてしまったのでしょうか…。
物腰は低く、とても丁寧なご挨拶をしてくださいました。
高貴な仏さまである如来と違い、人間の目線と同じ場所にいるような、接しやすい仏さまでした。
ですが、とても徳の高いお地蔵さんのような感じでした。
Sさんに視えたままを伝えました。
俺
『ご本尊さまのようだよ。
正面に立つ前にワザワザ俺たちにご挨拶に来られたみたい。
地蔵菩薩かと思っていたけど、本当の名前は何?』
ここで検索してみたら、
〈延命地蔵菩薩〉
で、しかも秘仏だそうでした。
早速 本堂の前に立ちしました。
*:..。🍀*゚¨゚゚
次回は本堂の前での延命地蔵菩薩からのお言葉、そして境内の〈小僧稲荷〉からのお言葉をご紹介します。
ここで、ホームページより
ご本尊 とげぬき地蔵の由来をご紹介します。
↓
正徳3年(1713年)5月のこと、江戸小石川に住む田付という人の妻は、常に地蔵尊を信仰していました。
一人の男の子を出産して後 重い病に見舞われ床に臥し、手足は「細き竹のごとく」にやせ細ってしまいました。
諸々の医者が手を尽くしましたが、一向によくならず、遂に婦人は臨終を覚悟し、「私の家には怨霊があって、女はみな25歳までしか生きられないと父母から聞いております。
姉も25歳で亡くなりました」といいだすしまつでありました。
田付氏は悲歎にくれつつも、この上は妻が日頃信仰する地蔵尊におすがりするほかないと、毎日一心に病気平癒の祈願を続けました。
ある日のこと、田付氏は不思議な夢をみました。
黒衣に袈裟をかけた一人の僧が現われ、「私の像(かたち)を一寸三分に彫刻して川に浮かべなさい」という。
田付氏は、それは急には成し難いことを答えると、「ではあなたに印像を与えよう」といわれ、夢からさめました。不思議な夢と、ふと枕元をみると、何か木のふしのようなものが置いてありました。
よくみるとそれは「彫ったものでも書いたものでもない」不思議な地蔵菩薩の御影なのでした。田付氏は命の通り、これを印肉にせしめて、宝号を唱えつつ一万体の御影をつくり、両国橋へ行き、一心に祈願しながらこれを河水に浮かべました。
さて、その翌日朝またぎ、田付氏は病床の夫人の呼ぶ声に急いで行ってみると、夫人は「今、枕元に死魔が現われましたが、錫杖(しゃくじょう)をもった黒衣のお坊さんが、錫杖を使って外にドンと突き出してしまわれるのを見ました」と告げました。
田付氏は霊験にわれを忘れていましたが、あれほど重かった夫人の病は日一日と快方に向かい、その年の11月には床を離れることが出来、以後夫人は無病になったといいます。
田付氏がこの霊験の話を山高という人の家でしていると、一座の中に毛利家に出入りする西順という僧がいて、ぜひその御影を頂戴したいといいました。
田付氏は持っていた2枚を与えました。
正徳5年のある日、この毛利家の女中の一人が、あやまって口にくわえた針を飲み込んでしまいました。
女は苦しみもがくが医者も手の施しようがありませんでした。
そこに西順が来たり、「ここに地蔵尊の尊影がある。頂戴しなさい」、と言い、一枚を水で飲ませました。
ご覧いただき
ありがとうございます
神仏の声を聴いて
皆様にお届けしております
菊水千鳳です
今回は、2年前にお伺いした
巣鴨(東京)にある有名な
〈とげぬき地蔵〉とお会いした時の体験談をご紹介します。
あまりに沢山、投稿したい日記があったものですから
いつの間にか月日が経ってしまいました(m(._.)m)
~~~~~
この日は、SさんとC君と
一緒に上野で開催されている仏像展へ向かう予定でした。
当時 学生だったC君の学校が終わってから合流するまでの間、少々時間があったので、俺とSさんは先にどこかへ飛び入り参拝してみようかという話になりました。
(事前の下調べなしの飛び込み営業か😀)
上野からは山手線沿いなので、わりと近くだったのでここを選んだわけです。
〈巣鴨〉は
おじいちゃん、おばあちゃんが多い街だと言われています。
とげぬき地蔵の名前だけは聞いたことはありましたが…
名前からして、トゲが沢山刺さってるお地蔵さん?などと訳の分からぬ想像をしていました。
賑やかな商店街を歩いて
いよいよ境内へ入りました。
すぐのことでした。
手を拭いてると、
目の前にお地蔵さんのような仏さまが出迎えてくれました。
体は何故か灰色一色、
右手に長い錫杖(しゃくじょう)を持っていました。
(あとで、何故 この仏さまがこんな色をしているのが判明します)
この仏さまが語りだしました。
【変わり種(だね)の風(ふう)だろう
ワタシ 生(なま)の
延命菩薩の声を聴きなさい
心行くまで堪能してください】
と言うと、本堂を指差して消えてしまいました。
※【変わり種の風】とは、
恐らく年配者が多い街で、参拝者も年配の方が多いので、一風 変わった感じだろう?の意味のように?思います。
俺たちが来たのを察知されてしまったのでしょうか…。
物腰は低く、とても丁寧なご挨拶をしてくださいました。
高貴な仏さまである如来と違い、人間の目線と同じ場所にいるような、接しやすい仏さまでした。
ですが、とても徳の高いお地蔵さんのような感じでした。
Sさんに視えたままを伝えました。
俺
『ご本尊さまのようだよ。
正面に立つ前にワザワザ俺たちにご挨拶に来られたみたい。
地蔵菩薩かと思っていたけど、本当の名前は何?』
ここで検索してみたら、
〈延命地蔵菩薩〉
で、しかも秘仏だそうでした。
早速 本堂の前に立ちしました。
*:..。🍀*゚¨゚゚
次回は本堂の前での延命地蔵菩薩からのお言葉、そして境内の〈小僧稲荷〉からのお言葉をご紹介します。
ここで、ホームページより
ご本尊 とげぬき地蔵の由来をご紹介します。
↓
“ご本尊は「とげぬき地蔵」として霊験あらたかな延命地蔵菩薩です。こちらの地蔵菩薩様は秘仏ですので残念ながら拝見させていただくことはできませんが、そのお姿を元に作られた御影(おみかげ)に祈願してもご利益があるとされています。こちらは高岩寺のご本堂で授与されています。
正徳3年(1713年)5月のこと、江戸小石川に住む田付という人の妻は、常に地蔵尊を信仰していました。
一人の男の子を出産して後 重い病に見舞われ床に臥し、手足は「細き竹のごとく」にやせ細ってしまいました。
諸々の医者が手を尽くしましたが、一向によくならず、遂に婦人は臨終を覚悟し、「私の家には怨霊があって、女はみな25歳までしか生きられないと父母から聞いております。
姉も25歳で亡くなりました」といいだすしまつでありました。
田付氏は悲歎にくれつつも、この上は妻が日頃信仰する地蔵尊におすがりするほかないと、毎日一心に病気平癒の祈願を続けました。
ある日のこと、田付氏は不思議な夢をみました。
黒衣に袈裟をかけた一人の僧が現われ、「私の像(かたち)を一寸三分に彫刻して川に浮かべなさい」という。
田付氏は、それは急には成し難いことを答えると、「ではあなたに印像を与えよう」といわれ、夢からさめました。不思議な夢と、ふと枕元をみると、何か木のふしのようなものが置いてありました。
よくみるとそれは「彫ったものでも書いたものでもない」不思議な地蔵菩薩の御影なのでした。田付氏は命の通り、これを印肉にせしめて、宝号を唱えつつ一万体の御影をつくり、両国橋へ行き、一心に祈願しながらこれを河水に浮かべました。
さて、その翌日朝またぎ、田付氏は病床の夫人の呼ぶ声に急いで行ってみると、夫人は「今、枕元に死魔が現われましたが、錫杖(しゃくじょう)をもった黒衣のお坊さんが、錫杖を使って外にドンと突き出してしまわれるのを見ました」と告げました。
田付氏は霊験にわれを忘れていましたが、あれほど重かった夫人の病は日一日と快方に向かい、その年の11月には床を離れることが出来、以後夫人は無病になったといいます。
田付氏がこの霊験の話を山高という人の家でしていると、一座の中に毛利家に出入りする西順という僧がいて、ぜひその御影を頂戴したいといいました。
田付氏は持っていた2枚を与えました。
正徳5年のある日、この毛利家の女中の一人が、あやまって口にくわえた針を飲み込んでしまいました。
女は苦しみもがくが医者も手の施しようがありませんでした。
そこに西順が来たり、「ここに地蔵尊の尊影がある。頂戴しなさい」、と言い、一枚を水で飲ませました。