〔2023年12月31日 英語礼拝②〕

 

孫を育てる

孫娘のうちの一人が、彼女は今、あらゆるものを壊す年頃になりつつあります。おじいちゃんは小さなお茶のテーブルと急須を、彼女がつかめないようにいつも高い所に置かなければなりません。棚を増やさなければなりません。そういうものなんです。それが最も重要なことです。でも、日本のお香は出しっぱなしにしてあったので、王妃と私が部屋に入ると、お香がそこらじゅうに散らかっていて、孫娘は「ヒッヒッヒッ」と言っていました。おばあちゃんは、「さあ、きれいにしなさい。箱に入れなさい」と。私たちは「ゴール・イン 」と言います。サッカーでは、ボールをネットに当てて、「ゴールイン!」と叫びます。「ゴールイン、ゴールイン。オーケー。中に入れて。ゴールイン、ゴールイン!オーケー。」彼らはそのゲームが大好きです。後片付けは「ゴール・イン」ゲームです。それで、「ゴール・イン」ゲームをやったんだけど、赤ちゃんは今度はお米のところに行くんです。お米のところまで走って行って、お米を引っ張って投げるんです。おばあちゃんは、「あ、それはだめよ!ゴールは後ろ、ゴールは後ろ」。彼女は戻って別のものを投げました。彼女はもうそういう年頃なんです。英語では「魔の2歳児」(イヤイヤ期)、韓国語では「魔の3歳児」(미운3살 憎い3歳)と呼びますね。

 

王妃はこのことの後で、「このようなことが起こるのを見るのは、神にとってとても苛立たしいことでしょうね。毎世代、同じことがいつも繰り返されて」と言います。でも、私はこう言います。「でも、こう考えて見てはどうだろう。もしあなたがクルマを作り、そのクルマがあなたのプログラム通りに動いていたら、あなたは本当にハッピーになれるでしょう。」そうですか?あなたは喜んでいます。神がそのように創ったのです。そうやって彼らは外の世界と交流し、社会学的な境界線を理解し始めるんです。そうやって彼らは部族との交流を始めるのです。我々は次の世代を訓練しなければなりません。嫌なことを繰り返して人をイライラさせます。正直に言うと、うっとうしいし、つまらない。それはすでに私たちがそのパターンを知っているからです。私たちはすでにその時期を過ごしたし、かつてそうしたからです。

 

でも、神の視点から考えてみてください。楽しいよ。楽しいよ。なぜなら、神のシステムは計画通りに動いているからです。神のプログラムは機能しています。その子は神が創造された通りに動いているのです。その子は今、交流し始め、地域社会とのより洗練された交流方法を学び始めているのです。しかしもちろん、指導は必要です。適切な境界線を学ばなければなりません。騒動を起こしたり脅威になってはいけません。もし、適切な境界線を作るために子供を躾けない親がいれば、その子供は脅威となります。アーメン。

 

家庭内に父親がいなければ、身体的暴力が急増し、刑務所に入る率が急上昇し、退学率が急上昇します。その子のために境界線を作る必要があるからです。しかし、それは公正かつ慎重に行われなければなりません。感情的になりすぎたり、感情的な自己破壊的なやり方では、かえって逆効果になります。公平に、大局を理解して行わなければなりません。

 

そういう視点で見ると、「なんてことだ、面白いね」となります。王妃は娘にその話をしました。「私が、こんなことを何度も何度も見るのは神様にとって迷惑に違いないって言ったら、アッパ(お父さん)が、そうだね、でもね、神様はそういうふうに創ったんだよ」って。つまり、神のプログラムにとっては、「いいぞ、ちゃんと動いている」ということなんだって。創造主の立場からすれば、計画通りに動いているということ。

 

親としての役割について

そして今、必要なのは、その子を育てるためのギブ・アンド・レシーブ・アクション(授受作用)であり、親としてのレベルなのです。そこで、子育てのトレーニングや子育ての学習がとても重要になります。そうすることで、子育ての技術や理解が深まるからです。その場の思いつきやぶっつけ本番で何とかする育児をしたいわけではありません。私を信じてください。子育てを即興でやってはいけません。それが問題です。ぶっつけ本番で何とか子育てをしてはいけません。思いつきやぶっつけ本番というのは、何も考えずに、「ああ、これならできる。どうすればいいか知っている」と言うことです。これはちょっと馬鹿げています。

 

いや、そんなことはない。もしそう思うなら、あなたは間違いなく自分が何をしているのか分かっていないのです。ただぶっつけ本番でやってはいけません。父親や母親が犯したのと同じ過ちをあなたも繰り返すことになります。あなたは子供達に同じ過ちを繰り返そうとしています。そんなことをしてはいけません。代償を払うことになります。私を信じてください。もしそうするなら、彼らはあなたに復讐しに来ます。私を信じて。

 

そんなことをすれば、子供たちが復讐しにやって来ます。その場の思いつきやぶっつけ本番でやってはいけません。訓練し、学び、心身統一し、感情的にならず、感情的な自己破壊者にならず、正当に対応し、楽しんでください。訓練を受けると、とても役に立ちます。

 

そうしないと、おそらく15~20年目にやってくる大きな打撃を受けることになります。おそらく40年、50年の間、大きな打撃、多くの苦悩、多くの痛みがやって来ます。だから、そんなことはしてはいけません。そんなことはするな。賢くなってください。訓練を受けなさい。

 

でも、ただ訓練する姿を人々に見せるためにやっているわけではありません。私たちは本当に、神の御旨が実現し、神の祝福された中心家庭が強くなるためにやるのです。アーメン。それが神の御心です。祝福された家族が強くなることは神の願いですか?(はい)弱くなることが神の願いですか?(いいえ)もちろんそうではありません!ですから、私たちが訓練をするとき、「やあ、私は訓練しているんだ。褒めてくれ」ではありません。 違います!子供たちのため、次世代のため、自分自身の訓練と成長のためなのです。訓練を受けて、正しい子育てを実践するのです。バカな子育て、愚かな子育て、不当な子育て、虐待的な子育てではありません。そんなことはするな。正しい子育てを実践しなさい。

 

繰り返しになりますが、皆さんは私を知っているでしょう。私は叱ったり、子供を叩いたりすることに反対しているわけではありません。私の子供たちは皆、ママを攻撃しようとすれば、叩きのめされることを知っていました。パパなら問題なく自分たちを叩きのめすだろう。子供たちは私と一緒にトレーニングをしているから、私が簡単にそうできることを知っています。ですから、そのことは問題ありません。しかし、それが正しく使われなかった場合は問題です。なぜなら、自分たちのコントロール能力の欠如のため、感情を抑えきれずにした親の愚かな決断のせいで、殴り倒してしまえば、それは子供たちを神に敵対させ、神を非難するようにしてしまうからです。それは神の責任ではなく、親の責任です。

 

だからこそ、親になる前、あるいは若い親になる前に、早いうちから訓練を受けておきたいのです。そうすれば、何に気をつけるべきか、自分の感情をコントロールする方法を知ることができます。それは非常に重要です。あなたは、そのような状況をコントロールする方法を知っているし、神の御旨に集中する方法を知っているのです。断食も同じです。精神的な訓練はどれも、人に見せびらかすものではありません。神の御心のためなのです。アーメン。ですから、断食も同じ、親としての訓練も同じです。見せるためにするのではなく、神の御心のためにするのです。

 

しかし、何がすごいと思いますか?神を中心とした配偶者との訓練、子供たちとの訓練をし、真のお父様に栄光をお返しし、神の御旨がなされる時、あなたは多くの恩恵を受けます。若い親たち、私が言っていることが分かりますか?あなたたちは本当に多くの恩恵を受けるのです。自分の敵ではない世代の子供たちを得ることができるのです。子供たちは、あなたが子供たちに行使した自己鍛錬、自制心のレベルを高く評価しています。あなたがバカなことをする可能性があったのに、そうしなかったことに感謝する子供たちの世代を得ることができるのです。なぜなら、あそこにいる友達を見ると、あの親はバカなことをしているからです。私が何を言っているかわかりますか?彼らには違いがわかるのです。

 

訓練を通して、我々はより良く、より良くなる

ですから訓練をすることはとても重要です。訓練は私たちをより良くしてくれるからです。完璧である必要はありません。それは素晴らしいことです。完璧である必要はありませんが、訓練を通して少しずつ、毎日少しずつ良くなっていくことができます。それが訓練のすばらしさです。少しずつ少しずつ良くなっていくのです。完璧である必要はありません。神が完璧であるように、誰も皆完璧ではないのですから。アーメン!しかし、私たちは訓練を通して、毎日、毎年、より良くなるよう努力しています。

 

それは、結婚生活を分析するときにも重要なことです。私たちの結婚生活を見てみると、浮き沈みがあります。

ケンカすることもあれば、あれもこれもすることもあります。しかし、1年前と比べて、夫婦の関係はより緊密に、より強くなっていますか、それとも弱くなっていますか?そこが失敗か成功かなのです。昨日と比べるのではなく、1年前と比べることで、より大きな全体像が見えてきます。

 

今、1年前を見て、「ああ、夫婦関係は良くなった」と言います。あなたは素晴らしいことをしています。それは大きな勝利です。外に出てお祝いしましょう。ご馳走を食べましょう。フランス料理でもイタリア料理でも何でもいいです。素敵なデートをして、ロマンチックな夜を過ごします。素敵な時間を過ごしてください。その勝利を祝ってください。今は太陽暦の新年で、天暦ではまだ新年ではないことは知っています。でもとにかく、言いたいことはわかりますね?祝うんです。勝利を祝うんです。

 

そして、もし昨年1年間を配偶者と一緒に考えてみて、もしあなたが訓練を積んできたなら、そして真剣であったなら、たとえあなたが完璧でなくても、これらのことを実現しようと考えてきたなら、おそらく昨年よりも良くなっているはずです。わかりますか?去年より良くなっているはずです。もしそうなら、それは大きな勝利です。アーメン!大勝利です。(拍手)

 

そうだ、そうだ、拍手して下さい!ここで恥ずかしがる必要はありません。みんな欧米人はシャイですね。私は、アジア人は恥ずかしがり屋だと思っていたのに、どうして西洋人がみんな恥ずかしがり屋ですか?ですから訓練は素晴らしいんです。時間が経てばより良くなります。今年は去年より良く、来年は今年より良く。そうやって上達していくんです。たとえ世界が崩壊し、大宇宙的な審判が下ったとしても、だからといって訓練をせず、ただウロウロしたり、怖がったり、心配したりしてもいいというわけではありません。

 

マタイによる福音書 6: 19-20, 25-29

第6章、次に行きましょう。断食の後は何ですか?

 

19 あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。

20 むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。

 

心配するのはやめよう!祈ろう

25 それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

26 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

27 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の背丈をわずかでも伸ばすことができようか。

28 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の百合がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。

29 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

 

ほら、神は野に咲く百合の花をすべて着飾せられました。ソロモンはその足元にも及びませんでした。ですから、このセクションは何でしょうか?心配するのをやめなさい!心配するのをやめるためには、どうすべきですか?何を持つべきですか?信仰を持つべきです。アーメン!あなたはすべての道において主を信頼するべきなのです。信仰を持たなければなりません。信じなければなりません。信頼しなければなりません。そうすれば恐れはなくなります。皆さん、わかりますか?

 

では、心配性で神経症的な人はどうすればいいのでしょうか?心配するのはやめなさいということです。でも、ただ心配するのをやめるだけでなく、自分に言い聞かせるのです。「だめ、だめ、だめ。信じなさい。信仰を持ちなさい。心配する必要はない。信じるんだ。」そうですね?王は、王妃がお母さんとして心配しているときは赤ちゃんの安全や次世代の安全を心配しているのですから、彼女たちはお父さんよりもっと心配しています。本当ですか?ですから、お母さんたちが心配しているときは、お父さんたちがリードするんです。その時こそ、「心配しないで。あなたのために祈らせて」と言うのです。心配ごとをすべて、祈るのです。それが今、あなたの祭司長としての役割なのです。

 

あなたの訓練の中でそういう習慣がありますか?うん?それなら、その訓練を積まなければなりません。私の言っていることがわかりますか?あなたの王妃が心配しているとき、「こっちにおいで。さあ、祈ろう。祈ろう。このことに信仰と御言葉を吹き込もう」。一緒に祈る習慣を身につけるのです。あなたが祈った後に、王妃に子供たちのために祈ってくれるように頼むのです。心配事から注意をそらすのです。いわゆる「頭の散漫な人」ということで、心の中の悪戯小僧がいつもあらゆるものを掴もうとしているのです。それを止めなければなりません。なぜなら、心の中に本当の悪戯小僧はいないからです。それは幻想です。心の中の悪戯小僧を止めて、何に集中させるのですか?「御国を来たらせたまえ。御心をなさせたまえ。」アーメン!

 

ですから、私たちが心配したり、不安になったりしたとき、もしお母さんが心配しているなら、お父さん、祈るんですよ。ほら、言葉を話すんです。その習慣を身につけるのです。私たちの家は祈りの家でなければなりません。それに、完璧である必要はないんです。毎回する必要はありませんが、気がついたときに、「あ、祈ろう」と。それは祈る絶好のチャンスです。だってそうでしょう?もしかしたら、パパもその祈りが必要かもしれません。ママよりもパパの方が心配しているかもしれないのに、パパはそれを口に出しません。お母さんたち、そんなこと考えたことありますか?どうかな?もしかしたら、ご主人はあなた以上に心配しているかもしれないのに、それを言わないのは、ご主人があなたたち全員に対して、子供たちもみんな含めて、責任を持っているからです。

 

その習慣は訓練なのです。それは自然にはできません。なぜなら、誰かが何かに怯えている時、男はただ「怖がるな!びくびくするな!何だと?」と言いたくなります。自然なやり方は、「もうやめてくれないか?何の役にも立たないよ」となるのです。しかし、そのような心配性の習慣を乗り越えるように父親から育ててもらえなかった女の子は、心配する習慣があり、そして心配を表現したがります。そうやって心配を解消するのです。でも多くの場合、もし父親がいて、父親が彼女たちを導いていたら、彼女たちはそのような癖をあまり持たなかったでしょう。では、どうなるのでしょうか?夫が父親の立場になって、妻を育てる手助けをしなければなりません。わかりますか?でも、それは自分も怖がりながらやることではありません。アーメン!「祈るには絶好の機会だ。祈ろう」と言ってするのです。それが訓練です。

 

それが訓練の素晴らしいところです。訓練があり、そして人生で起こり、人生に対応しなければなりません。あなたは自分が訓練したものを使って人生に対応したいです。アーメン。人生に対応するとき、この人、あの人、あの悪い影響から学んだことで対応したいとは思いません。何が言いたいかわかりますか?私たちは、神によって訓練された方法で人生に対応したいのです。アーメン。

 

そうすれば、まったく違った結果が得られるでしょう。配偶者を祈りに誘うだけで、環境はすでに変わっています。ただ「オーマイガッ、大変だ、大変だ、大変だ!」ではなく、神に集中するのです。でも、「Oh my God(おお、私の神様)、大変だ!」と言っている人たちは、ただの言葉に過ぎません。彼らは「大変だ」と言っているに過ぎません。

 

彼らは本当に神のことを考えていません。おかしいと思いませんか?それは本当にリップサービスです。彼らは神のことを考えているのではなく、「大変だ、大変だ、大変だ!どうなるんだ?何が起こるんだ?大変だ、大変だ!何が起こるんだ?どうなっちゃうんだ?おやまあ、私の子供たち、私の子供たち、私の子供たち!」

さあ!そこから降りて、中心に戻って、祈りの家に戻すのです。

 

マタイによる福音書 第6章 訓練

そのような訓練はとても重要です。夫は王であり祭司長です。つまり、夫たちよ、私たちはその役割を果たさなければなりません。いいですか、最初のうちは習慣になっていません。信じてください。それを習慣化しなければなりません。日常生活に対応できる習慣を身につけるには数十年かかります。武道の訓練や武術の訓練のように、一朝一夕にできるものではありません。訓練をして、いざというときにうまく対応できるようになります。今まさに起きている人生に、「ああ、しまった」と対応するのです。その状況に対応しなければなりません。

 

しかし、繰り返しますが、そのために訓練を積んでいるのです。訓練は、あなたが、訓練を受けていない場合よりも、その状況に対してより良く対応するために準備することなのです。そうですね?

 

私の言っていることがわかりますか?つまり、このような精神的な訓練は、私たちを救うことはできませんが、私たちの精神生活の質、普通の生活の質、家族生活の質を高めるのです。なぜでしょうか?なぜなら、私たちは非常にパワフルな方法で祈りを生活に取り戻すからです。あなたの王妃が神々しい女性なら、彼女はとにかく祈りたいのです。彼女は心配ばかりしていてはいけないとわかっています。ですから祭司長に頼る必要があるのです。祭司長は伝道師を祈りで導かなければなりません。祭司長は、あなたたちがこの世界で一体何をしているのか、一緒に考える手助けをしなければなりません。なぜなら、人はすぐに忘れてしまうからです。アーメン!私たちは日常的に忘れていますよね?私たちは思い出す必要があります。そうでしょう?

 

だから訓練が重要なんです。繰り返しますが、完璧である必要はありません。それが訓練の素晴らしいところであり、完璧である必要はないのです。でも、訓練をすることで、ゆっくりとだんだんより良くなり、1年後にはすでにまったく違う習慣を身につけています。

 

今、あなたは環境に対応しています。人生の状況に対する対応がまったく違っています。なぜなら、あなたは、マタイによる福音書6章の訓練を受けているからです。

 

夫たちよ、妻や子供たちのために心配事について祈っているとき、祈りの中で彼らにこう思い出させてください。「父なる神よ、あなたはマタイによる福音書6章で、野に咲く美しい百合の花を見て、美しい衣をまとったソロモンでさえ、あなたほどに美しい衣をまとわなかったと言われました。ですから、私たちは心配せず、恐れの霊に生きるのではなく、信仰と力と愛と健全な心を持って生きるべきなのです。ハレルヤ!感謝します、お父様!」

 

わかりますか?どれほど素早く精神が変わるかわかるでしょう。そう聞いただけで即座に精神が変わるんです。なぜですか?信仰は聞くことによって生まれるからです。何を聞くのですか?神の御言葉を聞くのです。聖書にはそう書かれています。信仰は聞くことによってもたらされます。もしあなたが夫なら、あなたは家庭の王であり祭司長なのですから、神の御旨のために、あなたの信徒、あなたの王国に影響を与えるような方法で、神の御言葉を宣べ伝えなければなりません。アーメン。

 

彼らは一緒に暮らしている人たちです。日曜日に会って、別れるだけの人たちではありません。一緒に生活している人たちなのですから、あなたは繊細でなければならないし、説教しすぎないようにしなければなりません。説教をし過ぎると、今度は喧嘩になります。保証しますよ。あなたが聖句を引き出そうとするなら、適切なバランスを保たなければなりません。彼女も聖句を引き出そうとしているのですから。今、あなたの家では宗派が生まれつつあるのです。ですから、明らかにやりすぎはよくありません。

 

賢くなければなりません。愚かになるな、賢くなれ。物事を極端に考えるな。賢くあれ。蛇のように賢く、鳩のように平和であれ。賢くあれ。使いすぎず、習慣を身につけること。何を言っているかわかりますか?

 

結婚生活に絶対性とロマンスがあっても、あるカップルにおいては妻とセックスをしたがります。それは明らかに正常です。男には強い性欲があります。それは神が私たちに与えたものです。それは悪でも間違ったことでもありません。それは自然なことですし、美しいことです。それは他の誰でもなく、奥さんに向けられるべきものです。

 

さて、カウンセリングを受けに来た多くの夫がこう言います。「お父様の御言葉によれば、夫が絶対性を願う時にはいつでもしなければならないのですが...」と。「どんな場合であれ」という言葉を、彼らは文脈から抜き出すのです。彼らは、夫が何をしなければならないかについて、お父様がおっしゃったことには触れません。しかし、夫はお父様の御言葉を利用して、「だからあなたは私の妻であり、もしあなたがお父様に対する信仰があるなら、私が望むときに、今、私とセックスしなければならない」と言うでしょう。これは非常に愚かなことです。これはロマンスや心とは何の関係もありません。

 

正にその同じ章で、お父様は男たちを厳しく戒めています。「家庭にも喜びと楽しみをもたらす男でなければなりません」と。そんなこと言ってた?同じ章に書いてあるよ。あれ?彼らはいつもその部分を忘れます。私たちは御言葉で他人の行動を強制したいのではありません。御言葉は、例えば、王妃が将来のことを心配しているとしましょう、それは正常なことですが、それについて巧みに祈ることができるようにするために用いるのです。王様たちは、私が言っていることを理解していますよね?巧みな方法でするのです。その習慣を身につけるのです。

 

ですから、このマタイによる福音書6章全体は、訓練の内的な性質と実践、断食や祈りの訓練について語っています。見せびらかすための外的な方法ではなく、祈りという内的な方向で、また、あらゆる種類の精神的訓練において、私たちはそのような考え方で行うべきす。アーメン。その心構え。

 

神の御言葉は麦と籾殻を分け、骨と筋を分け、心にしみわたります。ですから、それが引き出され、誠実に行われるとき、ただ自分の思い通りにするためではなく、真に対象(妻や子供、あるいは祈っている誰か)を心に置いて真実に真実に誠実に行われるとき、霊はそれを感じることができます。

 

恵みによって救われた罪人たち

さて、もしあなたが、「私たちはお互いのために祈ったことがない。30年間、私たちは一度もこうしてこなかった。私はあれやこれやで彼に腹を立てているし、彼と一緒に座って祈ることさえしたくない」。わかった!もうやめましょう。

 

まず、2人とも罪人であり、2人とも多くのひどい過ちを犯してきたことを認めましょう。あなた方のどちらも完璧ではありません。アーメン。あなたはそこから始めなければなりません。神の御前に私たちは罪人であるという原点から始まるのです。私たちは神の恩恵によって、神の血、犠牲、真のお父様の監獄、そしてあなたが見た死の拷問によって救われています。これらすべての恐ろしいことは私たちのためなのです。私たちは、「彼がした」ということを止めなければなりません。二人とも罪人です。二人とも罪人です。どちらも罪人。どちらも完全ではありません。

 

アーメン。私たちは誰も完璧ではありません。私たちは神の前では罪人です。私たちは完全ではありません。私たちは多くの過ちを犯しました。アーメン!

 

それはとても重要なことです。なぜなら、今、今、実際に祈りが始まるからです。今、祈りが始まるのです。祈りは、「私は完璧な者で、あなたは罪人だ」というところから始まるのではありません。いや、違います。それが神に対して正直であることの素晴らしさです。私たちは、神に対して、神の御心に対して、神が愛しておられるものに対して、どれだけのひどい考え、どれだけのひどい行動、どれだけの異なる言葉を口にしたかを知っています。神が嫌われることを、私たちは何度ほめたことでしょうか。私たちは神が憎まれる罪を犯してきました。ひとつ残らず!誰一人として、この罪を犯していない人はいません。一人もです!

 

この傲慢なパリサイ派の二世牧師たちと一緒に、私はこの本当に基本的なこと、あなたは完全ではないことを教え始めました。私は真のお父様の息子であり、単なる祝福された子女ではなく、真の子女です。そればかりでなく、私はお父様が後継者、相続者としてお選びになったその子なのです。私はすべての牧会者の上に立っています。すべての祭司の祭司長です。それでも私は、「私は罪がある」と言います。なぜ難しいのですか?なぜ難しいのか?どうしてそう言えないのですか?ただ正直であるなら、それは真実です。

 

私は神を憎んだ時もありました。神を呪ったこともありました。神を信じたくないこともありました。これらはすべて罪です。私はセックスしたり、麻薬をやったりしていましたのか?いいえ!しかし、私は神を拒絶していました。私は神と関わりたくありませんでした。神を憎んでいました。それが罪です。タバコも吸わなかったし、お酒も飲まなかったし、麻薬もやっていなかったし、私たちがやってはいけないようなすべてのこと、私は女の子と姦淫していたわけでもありません。でも、心の中では神に腹を立てていました。それが罪なのです。

 

では、なぜ自分が罪を犯したことを認めるのが難しいのですか。私はこう言いました。この呆れた傲慢なパリサイ人の祝福子女たち、牧師たちは私の話にとても憤りを感じていました。なぜなら、彼らのいまいましい人生でずっと、「あなたたちは祝福子女だから、罪はない」と言われてきたからです。この人たちは偽って崇拝されていました!全世代の人々が、この傲慢な祝福子女たちを自ら自身を偶像崇拝するようにし、偽って崇拝しました。彼らはキリストを崇拝することさえせず、自分自身を崇拝しました!ばかげている!最もおぞましく、卑劣で低レベルなことです。私が目撃しなければならなかったことの中で。身の毛もよだつほどです。牧会者たちでさえ、基本的な説教者のレベルにさえ達していないことを示したからです。勘弁してくれよ!どうするつもりなんだ?マタイによる福音書6章が、文字通り、してはいけないと言っているそのものです。狂っている。

 

彼らはとても気分を害していました!あなたはわかっていないと。何百人もの傲慢な「二世」牧会者たちが、私が彼ら自身を偶像化することをやめさせようとしたことに怒っていました。私は「なぜ私に怒るのですか?それは本当に真実です」と言いました。私は、「あなたは自分が罪人であることを認めなさい」と言っているのではありません。私はまさに、祝福子女としてだけでなく、お父様の真の息子として、そしてお父様の後継者として、そしてお父様の持っていらっしゃるあらゆる摂理機関の国際会長として、そしてお父様の王冠をいただいた者として、それでも私は神の前に罪を犯しましたと言うことに何の問題もありませんと言っているのです。なぜあなたはそれが問題なのですか?私が何を言っているかわかりますか?バカバカしい。非常にバカバカしい、理解しがたいほどバカバカしい。でも、こういうことが起こったんです。彼らは自分自身の偶像となりました。そして、これは宗教においてできることなのです。

 

だからこそ、「いや、私は罪人だ、あなたも罪人だ。ベイビー、君は罪人だ。私も罪人だ」ということを常に思い出すことが大切なのです。そこから始めるのです。神の御前に悔い改めることから始めるのです。アーメン!そして、二人ともそこから始めると、今度はリーダーシップが生まれます。それで、30年間、あれやこれやが起きて、今では一緒の部屋で寝ることさえない。今、あなたは多くの問題を解決しなければなりません。解決すべき問題は山積していますが、まずはどこかから始めなければなりません。そのどこかからは、その部屋からではありません。30年来の敵意を抱えたまま、ただ一緒に寝ることを強要されても、本当にうまくいくとは思えません。

 

精神の変化が必要で、それは何を認識することによってもたらされるのですか?あの悔い改めが心情と精神を変えるのです。私たちは神の御前で罪を犯しました。神の前で罪を認めなさい。神に謝りなさい。夫に謝れないなら、まず神に謝りなさい。妻に謝れないなら、まず神に謝りなさい。おい、一緒にやった方がもっといいよ。それがダムにひびを入れることになるでしょう。この夫婦が作った偶像のダム、今や二人は文字通り別々の部屋に住んでいます。同じ家の中でイスラエルとパレスチナになっています。何が起こっているのか?あるはずのない壁を作ってしまいました。わかりますか?これは本当に起こることなんです。私たちはこのようなカップルに対処しなければなりませんでした。

 

ですから、言うまでもなく、そのような道に落ち込ませてはいけません。そういう状況は悲しいものですが、多くの場合、変えることができます。翌年、私たちはまた戻って、「あなたたちカップルはどうですか?」と尋ねます。まあ、去年よりは良くなっています。なぜかって?あの練習を始めたからです。「あなたは完璧ではないし、私も完璧ではない。私は完璧じゃない、あなたも完璧じゃない」と。「あなたは完璧じゃない、私も完璧じゃない」と言う方が簡単です。その方が簡単でしょう?「私は完璧じゃない、あなたも完璧じゃない」と言うのは難しいです。でも、両方言うんです。両方言うんですよ。まず簡単な方から始めて、次に2番目の方。2番目まで頑張ればいいです。

 

お父様はあなたを見ている

祈りの生活は、夫婦に「お父様があなたがたを見ている」ことを思い起こさせ始めます。え?お父様はあなたを見ています。あなたは彼を執事みたいに呼び出すのではありません。彼はあなたをじっと見ています。彼はあなたが見えるのです。彼は執事ではありません。「今、私にワインを持って来なさい。わたしを喜ばせてください」。違う、違う、違う、違う、違います!お父様はすでにあなたの寝室にいます。そして、彼を追い払うことはできません。アーメン。

 

そういうことなんです。私たちが罪を犯さないのは、お父様を意識し、自覚しているからです。私たちは意識的に、ああ、お父様はこの部屋にいらっしゃるんだと気づいています。誰も見ていないとき、お父様は部屋にいらっしゃいます。マタイによる福音書6章全体が語っているのは、そういうことなんです。お父様が部屋にいらっしゃるという意識を持つことです。彼は部屋にいらっしゃいます。そして、私はただこう言っているだけではなく、私は本当にお父様の存在を感じます。関係が深まるとはそういうことです。あなたが本当にお父様の存在を感じるのです。彼はまさにあなたの良心を突き刺し始めます。バーン!他の女性に欲情しているのか?バーン!彼はあなたのタマを蹴り上げる。あなたはそれを感じます。彼の存在を感じるのです。アーメン?

 

アダム文化と罪に対する強い力

インスタグラムに書き込んでいるある外部の人は、クレイグ・ソーヤーのhttps://vets4childrescue.org/に寄付していると言いました。彼はコミュニティに警告を発したり、インスタグラムやフェイスブックなどの児童ポルノサイトを報告したりしています。彼はそれをしながら、あまりにもひどい画像をたくさん見たので、「大変だ、自分が悪魔になったみたいだ」と言っています。彼は私に、「ムーン牧師、私は祈りが必要です。どうか私のために祈ってください」と書いて来ました。

 

それで、私は彼に、「父なる神よ、私たちのタマに蹴りを入れてください。今すぐ。蹴ってください。ブーン!今すぐ私たちを蹴ってください。良いお父さんのように私たちを蹴ってください!」と書きました。私は本当に、彼のためにそんな祈りを書きました。冗談ではないです。そうするべきなんです。彼は返事を書いて、「牧師、本当にありがとう」と言いました。彼はとても感謝していました。真剣に。女の子は、「一体どんな祈りだったの?」って感じでした。「ベイビー、理解する必要はないよ。ただ私を信じて。それが正しい祈りなんだ。」

 

ああ、神様!でも、それが本当に彼を助けたんです。本当に彼を助けたんです。信じられないでしょう?それが武器になるなんて。だってみんな、タマを蹴られるなんて考えただけでも、痛みを感じるんだよ。ただ考えただけでも。だから、それが祈りの中にあったという事実さえも、その結果、彼はすぐに触覚的に自分の身体に対する責任に立ち戻ったのです。彼は今、自分の身体に責任を持たなければなりません。即座に。霊的な所から彼を連れ戻し、現実に引き戻し、「クソ、責任重大だよ!」と。そして彼は、「兄弟、その祈りを本当にありがとう。本当に祈りを感じました」と書いて来ました。私は、「強く生きろ、兄弟」と言いました。

 

しかし、このように祈ることが、新約聖書の教会にとってどれほど有益なことでしょうか?真面目な話です!彼らの祈りはすべて、何度も女々しすぎる。ですから成約聖書の教会は違います。アダム文化がやってきたからです。それで、柔らかい愛の心だけでなく、罪に対する強い力、罪に対する強い力が必要なのです。アーメン!アーメン!

 

2024

信じられないような時です。皆さん、今、2024年が近づいています。クレイジーな年になるでしょう。

これから行われるMAGA集会のお祈りに参加してください。狂気の沙汰になりそうです。おそらくBLM、アンティファ、パレスチナ人の暴動が起こるでしょう。BLMと一緒になって変容しているものすべてです。今年は分裂の種を蒔くためにさまざまなグループが登場します。あらゆる種類の狂気が起こるでしょう。

 

多くの歴史的な近現代の事例を見ると、内戦は通常、大帝国の終焉を意味します。内戦に突入すると、当然、侵略者に対してより脆弱になります。ですから、私たちは本当に内戦は避けたいです。アーメン?私たちは本当に、本当に、本当に内戦を避けたいのです。本当に。

 

今、もしお父様の御心として、アメリカがそのような状況に陥り、全世界が何らかの形でリセットされなければならないのであれば、それはそうなのです。しかし、少なくとも私たちは神の御心が成されるように祈り、5%の力を尽くし、内戦が起こらないように激しく戦います。なぜなら、お父様は常に政治的な悪魔主義と戦い、聖職全体を通してある候補者を支持していたことを私たちは知っているからです。あなた方の多くは、レーガン、ニクソン、そして 「Forgive, Love & Unite(許せ、愛せ、団結せよ)」に関わりました。ニクソンのスキャンダルを覚えていますか?つまり、あなたたち一世は、何十年間そうして来ましたか?何十年も、何十年もです。

 

成約聖書文化では悪と戦い、罰する

これもまた、新約聖書の教会と成約聖書の教会の違いです。成約聖書の教会では、アダム的な再臨主、キリストの姿がここにあるので、彼の文化、彼の御心が摂理の中心になります。

 

「ただ待っていればいい、何もしないで待っていればいい。イエスは来られる、ただ待つのだ。歓喜はやって来る」と、ただそうなるわけではありません。ノー。おお主よ、これは新約聖書の教会を殺したのです。教会を殺しました。教会はどうなってしまったのでしょうか。そのせいで、すべての不道徳で邪悪なものがアメリカに根を張り、かつてキリスト教徒だった西洋の文明全体が破壊されることを許してしまったのです。しかし今は異教徒であり、小児性愛を推進しています。私たちは今、文字通り悪魔のようです。

 

ですから、私たちはペテンと戦わなければなりません。私たちは文化的に反撃しなければなりません。それが、私たちがあらゆる文化的要素と戦っている理由です。私たちは文化的に反撃しているのです。路傍伝道を通して、鉄の杖フリーダム・フェスティバル、音楽コンサートを通して、音楽、芸術、衣服、メッセージの発信などを通して、私たちはそれを行っているのです。これらの色々なやり方で、私たちは行く先々で、王国について、そして今、弱い新約聖書の教会の考え方にとどまっていてはいけないということを証しするのです。

 

もしあなたが、成約聖書の時代、憲法、そして再臨主を知るなら、あなたの人生は一変します。祝福家庭になるので、家族のために戦うようになります。王と王妃として戴冠するので、王権のために戦い始めるようになります。憲法が世界を守るので、憲法のために戦うようになります。「神を愛し、隣人を愛せよ」を理解し、そして平和警察・平和軍はすべての人の責任であることを理解するので、訓練を始めるようになります。

 

まったく異なる文化がやってきました。神学だけではありません。そこから、すべての文化が生まれています。強く、忠実で、愛情深く、悪に対して非常に危険であり、悪の中でも最も邪悪なものを許さない善良な人々の文化。誰が悪に立ち向かい、悪と戦い、悪を罰し、悪に正義をもたらすでしょうか。これらすべてが、王国の重要な要素なのです。アーメン!

 

訓練&鉄の杖王国文化

皆さん、2024年は大変な年になります!世界中から私たちの家族がアメリカにやってきて、祈りを捧げ、MAGA集会に参加し、射撃場で競技に参加します。それは証詞するチームでもあるよね?出かけて行って、鉄の杖王国文化を見せて、友人を作り、ネットワークを作り、伝道します。これらはすべて自然な人間関係の構築です。アーメン!しかし同時に、私たちの文化も披露します。

 

これらのことを通して、私たちは人々が救われることを願い、そして望んでいます。永遠の来世のために救われるだけでなく、地上でサタンの血統から救われ、神の血統、神の血を受けられるように。(拍手)そして神の家族を受け取り、神の結婚の契約を受け取り、そしてそれを大切にしてください。アーメン!大切にし、訓練に励み、常にレベルを上げ、訓練に興奮してください。

 

ですから、訓練をしている人たちと一緒にいることが重要なんです。ひとつ言えるのは、もしあなたが真剣に訓練をしているなら、どうなると思いますか?あなたの子供達が成長しながら、親と一緒に多くのことを学び、多くのエピジェネティクスを解いた子どもたちは、親が訓練をしているから、親の近くにいたがります。

 

私の子どもたちは、私がケガをしたり、いろいろなことがあっても、まだ興奮しています。私が腕立て伏せをしたり、冷たい水に飛び込んだり、氷風呂に入ったり。パパがそういうことをしているのを見て、「すごい!」って言います。そんなことする必要ないのに、しちゃうんです。私は訓練の痛みが好きなんです。なぜなら、私はそれを人生でずっと続けてきたから、健康でしっかりしていられます。そして、そのおかげで、少しずつ強さを取り戻すことができました。まだその過程だけれど。

 

でも、彼らはママとパパのトレーニングの雰囲気が好きなんです。ママは毎日外に出て、トレーニングをしています。それはとても刺激になります。子供たちがあなたのそばにいたがるのは、あなたが人々に刺激を与えているから。私が何を言っているか分かりますか?みんな、自分を奮い立たせている人のそばにいたいんです。アーメン!素晴らしい文化です。

 

だからこそ、天一国の文化では、私たちもお互いを応援し合うのです。祝福家庭は互いに応援し合います。私たちは互いに嫉妬したり、妬んだりしません。そうです。互いに応援し合うのです。家族の誰かが美しい配偶者を得たり、デート訓練を受けたりすると、インスタグラムやフェイスブックに投稿します。私たちは互いに励まし合います。「よくやった!かわいいね、頑張れ、頑張れ、私たちの王様と王妃様」。

 

これが私たちのやり方です。私たちは互いに励まし合います。なぜかって?同じチームだからです。同じ平和警察・平和軍の仲間だからです。平和警察・平和軍は、私たち家族の強さによってのみ強くなり、私たちが互いにそれを実現していることによってのみ、結束し、つながり、ひとつのチームとなるのです。アーメン!だから、そういう文化がとても重要なんです。祝福を受けたら、訓練を受けている他のカップルを励まさなければならないし、そのカップルは訓練を受けている新しい祝福された人を励まします。

 

お互いに応援し合い、互いを後押しし、活力を与え、そして動機づける、このサイクルは、より良い平和警察・平和軍、「神を愛し、隣人を愛せよ」になるために訓練です!そしてそれは、子育ての訓練にもつながっていきます。それはあなたの子供たちにとって素晴らしいものになるでしょう。なんて素晴らしい贈り物でしょう。あれやこれやの訓練を受けてください。それはあなたの将来にとって、なんと素晴らしい贈り物になることでしょう。

 

「お父様感謝します」訓練

2024年、私たちはマクロで戦っています。同時に内的な訓練も続けて行かなければなりません。毎日自分自身を奮い立たせ、毎日何百回も練習し、毎日聖書を読みます。しかし、褒められるために人前でやるのではありません。神に感謝するためにするのです。「お父様、感謝します。この体を与えてくださってありがとうございます。」

 

私自身、自分の怪我や、膨らんだ膝、まだ時々抜けてしまう壊れた回旋筋腱板について文句を言っている自分に気づいて、「頑張るんだ!お父様、感謝します!」。腕立て伏せをしていて、肩がポキポキ鳴るのを感じたら、「OK、感謝です、お父様!」と、本当にゆっくりやるんです。そして、ゆっくり逞しい背筋を作るんだ。ゆっくり。時間がかかる。でも、私にできることは何でも、「感謝します、お父様。感謝します、お父様!」それが良い訓練になります。そうするためには、心を鍛えなければなりません。それは自然にできるのではなく、それも訓練の一部なのです。

 

2024年はクレイジーな年になりそうです。マクロ全体のために祈ると同時に、ミクロのためとお互いのためにも祈ってください。今年はもっと強くならなければなりません。今年はもっと健康にならなければなりません。免疫システム、腸、免疫システムを攻撃するために戻ってくるコロナ・クレイジー、その他もろもろ。もっと強くなるんだ。私はいつも子供たちに、「子供たち、パパと一緒に水に飛び込もう」と言っています。冷水飛び込み訓練は、免疫系を活性化させるからです。体内のドーパミンやホルモンが250%増加します。コカインと同じくらいです。痛い?痛いよ。特に氷点下だと痛い。フーッ!痛い。痛い。痛いけど、いい痛みです。

 

精神的に追い込むことで、精神的な強さが養われます。それもあなたの訓練の一部であり、祈りの生活の一部です。そして、それがあなたの陣営に興奮を生み出し、増大させるのです。なぜなら、リーダーであるあなたが外に出て、できる限りのトレーニングをすることで、あなたの陣営に興奮をもたらすことができるからです。人々は、「しまった、僕もやる気を出さなきゃ、やらなきゃ。待って、待って、今日これやるの忘れてた」と。やる気を起こさせるんです。だからみんな、訓練している人のそばにいたがるんです。訓練している人のそばにいるとワクワクします。アーメン。誰も訓練しろと言わなくても、彼らはすでに訓練をしています。みんなが、「なんてこった、自分も何かやらなきゃ」というようにじわじわと浸透していきます。いい意味で、トレーニングに打ち込まなければならないという健全なプレッシャーになります。

 

祈ってください

2024年、私たちはマクロ的にもミクロ的にもやるべきことがたくさんありますが、忘れてはならないのは、私たちは強く立ち向かわなければならないということです。なぜなら、今年は大きな年だからです。今年は全世界の軸となる重要な年です。何十億回も述べたように、もしトランプが大統領にならなければ、私たちは世界中で完全な独裁政治に直面することになります。冗談ではありません。私たちは皆、コロナウイルスの非常識な全体主義を通してそれを経験しました。それはもっともっと大きなスケールの洪水として押し寄せて来ます。悪いことになります。

 

では、不正行為やその他もろもろある中で、トランプは大統領になれるでしょうか?誰にもわかりません。神に委ねるしかありません。しかし、私たちは神の御旨のために戦わなければなりません。アーメン!それこそが神が必要としていることなのかもしれません。おそらく神が必要としているのは、神とともに立ち、神のために立ち上がる信仰の人々なのでしょう。たとえどんな不利な状況であっても。そうすれば王国はやって来るのです。そうすれば王国は来る。王国は徐々に来ます。

 

というわけで、今年は強烈な時です。どうかお互いのために祈ってください。私たちのために祈ってください。

1月には、あと2週間ほどで、私たちはショット・ショーに向かいます。ですから、その時、私たちのために、もっと王国が築かれ、さまざまなネットワークなどで拡大するように、どうか祈ってください。

 

また、今年すでに準備しているフリーダム・フェスティバルに接するすべての人々の心が動かされますように。6月にはテネシー州で地元のフリーダム・フェスティバルをサポートする予定です。詳細は追ってお知らせします。そしてもちろん、開催される40-MAGAラリーは、非常に非常に大きくなるでしょう。そのためにはペンシルバニアを拠点にしなければならないでしょう。スウィングステートのほとんどは北部にあるからです。そのため、2~3カ月はほとんどペンシルベニアにいなければならないでしょう。ですから、これから起こるすべてのことを情報ルートで伝えますから、そのために祈ってください。祈りましょう。

 

ショーン牧師の報告祈祷

 

父なる神よ、あなたがなさっていらっしゃるすべての驚くべきことに感謝申し上げます。

今日、マタイによる福音書6章を学んで、私たちの外的な心と体の一致の訓練と実践の内的な性質について理解できたことに感謝申し上げます。人に見せびらかすためでもなく、世間から称賛を得るためでもなく、あなたを励まし、あなたの御心の中で歩むため、あなたの願いに自分たち自身を合わせるため、そして私たちの父なる神が望んでいらっしゃることを行うために、私たちに正しい心構えを持たせてください。

私たちの人生を完全にあなたに従わせ、服従させてください。あなたが私たちの真ん中に、つまり寝室に住んでいらっしゃることを知っています。あなたはすべてをご覧になっていらっしゃいます。私たちが一日を、そして一年を通して行動するとき、いつもあなたの存在を感じさせてください。

お父様、2024年は世界にとって信じられないような決定的な年であることを私たちは知っています。

大きな混乱の年であり、大きな変化の可能性を秘めた年であることを知っています。

偉大な勝利がありますように。あなたの御旨が広がっています。

私たちは団結して強く立ちましょう。たとえ私たちが、大いなる迫害、大いなる苦難、死でさえ、投獄に直面しても、あなたが遭遇されたすべてのことに立ち向かいましょう。

それらのことを恐れて生きるのではなく、いつもあなたの臨在の中で強くあり、聖霊の力によって私たちを貫くあなたの霊の中で、強く生きることができるようにしてください。

私たちは今日ここに集まったすべての人々と共に、あなたに賛美と栄光と誉れを捧げたいと思います。

私たちはお互いに強くなり、励まし合いながら、祝福された配偶者、祝福された家族との関係をさらに強く築き上げ、そして「神を愛し、隣人を愛する」平和警察、平和軍として、この地上に急速に到来しつつある、あなたの王国のために、互いに支え合い、励まし合うことができますように。

あなたがなさっていらっしゃるすべてのことに、そして今日この世界と私たちの生活の中で動いているすべてのことに感謝し、三代王権に集うすべての王権圏とともに、あなたに賛美と栄光と誉れをお捧げ申し上げます。あなたの尊い御名によってお祈り申し上げます。アーメン!アーメン、そしてアジュ!ハレルヤ。(拍手)

 

皆、立ち上がり、お父様に賛美と栄光を捧げましょう。アーメン!

 

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