〔2023年12月31日 英語礼拝①〕

 

 

今回の掲載は、昨年2023年12月31日の説教「Fear Not 恐れるな」の全文翻訳です。

二代王様の正直なお話しに、訓練、祈り、子女教育、夫婦の関係、2024年の重要さなど、どの様に生きて行ったら良いのか具体的に理解でき、天の知恵と御心情を深くしみじみと感じさせて頂ける内容です。

(翻訳&提供:Michiyo H)

 

 

Fear Not 恐れるな(サンクチュアリ教会聖日礼拝 12/31/2023 テネシー)

 

(二代王様を温かくお迎えしましょう。)(拍手)

皆さん、ありがとうございます。皆さん、おはようございます。ようこそいらっしゃいました。

陽暦では、新年明けましておめでとうございます。でも、天暦では2月に新年を迎えます。

今は正に信じられないような時です。

 

お父様の飛行機拷問のイメージについて

あのアート・コンペティションの話に戻しましょう。テック・チーム、早く、アート・コンペティションを画面に出してください。

ジェリーは、同じ方法でヒトラーに殺されたユダヤ人たちの写真を見たと言っていました。そして、彼らは路上に吊るされました。身体はどうなるかというと、このようにまっすぐには立たないと。基本的に胎児のような姿勢で身体を丸めてくずれます。もし身体がこの様になると、骨のつなぎ目が抜けてしまうから。肩の骨のつなぎ目が外れて、腕は完全にゴムのようになります。ですから、イメージを描くとき、ホロコーストの、街灯に吊るされているユダヤ人虐殺のイメージを探してください。

 

それは、彼らがお父様を拷問して殺したのと同じやり方です。臨床的には、彼は死んでいました。北朝鮮の医師によって確認されました。しかし、聖霊の力によって復活し、彼を殺した犯人のために祈りました。ですから、私たちのアーティストがその絵を描くときは、そのことを念頭に置かなければなりません。身体全体が砕かれ、胎児のような姿勢で吊るされます。そのことを心において、生体構造を描いて下さい。なぜなら、それは、結果的に窒息し、死に至る、つぶれた肺と胸腔の全体像を表すからです。お父様がポールか何かにぶら下がっているだけではないんです。胸郭全体がつぶされて心臓と肺に入り込んでいるんです。それが窒息の原因です。ですから、この作品に取り組んでいるアーティストたちは、死の拷問の絵を描くとき、そのことを心に留めておいてほしいです。

 

これらのことは重要です。なぜなら、十字架の絵を見るようなものだからです。それは、キリストが歩まなければならなかった苦難の道です。私たちに神の王国を与え、私たちに家族と配偶者を与え、神が最初から創造理想として全身全霊で投入されたすべてのことを私たちに与えるために。アーティストとして、描くときにそのことを心に留めておいてください。わかりますね。
 

お父様の祝福されたKAHRガン

さあ、皆さん。今日は射撃場の責任者にエールを送りましょう。礼拝終了後、また鉄の杖のトレーニングを再開する予定です。すべてのレベルでOK。そしてもちろん、ロッド・オブ・アイアン・シューティング・コンペティション・チーム(射撃大会に出場する鉄の杖王国のチーム)にエールを送りましょう。チームはもうすぐ大会に出場します。おそらく今月中にも最初のグループが出場する予定です。ですから、彼らのために祈るとともに、スケジュール等が決まったら、一度射撃場に来てください。大会の日程と場所をお知らせします。このまま続けていくうちに、天一国と天一国文化を代表するチームが増えていくでしょう。

 

ですから、トレーニングはしっかりやっておいてください。美しい新型KAHR X9のためのリストに、皆載っています。もちろん、私たちも使うつもりです。ついに出た素晴らしい新型KAHR X9! 私は国進ニムを3年間も悩ませました。私はKAHRのダブルスタックが必要でした。彼はついに、サンタクロースがそれを実現させてくれたんです。サンタが存在しないことは知っているけれど、国進ニムがKAHRのチームと一緒についに設計してくれました。そして、それは本当に素晴らしい。昨日から射撃しているけれど、信じられない程です。2010年のショットショーでお父様がカー(KAHR)とトミーガン(Tommy gun)を持っていらっしゃる素晴らしい写真があります。それらはおそらく、いくつかの銃に刻印されることになるでしょう。お父様がそれらの銃器を祝福していらっしゃる素敵な素敵な素敵な写真です。

 

人々はお父様を女性化しようとしてきました。弱くて怖がりで心配性の女性化にしようとしました。お父様はそういう方ではありません。私たちの最初のビジネスは武器でした。お父様が韓国でエアソフトガンを製造されましたが、もちろん最終的には韓国軍の武器やカービン銃、バルカン砲などを製造するようになりました。とにかく、それらのビジネス、TICは、お父様が聖和されるまでずっと韓国軍との契約を継続していました。でも、人々はそのことを知りません。もちろん、彼らはそれを隠し、その事実を隠そうとしました。なぜなら、彼らは共産主義者だから、あなたを決して受け入れないリベラルな狂信者たちに受け入れられようとしたからです。彼らは本質的に共産主義者で、彼らは絶対に絶対に絶対に神主義を受け入れることができないからです。政治的悪魔主義の道を歩んでいます。あなたの生活のあらゆる面における、政府による完全な管理、政府による完全な監視、政府による完全な介入。それはキリストやその王国とは相容れないものです。

 

ですから、もちろん、お父様の周りにいた天使長たちを見ればわかるけれど、彼らは地位を欲しがり、ただ有名になって人気者になりたかっただけなのです。自分たちの自慢をするために、レベルの高いゲストを呼びたかっただけなのです。ただその人が有名でありさえすればよく、その人がお父様の価値観を支持していようがいまいが、彼らはそんなことは全く関係がなかったのです。彼らが気にしていたのはこれだけでした。ばかばかしい。中絶推進派の指導者たちのような変人奇人を招いて、あなたたちは一体何をしているんだ?と言いたいです。私が何を言いたいかわかりますか?彼らは気にも留めませんでした。ただ、「ああ、この人は有名なんです」と。あまりにもばかばかしい!ですから彼らは金と名声を崇拝するようになり、そのために彼らは堕落しました。バビロンの大淫婦の異端の悪魔の教えに従いました。しかし、毎週、多くの人が救われています。神を褒め称えましょう。今、驚くべき聖霊の動きがあります。

 

訓練 vs 練習

今日はマタイによる福音書6章を読みましょう。マタイによる福音書6章は、訓練についての内容です。それは祈りの生活の訓練に他なりません。イースト・ガーデンの屋外の、瞑想小屋の隣にある、私が修行した場所に、お父様が私を最初に祝福して書いて下さった書のひとつで、心身訓練심신훈련と書いて下さいました。それは、心と身体の「訓練」を意味します。훈련(訓練)という言葉は、練習という意味ではありません。訓練です。韓国では、例えば、軍事訓練군사훈련という言葉は軍事演習、訓練です。トレーニングに使われるのとまったく同じ言葉です。「韓国の男たちは訓練フンリョン(훈련)をしている」と言えば、トレーニングをしているという意味になります。MMAファイターがトレーニングに行く場合、「フンリョン(훈련)をやるんだ」と言い、トレーニング(訓練)という意味です。練習という意味ではなく、訓練という意味です。練習と訓練は違います。

 

練習は縦関係の監督なしに自分ひとりでできます。トレーニングは違います。誰かがあなたを見ているということです。誰かがあなたを見ていて、誰かがあなたの責任を負っています。インストラクターがいて、あなたはその人に対して責任があります。

 

訓練には縦的な要素があります。つまり、あなたよりレベルの高い人たちがあなたを見ていて、訓練が適切に行われているかを確認しているのです。

 

練習は家で反復してできます。誰でも家で練習し、自分でいろいろなことをすることができます。しかし、訓練は違います。訓練には縦的な要素があります。

 

マスター(師匠)がいて、インストラクターがいて、彼はあなたをプッシュし、あなたを訓練しています。責任感もあります。私たちはこのトレーニングに責任を持たなければなりません。単なる暇つぶしではありません。実際に上達しようとしているのです。

 

例えば、韓国の文脈では、軍事演習をしていると言えばそう訳されますが、実際は軍事訓練であり、レベルを上げることが目的です。

 

ただセレモニー的な練習をするだけでなく、指導者が見守る中でのトレーニング的な要素もあります。一人で練習したい人も多いから、その縦的な要素はとても重要なんです。

 

お父様は武術の訓練について素晴らしいことをおっしゃいました。子どもたちは皆、5歳でソフトな武術の訓練を受けなければならず、12歳とか大きくなったら、よりハードな武術を始めることができると。なぜかというと、その訓練をすると、自分は強く、素晴らしく、個性的で、とても賢く、経験豊富な人たちと対決することになると思っている妄想が打ち砕かれるからです。そんな妄想は現実には起こりません。そんなことは起こらないのです。それは現実ではありません。

 

ですから、多くの若者が持っているビデオゲーム的な妄想を、本物の武術のトレーニングに入ることで打ち破り、そのトレーニングを通して人格を形成していきます。妄想を捨て、正直であること、そして指導がいかに必要かを学び始めます。私たちが上達するためには、私たちよりも優れた人たちに訓練してもらう必要があります。この世界には、自分ひとりでやって高いレベルになれるものはほとんどありません。たとえYouTubeがあなたのインストラクターだとしても、インストラクターがいなければなりません。YouTubeには、今でも非常にレベルの高い指導者がいます。しかし、もちろん、多くのものは初級レベルに過ぎないことが多いですが。

 

肉体の領域で訓練があるように、精神的な領域でも訓練が必要です。子育ての領域でも、生まれながらにして親としてのあり方を知っているわけではありません。あなたは親がしたことを真似しているだけです。あなたの両親が悪い習慣を持っていたとしましょう。

 

まあ、あなたはそれを正確にコピーしています。ストレスが発生すると、心理学ではそれを学習パフォーマンスと呼びます。ですから、自分では違う行動をしているつもりでも、あるストレス負荷に達すると、基本レベルに戻ってしまいます。格闘でも同じで、武術の訓練でも同じで、基本レベルに戻ります。学んでいる最中のことや、まだ習得できていないことはできないままで、常に、ベースラインまで、実際のベースラインレベルまで下がることになります。

 

ですからベースラインレベルを上げたいのです。そうすれば、ストレス負荷がかかったときに、より高いレベルの行動をすることができるようになるからです。ストレス負荷がかかると、少しは行動の基準が下がりますが、初心者のベースラインのように大きく落ち込むことはありません。この基準にあなたを置いてくれます。分かりますか?ですから、訓練はとても重要なのです。とてもとても重要です。

 

マタイによる福音書第6章1-4節

この章はかなり大きく、貧しい人への施し、祈り、断食、天に宝を蓄えることに分かれています。様々なトピックに分かれていますが、もちろん、キリストが私たちに、これらのことをするときに、私たちの心と正直さを見守り、監視するようにと語っていることがわかります。では、今日は本当にゆっくりとこの聖句を見ていきましょう。誰もがスピードを上げたがりますが、ゆっくりでいいのです。6章1節を見ながら、一緒に読みましょう。

 

1 自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。

2 だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。

3 あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。

4 それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

 

純粋な心で十分の一献金を捧げる

これは貧しい人への施しであり、献金でもあります。バケツや弾薬缶などの献金箱を回さないのはそのためです。何人かの人は、「兄弟よ、弾薬缶を回したほうがいいよ。」と言います。しかし、私たちは回しません。神が指示することを人々が実行できるようになるべきだからだ。弾薬缶やバケツを回すと、人々は 「ああ、あの人は10ドル出した。ああ、あの人は...」と見ています。私が何を言っているかわかりますか?ちょっとした競争になります。もっとパフォーマンス的になります。そう、メガチャーチはそうしていますね。そのようにして大金を稼いでいるのですが、それは心に焦点を当てていません。心とは何ですか?

 

第1節では、貧しい人への施し、神の務めを支えるための施し、などと言っています。私たちは人前でそれをしません。静かに、純粋な心でするのです。それがお父様がおっしゃっていたことです。私たちはそのことについて祈りながら行うのです。祈りの心で。

 

正しい金銭管理と心を込めた施しについて

例えば、韓国でお父様が私を世界会長にされたとき、私は 「すべての牧会者たちも十分の一献金をしなければならない」と言いました。どうしてだと思いますか?牧会者たちは十分の一献金を捧げていなかったのです。彼らは教会員には十分の一献金をするように言っていましたが、彼らは十分の一献金をしていなかったのです。だから私は言いました。「一体全体どういうことですか?十分の一献金だと言って生命保険に入れているじゃないですか。それは十分の一献金ではありません!あなた自身が十分の一献金を捧げていないのに、どうやって人々に模範を示すつもりですか?」それが私たちが最初にしたことです。私は韓国と日本の教会に大騒動を巻き起こしました。そういう悪ふざけは止めさせなければならないからです。私たちは若い頃から十分の一献金を捧げてきましたが、郭や世界会長の地位にあった人たちは、もちろん十分の一献金を捧げる必要はないと思っていました。その人たちは、自分たちはその上にいると思っていました。彼らの子供たちも全く考えていませんでしたし、十分の一献金を捧げるべきだとは教えられていなかったのです。

 

私たちの子供たちは、幼い頃から、「十分の一献金をしなくてはいけない」と教えられてきました。適切なお金の管理については、幼いうちから明らかに単純な方法で教えるのです。ですから、例えば、おばあちゃんやおじいちゃんが10ドルくれたら、10ドルをただ使っていいというわけではありません。幼いうちにお金との付き合い方を学ぶには、それは無責任な方法です。子供を育てるときには、基本的なことを教えたいものです。おじいちゃんが10ドルをくれたとしましょう。そうしたら、5ドルはどうするんですか?貯金です。これは一般的なことです。50%は貯めるべきです。1ドル、つまり十分の一を神の共同体に分け与えるべきです。それから、4ドルは使っていいです。

 

つまり、10ドル持っています、でも4ドル使えます。どうなるかわかりますか?親がそれを教え、お金を分ける手助けをする限り、子どもたちは幼いうちからこのことを消化し始めることができます。それが1ドルでも、10ドルでも、100ドルでも、どんな場合でも。

 

彼らが成長するにつれて、ただお金遣いが荒くならないように、お金を持ったら直ぐに使ってしまったりしないように、あなたは彼らを訓練する手助けをしているのです。それはひどいことでしょう?悪いやり方ですよね。そんなことはしたくないですよね。10ドル持ったら、10ドル使いたくないです。すぐに貧乏になってしまう。よくありません。

 

将来や不測の事態に備えたいものです。特に家族を率いていかなければならないのであれば。あなたが男性なら、家族を率いなければなりません。家族を養うだけでなく、家族を導かなければなりません。つまり、悪いことが起こったときのために、不測の事態に備えなければなりません。もしあなたがそうしなければ、聖書は、あなたは不信仰者よりも悪いと、異教徒や不信仰者は地獄に落ちると言っています。彼らは明らかに神の寵愛を受けていません。

 

父とその息子たち、私たちに求められていることがあります。ですから、私たちは子供たちを若いうちに訓練するのです。彼らが1ドルでも手に入れたら、その1ドルを分けるのを手伝い、そのことはどのように物事を分解するのかその方法を理解するのを助けます。それは大きくなった時、レストランでチップをもらうときなどに役立ちます。物を分ける方法を学びます。子供たちがママから1ドルもらったり、あれやこれやをしたときに、1ドル全部を使うことはありません。50セントは貯金箱に入れ、10セントは神様の仕事やコミュニティーのために使い、40セントは自分がのめりこんでいる分野やお菓子、その他何でも買いたい物を買います。わかりますか?

 

しかし、これは訓練であり、これを繰り返すことで、子どもたちはこの理解を自分の身につけることができ、これらの価値を身につけ始めます。訓練を始めると、ただその動作をこなすだけでなく、それを自分のものにし、その意味を理解していきます。

 

マタイによる福音書6章の冒頭で、貧しい人に施しをすること、あるいは神のわざを行うことについて聖書が語っています。彼は、「密かに、静かに行いなさい。自慢せずに、誇示せずに、ただ静かにやりなさい。神はご存じです。神はご覧になっていらっしゃいます。」と言っています。つまり、この章全体は、私たちの心の状態に焦点を当てていて、心の中で正直であり続け、惑わされないようにと語っているのです。

 

マタイによる福音書6章5-15節

祈り

5節に行きましょう。

 

5 また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。

6 あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

7 また、祈る場合、異邦人のように、くどくど祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。

8 だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。

9 だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。

10 御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。

11 わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。

12 わたしたちに負債のあるものをゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。

13 わたしたちを試みに会わせないで、悪しきものからお救いください。御国と力と栄光とは、とこしえにあなたのものだからです。

14 もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。

15 もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。

 

だから、これは今、祈りについて語っていらっしゃいます。キリストの時代、そしてお父様の時代でさえも、まるで宗教の競争のように路上で祈る人たちについて対しています。これは宗教がやりがちな事です。それは殆んど競争になります。誰がより多く祈れるか、誰がより多く断食できるか。このようになります。ですから、精神的訓練をしながら、神に集中するかわりに、誰がもっとイカしているのかに焦点を当てるようになります。どういう意味かわかりますか?そうなってしまうんです。この種の祈りでは、神への集中が失われ、他の人との競争になってしまいます。そうなると願ったわけでなかったとしても。

 

祈りとは、悔い改め、お父様との関係を築き、聞きたくないことにも耳を傾けることです。なぜだと思いますか?天にいらっしゃる私たちのお父様は、私たちが聞きたくないことを文字通り、いつも教えてくださるからです。もしあなたが聞きたいことばかりを言われるなら、それはおそらく悪魔でしょう。違います!お父様はいつも、私たちがどれほど愚かで、どれほど分別がなく、どれほど罪深いか、どれほど愚かな決断をしたか、などなど、私たちに思い出させてくださり、私たちが聞きたくないすべてのことを正し、教えてくださっているのです。

 

ストレス予防接種

まあ、それらは現実のことですが、主はもちろん私たちをこのままにしておきません。彼は私たちを次のレベルに導かれます。「ああ、馬鹿だった、大きな間違いだった。さあ、こっちへおいで!これは私があなたに与える試練の時期です。私は姿を消します。」ちょうどヨブ記のように。試練の時期があり、神はお応えになりません。あなたは放って置かれ、泣いて祈って泣きながら祈って、それでも文字通り何の応答もありません。しかし、私たちが経験するある時期において、それが私たちの訓練の一部であり、ストレスを蓄積しているのです。

 

これは機能的な武術の訓練でも何でも同じことです。練習生にストレスを蓄積させます。ストレスの予防接種のようなものです。これは心理学でも、身をさらす訓練によって行われます。ストレス予防接種とは、対決する時とかそういう時に遭遇するであろうストレスを意図的に与えることです。

 

ストレス負荷が増えると、最初のうちはみんな固まってしまって、どうしていいかわからなくなります。人々は頭が真っ白になり、反応できなくなります。それが普通です。おしっこを漏らすこともあり、嘔吐したくなることもあります。それはごく普通のことで、誰もが経験することです。しかし、ストレスの予防接種を受けると、どうなるでしょうか?よりタフになります。何に対して?より大きなストレスの負荷に対して。これもローディングと言います。積み込んでいるのです。大きな荷物を背負ってラッキングするようなものです!そして荷物を軽くすると、うわー!あなたは飛んでいます。空を飛んでいるような気分です。スニーカーに羽が生えたような、そんな感じです。そうです。ストレスローディングと言います。同じような訓練がストレス負荷を与えています。

 

祈りについて

さて、神は私たちの祈りにもこうしてくださるでしょう。そうですね?私たちが質問するたびに答える義務は神にはないのです。というのも、神は一日に何度も私たちに答えなければならないでしょうから。神は私たちの奴隷でも召使いでもなく、魔法のランプの精霊でもありません。あなたは、ただ彼をグイッと強く引っ張って、「おい、答えをくれ、今すぐ答えが欲しい」と言うことはできません。彼はあなたのしもべではないのです。アーメン!彼は主人であり、お父様です。その質問が愚かなものであっても、答えを与えることは神の義務ではありません。子供たちが時々くだらない質問をすることを知っているでしょうか?リベラルな公立学校では、「愚かな質問というものはない」と言います。いいえ、愚かな質問はあります。何を言っているんだ?本当にバカな質問はあります。冗談でしょう?すべての質問が知的なわけではありません。

 

それと同じことです。神は、質問に答える必要はありません。多くの場合、私たちは答えを知っています。私たちはすでに答えを知っているのです。私たちはただ、逆のことを言われたいだけなのです。(笑)そうでしょう?でも、そういうわけにはいかない。彼はランプの精霊でもなければ、私たちのしもべでもなく、私たちの創造主です。彼は私たちに対して完全に権威を持っていらっしゃいます。彼は私たちをいつでも殺すことができます。彼は私たちの生と死の権限を持っています。彼は私たちに命を与えることも、命を奪うこともできます。ですから、そのような人とは、「私は今、これを要求する」と言えるような有利な立場に立っていないのです。皆さん、わかりますか?どうなるかわかりますか?何の影響力も持っていません。

 

「祈りの中で、私はそれを求めてきました。祈って、祈って、お願いして、お願いして、お願いして」と言う時があります。ああ、神が答えてくれなかった?だから何?神には質問に答えない権利があります。神は私たちの祈りに答える必要はないのです。多くの場合、答えないことが答えなのです。答えないのは、「これは良い質問ではない。あなたは答えを知っている。こんなことはするな。こんなゲームをするな」と私たちにおっしゃっているのです。 つまり、神が答えないことが答えなのです。アーメン。

 

マタイによる福音書6章のこの部分は、祈りの生活を発展させることについて話しています。私たちが神を精霊のように押さえつけようとしたり、人前で賞賛を得るための道具として神を使おうとしたりしないように。私たちは小さな祈りの部屋の中で神を求めるのです。それは文字通り祈りは内々にしなさいということです。それはパフォーマンス的ではなく、神との関係を築く訓練であり、答えがなくても大丈夫な訓練なのです。つまり、何をしなければならないのですか?神を信じることです。もし私がお父様にくだらない質問をして、お父様が答えてくださらなくても、私はお父様を信じています。そして、やがて、なぜそのくだらない質問に答えてくださらなかったのか、その理由は、私がおそらく既にその答えを知っていたからだということがわかるようになります。それがどういうことかわかるでしょう。人生のさまざまな紆余曲折や波乱に直面し、立ち向かううちに、そのことに目覚めていくのです。

 

主の祈り

主の祈りはここにもあります。9節から始まる主の祈りです。

9 だから、あなたがたはこう祈りなさい、

天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。

10 御国がきますように。

みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。

11 わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。

12 わたしたちに負債のあるものをゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。

13 わたしたちを試みに会わせないで、悪しきものからお救いください。御国と力と栄光とは、とこしえにあなたのものだからです。

14 もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。

15 もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。

 

人を赦し、その上で前に進むことは、個人的にとても重要な練習になります。しかし、それは相手のしていることを受け入れるという意味ではありません。赦すことと罪を受け入れることはまったく違います。赦すというのは、「よし、君の罪を受け入れよう」という意味ではありません。違います!罪と戦い、罪に立ち向かわなければなりません。聖書には、私たちは不義に対して語らなければならないと書かれています。ですから、罪と戦い、罪深い文化と戦い、LGBTや共産主義のような罪深い集団と戦い、立ち向かわなければなりません。彼らと向き合い、戦い、対決しなければなりませんが、悪意を持ってそれをすることではありません。皆さん、わかりますか?

 

小児性愛者を罰する

例えば、子供をレイプしている人がいるとしましょう。被害者は許せるかもしれませんが、その人は社会全体に対して罪を犯しました。それで、マタイによる福音書18章6節で、イエスは、「わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる」と語っています。小児性愛者にはもっとひどい罰を与えるべきです。海で溺死するよりも悪いはずです。社会に対して犯罪を犯した場合、罰を受けなければならず、その罰は恐ろしいものでなければなりません。

デビッド・ハリスはトランスジェンダーの投稿をしたばかりです。それは男性が女装をして、13歳の女の子を引っ掛けようとしているものでした。

 

 

 

 

その会話の中で、彼はカメラに向かって、「ああ、3歳の子供とセックスするのは悪いことだとは思わないよ」と言っています。私が何を言いたいかわかりますか?もし彼らが未成年との性的接触を求めていて、それが犯罪であるなら、彼らはひどいことになるはずです。ただ単に平手打ちを食らって翌日出所するだけでなく、ひどい罰を与えるべきです。子供を捕食しているのであれば、公開鞭打ち刑でも問題はありません。シンガポールやアジアでは行われていますし、世界中の多くの場所で行われています。

 

欧米では、「野蛮だ!」と言います。いや、違う!あなたが野蛮なのです!邪悪な人々を罰しないことで、子どもたちに対して野蛮になっているのです!なぜなら、一人の小児性愛者が平均74人の子どもたちに危害を加えようとしているのですから。つまり、野蛮なのはあなたなのです!私たちなら、武道家たちと棒を使って、すぐにこの事態に対処し、彼に手っ取り早く教訓を与えることができたはずです。このような悪魔に何の罰も与えず、子供たちを自由に狩らせ続けている欧米諸国こそ、まったく野蛮なのです。誰に対して野蛮なのですか?子供たちに対してです。

 

神の王国では、現地の法律は現地の人々によって管理されます。それで、あらゆる種類の法律を作ることができます。彼らは非常にクリエイティブになります。どのように悪人を罰するか、多くの創造性が問われることになるでしょう。

 

個人の赦しと社会の法学

たとえ犯罪を罰したとしても、心の中に憎しみを抱くことにはなりません。アーメン!子どもたちに対するひどい犯罪を犯した人を罰することができますし、変わらずにその人を愛することもできます。それらの2つのことは相容れないものではありません。実際、そのような行動を罰しなければ、社会はどうなるのでしょうか?

カリフォルニアのように、小児性愛者たちが集まるようになるでしょう。投獄されないし、奨励され、悪魔崇拝のエリートクラブに招待されるでしょう。分かりますか?そして、あなたがそれに対して強く立ち向かわなかったために、社会が完全に劣化することになるのです。

 

ですから、誰かを赦すことは一つの問題であり、常に赦すことを勧めます。しかし、もし社会に対して犯罪が行われたのであれば、社会で被害を受けたすべての人々のために、罰は制定されなければなりません。社会的に正当な罰を与えることによって、その人を赦すのです。この2つがどう違うかわかりますか?個人的な赦しと社会的な法学は2つの異なる問題です。結果が伴います。邪悪な行いを決して軽んじてはなりません。特に子供たちに対しては、絶対にです。

 

カトリック司祭職における小児性愛者

そうでなければ、文字通り小児性愛者の集団によって運営され、少年たちをレイプしているカトリック教会のようになってしまいます。実際、カトリックの司祭職には同性愛者が多いです。ペンシルバニアの司祭の50%以上は小児性愛者です。50%です。ペンシルバニア州が発表しました。ペンシルバニア州によってです。私ではありません。ペンシルバニア州です。司祭の50%以上が少年たちをレイプしています。司祭職にはゲイが多いです。

 

なぜかって?組織がそれを隠蔽するからです。もしある司祭が少年たちをレイプしていたら、彼らはその司祭を別の地域に移すだけです。彼を南アフリカに移すんです。南アフリカで少年をレイプするとは思わないですか?そうしたらラトビアに移すでしょう。じゃあ、そこで子供をレイプするとは思いませんか?言いたいことがわかりますか?彼らがするのは隠蔽だけです。ただ彼を移すだけです。韓国でもし、「あの司祭、ローマに行ったよ。突然ローマに行った」と告げられたら、どうしたのでしょうか?おそらく何かあったのでしょう。子供をレイプしたとか、痴漢をしたとか。だからローマに送られたんだ。なぜ?叱責されるため?再教育?違う!保護され、別の場所に送られるのです。悪魔のような組織だ。悪魔的だ。その種の小児性愛の司祭は、大きな、大きな、大きな、大きな、罰を受けなければなりません。なぜ?なぜなら、彼らは司祭職の立場に立っているのだから、神に対する重大な罪なのです。神に対する重大な重大な罪です。

 

神の王国のアダム的文化

神の王国の文化では、地元の人々が法律を決定する権力を持ちます。連邦政府が権力を掌握することはできないでしょう。つまり、あなたの住む地域に絶大な権力を与えるのです。

国家ではなく!あなたの住む地域に決定権があるのです。これは驚異的なことです!とてつもない権限が国民に与えられるのです。ですからこそ、人々は感情で支配するのではなく、お父様のように支配しなければならないのです。新約聖書の教会は新婦の教会であり、新郎を待つ女性教会です。

 

しかし、新郎が来ると、教会は何になるのでしょうか?アダムの教会!お父様は、神の王国はアダム文化であって、エバ文化ではないと語られました。アダム的文化とは、つまり、すべての息子と娘が父のようになるということです。たとえ男でも女でも、父のように、羊飼いのようにならなければなりません。

 

同じように、王国の文化で育った娘たちは、感情的に食ってかかってくるような、いつも被害者ぶるような、弱い感情中毒者ではいられません。だめです!厳しい訓練を受け、夫を尊敬し、危険なこともこなし、かなりクールで超かっこよくないといけませんが、同時に現実的でなければならず、惑わされてはいけません。そしてもちろん、自分自身が保護者であるという大きな心を持たなければなりません。ただ「夫は私を守ってくれる」と言うのではなく。そうではない!あなたもまた、神の娘として、王妃として、そして責任を負う伝道師として、訓練する良き平和警察平和軍の女性でなければなりません。

 

それは素晴らしい文化です。あなたを健康にするだけでなく、血液の流れが良くなり、40代そして50代になっても美しさを保つことができます。それらは全て利点です。しかし同時に、あなたの技術は磨かれ、コミュニティが生まれます。あなたは、「神を愛し、隣人を愛しなさい」という神の御言葉を実現し、積極的に関わることによって、より安全な社会を実際に作ります。常に嘘をつき、盗みを働く政府に任せるのではありません。あなたが安全な文化の創造に積極的に関与するのです。すべての子どもたちのために、自分の身を守れない人たち、弱い人たち、目の不自由な人たち、貧しい人たち、それらの人々のために、あなたが保護社会を作っているのです。

 

しかし、訓練とは心と体の一体化に投資することでもあります。外の世界では、「自分に投資しなければならない」と言います。それは目的ではありません。そうでしょう?心と体の一致は、神に喜びを返すためのものです。あなたは自分に投資しているのだと思いますが、それは本当に心と体の一致に投資しているのです。そうすれば、あなたは喜びを返すためのより良い受け皿となり、また横的レベルでは、人々がより安全に住み、家族を増やし、週末にはバーベキューをし、素晴らしい時間を過ごす場所を創っているのです。それが正に王国です。アーメン!王国では、たくさんのウィンウィンが起こっています。信じられないほどに。

 

お父様のみを敬い、崇拝する

しかし、私たちが祈るとき、神はパフォーマンス的な祈りを好まれません。なぜなら、はっきり言うと、これは教会で言うところの偶像崇拝のようなものだからです。それがなぜ悪いのか。プロテスタントから見た、カトリックや東方正教会の偶像についての美しいビデオがあります。Gavin Ortlundによる素敵なビデオもあります。息子たちが教えてくれたのですが、彼は素晴らしい。彼はプロテスタントの弁証論者ですが、カトリックと正教会の論争に対しては非常に寛大です。彼は彼らの立場をほぼ正確に代弁しています。

 

 

(イコン崇拝は、明らかに偶像崇拝)

 

すべては死者のために祈ることにあります。これは大事なことです。お父様は霊界について教えていらっしゃったのですから。もしあなたがプロテスタント、あるいはアメリカで育ったなら、プロテスタントは決して死者に祈ることはないという考えを持っているでしょう。それはずっと禁じられてきたことです。それは本当ですか?それは一般的な知識のようなものです。「そう。プロテスタントは。悪いことでしょう?死者に祈ってはいけないんです」とか、そういうことです。

 

彼は実際に、これらのプロテスタントの概念を打破する2時間の講義をしています。マルティン・ルターからすべての歴史を通して、プロテスタントが死者のために祈ることは非常に広範なプロテスタントの伝統であることを説明しています。あなたは明らかに救いのために死者に祈っているわけではありません。カトリックもそうではありません。

 

しかし、例えばプロテスタントによるカトリックへの攻撃は、当初はカトリックが死者に祈りを捧げていたかもしれませんが、時が経つにつれて、これは偶像崇拝と呼ばれますが、それが雪だるま式に徐々に悪い方向に集まり始めたのです。ですから、中世になると、カトリック信者は狂ったように祈るようになります。これらは完全に偶像崇拝的な祈りです。彼らはイエスにさえ言及していません。彼らは、「聖母マリア様、あなたは私の唯一の希望です。私はあなたが必要なのです...」と言っています。あなたは今、どんな宗教に入っていますか?わかりますか?もはやキリストが中心ではなく、聖母マリアが中心なのです。そして、あの聖人、この聖人、「私に与えてください... 」と。なんてことだ!ここまで来てしまったのか。

 

最初はそうではなかったかもしれませんが、何世代にもわたって悪化し、より異教徒になり、ある時点で完全に偶像崇拝になりました。これがプロテスタントが激しく攻撃した理由です。プロテスタントは、中世の「カトリック」が行っていた、今となっては異教徒的な祈りの生活という巨大な雪だるまを攻撃したのです。彼らはこれらの祈りの中でイエスをほとんど認識していませんでした。なんてことだ、恐ろしいことです!そのビデオを見てください。彼は実際にすべての引用をしていて、本当にひどいことになっています。

 

プロテスタントはそれについて憤慨していました。そして、プロテスタントの主要な著述家たちの見解をすべて挙げています。彼らは実際に、亡くなった人たちのために祈ると言っています。しかし、常に注意しなければならないことは、常に危険、危険、危険、その人はイエスではありません。その人はキリストではありません。アーメン!康(カン)真のお母様はいつもおっしゃっていました、「決して私を崇拝してはいけません。あなたは何によって私に喜びをもたらすのですか?お父様を崇拝することです。真のお父様を讃えること、それが私に喜びをもたらすのです」。ですから、見てみなさい!何百年も何百年も、康(カン)真のお母様のイコンを拝もうとする人々が現れるでしょう。しかし、私たちには彼女自身の警告があり、私自身の警告があり、三代王信俊は今日病気です。子供たちのほとんどが風邪をひきました。

 

コロナウイルスについて

ところで、新しいコロナウイルスの変異種ですが、ご存知ですか?思い出してください。3年前にもしあなたが、これは武漢のウイルス研究所で始まった可能性が高いと言ったとしたら、3年前にはあなたはウェブサイトなどでブロックされ、広告がつかなくなり、検閲され、陰謀論者と呼ばれたことでしょう。彼らは科学的な根拠は皆無だと言っていたでしょう。すべての科学がその反対を示していました。今、彼らは何と言っていますか?

 

彼らは認めています。患者Xが誰なのか。患者Xというのは、最初に病気にかかった人のことです。患者Xは誰か?それは文字通り、武漢のウイルス研究所の科学者です。愚かな人たちが今はこれを確認済みです。患者Xとは誰なのか私たちは知っています。彼らは研究所の科学者たちです。冗談じゃない!

https://www.forbes.com/sites/ericmack/2023/06/15/covid-19-patients-zero-in-wuhan-identified-boosting-lab-leak-theory/?sh=766d577a23b2

 

3年前に常識のある人たちは皆そう言っていました。たまたま武漢から来ただけなんです。たまたま、機能獲得実験を通して、専門的にコロナウイルスと様々な変異種を研究し増殖させていた武漢ウイルス学研究所があっただけなんです。おっと!それはまさにそこから始まったのです。でも、もしあなたが何か言うならば、「あなたは人種差別主義者だ。中国を嫌っている」と言います。このことを覚えていますか?患者第1号はまさに研究所の科学者であると特定されました。冗談じゃない!これらの人々は本当に邪悪だ!

 

この3年間、彼らはどれほど私たちを攻撃したか、誰でも明らかに知っています。彼らが、「従え、従え、従え!マスクをしろ、黙って、これらの新しい規則と法律と監視と鼻綿棒で脳を突き刺す終わりのない攻撃に従え」と試みていました。これらの狂った人たちと、「はい、わかりました、政府のご主人様、わたしはあなたの奴隷です」と言いなりになる弱い人たちと。ばかばかしい。

 

しかし、小進化を経て3年後の今、ウイルスはどこを攻撃していますか?血液系だけを攻撃しているわけではありません。スパイクタンパク質は今どこを攻撃していると思いますか?どこだと思う?さて、進化したプログラムは、何を攻撃しているのでしょうか?新しい症状は何ですか?消化管です。新しい症状は消化器系の問題です。消化管は人体の王座の部分、つまり免疫システムの中枢なのです。

 

つまり、ファウチと米国政府が違法に協力研究していた中国共産党の犯罪的大量虐殺政府の研究所で、科学者たちに漏洩した生物兵器があるということです。自然界に存在してきたどんなものをも越える兵器化された、つまり生物兵器を機能獲得研究していたのです。そして、どうなったと思いますか?今や、スパイクタンパク質と心筋炎の血液凝固は、血液を攻撃するだけでなく、免疫システムの中心である消化管をも攻撃しているのです。

https://www.medicalnewstoday.com/articles/gastrointestinal-symptoms-in-covid-19-what-do-we-know-so-far

 

ですから今、彼らは全世界を巻き込んでいます。彼らはすべてに影響を及ぼす免疫システムを低下させ、傷つけています。脳の機能、心臓、すべてに影響します。

 

トランプと1月6日

面白いでしょう?ちょうど選挙にも間に合います。彼らはトランプを選挙に出したくないんです!コロラド州やメイン州のような共産主義的な州は、「私たちはトランプを投票から外す」と言おうとしています。もちろん、彼らは負けていて、ただ時間を浪費しているだけです。それが彼らのプロセスで、「どんな手段を使っても、この男を追い出せ。なぜなら彼は脅威だからだ。」彼は完璧ではないにせよ、体制側にとっては脅威なのです。

 

彼は普通の人のために立ち上がっています。ところで、彼は大統領になって純資産が激減した唯一の大統領です。彼の財産は激減しました。彼は就任して、財産を増やしませんでした。

https://edition.cnn.com/2020/09/09/politics/forbes-400-donald-trump-wealth/index.html

 

他の狂った政治家たちはみんな、大統領になればお金持ちになります。トランプはもっと貧しくなりました。ですから、彼は明らかにお金のことは気にしていないのです。もしそうでないなら、彼はそんなことはしなかったはずです。アーメン!

 

そしてもちろん、訴訟に次ぐ訴訟、訴訟を起こして、彼を投票から外そうとしています。ベネズエラやキューバや北朝鮮のように、対立候補を投票から外そうとしているのです。1月6日のビデオがすべて公開され、それが「連邦捜査局」であったことが明らかになったのに、それでも「反乱」だと主張しています。連邦捜査局がその中に入っています。CIAとFBIが騒ぎを引き起こしたのです。彼らは合衆国議事堂警察とともにドアを開けていました。彼らは立ち止まっていました。そして、彼らは平和的に抗議していたデモ参加者に、脳震盪手榴弾を撃ち、催涙ガスを噴射していました。すべてのビデオが公開されました。

 

ですから、彼らが言うような反乱ではなかったのです。それが、コロラド州で敗れ、トランプが再び投票に加えられた理由です。メイン州でも負けるでしょうし、それをやろうとした地方検事は今、弾劾訴追を受けています。正気の沙汰ではありません。でも、私が何を言いたいかわかりますか?彼らはあらゆる手段を講じています。なぜでしょうか?グローバリストのEUとロスチャイルドに支配された政治体制を維持するためです。ところで、もしアメリカが滅びたら、世界中の人々が独裁政治の下に置かれることになります。

 

だからこそ、神の摂理がアメリカで非常に力強く動いているのであり、2024年は狂気の年になるのです。皆さん、まだ始まったばかりです。どれほどクレイジーになることでしょうか。彼らは生物兵器だけでなく、新しい兵器も出しています。それは、免疫システムを攻撃し、幼い子供たちの肺を攻撃して肺炎を起こさせ、非常にゆっくりとした息苦しい方法で死に至らしめ、両親をひどく悲しませます。それだけではありません!

 

もちろん、事態がエスカレートすればするほど、トランプの人気は高まるばかりです。彼らはこの狂気を実行しようとするたびに、彼にさらなる訴訟を起こし、起訴しようとし、RICO容疑で連邦重罪犯に仕立て上げようとします。しかし、そうすればするほど、彼らは本性を現します。彼らは腐敗した違法な悪逆無道の犯罪組織であり、国民のために自らの財産で立ち上がろうとし、国民のために大金を失う人物を排除しようとしているのです。あの男は愛国者です。たとえ完璧でなくても、彼は愛国者です。

 

政府のプロパガンダについて

メディアのおかげで、今や人々ははっきり見えるようになりました。神に感謝します!そして、実際、イーロン・マスクは大きな愛国者になりつつあります。ところで、イーロン・マスクは明らかに連邦政府と多くの契約を結んでいます。しかし、例えば、彼がツイッターでやっていることは、もしツイッターがなかったら、あらゆるプラットフォームがコントロールされ、反対意見は許されなかったことでしょう。

 

ツイッターは文字通り、主流メディアや政府の話とは正反対の見解を許容する、正にソーシャル・スクエアと言える、主要なプラットフォームの中での唯一の場所なのです。わかりますか?もし政府の見解だけがメディアで放送されるなら、それはニュースではない!それはベネズエラやキューバや北朝鮮のプロパガンダです。それはニュースではありません。

 

ニュースとは、真実を暴こうとするジャーナリストたちとともにあるべきものであり、両者の言い分を聞き出し、その上で人々に判断を委ねるものです。政府に有利な内容を発信する所ではありません。「コロナウイルスはあなたを殺す、マスクをしろ、マスクを外せ、マスクをしろ、マスクを外せ。N95は効く、効かない、効く、効かない。ワクチンは大丈夫だ、心配するな。オー!若者の心不全による死亡がかつてないほど増えている。なぜかわからない。科学者たちは困惑している。突然、すべての人々が死んでいるが、なぜそうなっているのか完全に混乱している。」本当に?本当ですか?

 

mRNA遺伝子治療とは何の関係もないのに、世界のどこでも全く承認されたことがないのに、素早く押し通し、国民に強制しました。職を失うと脅し、労働ができなくなると脅し、あちこちから解雇されると脅し、病院に行ってガンの治療やケアを受けることができなくなると脅し、死にそうな親族に会えなくなると脅して。このような馬鹿げた全体主義的な脅しの中で、私たちは生きていかなければならなかったのです。

 

ところで、私たちは世界中でそれを見ました。世界中のいたるところで、このばかげた世界政府の独裁政治の下で生きなければなりませんでした。そして、愚かでない人々に、世界政府が存在することを証明したに過ぎません。そして、彼らは、子どもたちをレイプし、エプスタインとモサド(イスラエルの情報機関)とCIAのセックス組織を通じて互いに恐喝し合う、この邪悪な悪魔の小児性愛者エリートの命令に従うよう、全世界の人々に指示するために、全世界を組織することができるということを。おや?皆さん、私の話がわかりますか?

 

断食について

だからこそ、信仰を持つだけでなく、行動が重要なのです。マタイによる福音書7章には、「わが父の御旨を行う者だけが、わたしとともにいる」とあります。断食もまた、認められるためではなく、父とひとつになるためなのです。主の御心、主の摂理のために行うのです。「御国を来たらせたまえ、みこころを行わせたまえ」。それが私たちが断食をする理由です。「父よ、私はあなたとともにいます、私はあなたとともにいます」と神を励ますために断食をするのです。「私が宇宙の中心だから、私が断食すれば宇宙のすべてのことが一列に並んで...」というようなことではありません。おいおい!異教の占星術を読むのは止めなさい。お父様に喜びをもたらすために訓練をするのです。

 

 

 

 

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