吉原神社、普通の神社ではありませんでした
飛び地境内にある吉原弁財天とともに、感じたことを書き綴っていきたいと思います。
吉原神社は、名前だけは以前から知っていて、気になってはいたんですが、重いエネルギーを感じていて
あえて参拝しなくてもいいかな…
と、正直遠ざけていました
だって、名前からして
吉原の遊女さんたちが参拝してたのかなって想像しただけで、雰囲気は特別だろうな~って。
しかし、満を辞して?!
先日、ご挨拶に行って来ました
と言いますのも、今年の年初めは、浅草神社の恵比須さまとご縁を繋いで大開運しちゃうというツアーを企画していまして
浅草寺の大黒様もご案内するつもりなのですが、こちらの2柱とも浅草名所七福神のに含まれており
当日は全部のお社は巡れないけれど、、、
ご紹介はしたいな‼️
でも実際行かないとご紹介できない‼️
といういきさつです
吉原弁財天
まず最初に訪れたのは、こちら!
吉原神社の飛び地境内にある吉原弁財天
一歩入って、普通の神社じゃないなって分かります
七福神巡りという、観光気分でいったら大火傷します!
境内に入って、まず目に入るのがそびえ立つ吉原観音
観音様の下に”大震火災殉死者追悼記念碑”と書かれてるのを見て
地獄にともる唯一の光![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/088.png)
それが、この観音様だと思いました。
遊郭の地獄、被災の地獄
その中で唯一の救いの存在となってる。
涙がでました。
まったく予備知識なく訪れてしまったのですが、こちらの弁財天には関東大震災にまつわる悲しい歴史があることを境内の説明書きで知りました。
関東大震災により発生した火災から逃がれようとした遊女達は、廊の中では逃げ場がなく、このため池に飛び込まざるを得なかったそうです。
吉原は遊女が逃げ出さないように、街自体に様々な対策がされていましたが、それが仇となったのです。
この吉原弁財天は490人が溺死し、その鎮魂を兼ねた場所だったのです。
あらためて観音様をみると、その悲しみや無念さを一心に背負われている。
悲しみの中にいる存在たちがたくさんいることが分かります。
ずっと悲しみの中にいる必要はない
もう解放されていい…
血は繋がってなくとも(どこかで繋がってるかもしれないけれど)
命の、日本のバトンをつないでくださった、
その時代を生きてくださったことに感謝し
生きてる私は、この命を、魂を、大切に燃やしていきます
そして、光へお帰りください
そう祈りを捧げました。
この時の自分は、そう思ったんです。
だから、次回の参拝では違うことを祈るかもしれません。
境内を後にして、ふと思ったんですが
遊女たちはずっと悲しみの中にいてほしい
って成仏を邪魔してる人の思いもあるんだなって。
1⃣遊女たちに自分の境遇や悲しみを重ねている
2⃣遊女たちを被害者として、救ってあげたい、代弁者になりたい
まだまだあると思いますが、2⃣は一見問題なさそうなんだけど、それだけに根が深い
だって、これだって全員が成仏してスッキリ!!だったら、役割を失っちゃうから。
だから悲しみの中にいてくれないと困るんですよね。
そう思ったら、『同情するなら金をくれ!!』じゃないですけど(古い)
同情なんて何の役にも立たないのかもですね。
それじゃあ、お金はなんだ?って話ですが
生きてる人間が、生活するためだから、
亡くなった方からしたら、あの世にいくための道しるべが欲しいんじゃないかなと。
だって、江戸時代から令和まで、ずっと囚われてると思ったら…ね。
次回訪れたときは、また感じたように自分の思いやエネルギーを届けたいと思います
後半へ続く
数あるブログの中から
辿り着いてくださったご縁に感謝
最後までお読みいただき、ありがとうございました
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