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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、昨日までの記事の続きです。
それでは、
私たち人間が求める『正義』というものの根幹を成すものとは、
一体どのようなものなのでしょうか?
それは、簡単な言葉で言えば、『復讐』です。
つまり、
『やられたらやり返す』
という感情に他ならない。
『目には目を、歯には歯を』という言葉は、
私たちが持つ復讐の感情を端的に表した言葉だと言えます。
この『復讐』という感情を別な言葉で表現するならば、
自己の利益のために、
他人の利益を侵害し損失を与えた者に対して、
その損失を償わせること。
このように言い表わすことができます。
これこそが、『正義』の基本だと思われます。
前回の記事で、
作業中の線路に列車が猛スピードで近づいてくる、
という倫理の問題は、
たとえどのような行動を取ったとしても、
第三者から見れば正義とは少し違う印象を受けると言ったのは、
ポイントを切り替えるか、切り替えないかという行動には、
その行動を為す人の利益が一切存在しないように感じるからです。
恐らく、若い人たちには馴染みが薄いかもしれませんが、
かつては、年末と言えば『忠臣蔵』、
赤穂浪士四十七士の討ち入りの話が、
映画やドラマなどで必ずと言っていいほど制作されていました。
亡き主君の敵を討つというこの物語は、
明らかな『復讐劇』であり、
宿敵吉良上野介の首を見事に討ち取り、
無念をはらすシーンでは、
多くの人たちが、まさにそこに正義が実行されたと感動します。
この『敵討ち』という復讐は、
以前の日本でも遺族に与えられた権利でした。
それが、近代国家建設と共に、その権利を国が取り上げ、
代わりに法律によって人を罰することとなったのです。
しかし、
日本の現在の刑法は、
そもそも人を罰することに重きを置くのではなく、
人を更生させることがその目的であったため、
その刑罰は全体的に軽く、
多くの被害者やその遺族が、
そこに正義を実感することができませんでした。
最近では、厳罰を望む世論の声が強くなり、
改正によって厳罰化が進んでいるとはいえ、
まだ、人々の感覚とはズレがあるようです。
たとえば、以前に、
京都の亀岡市で起こった10人が死傷する事故でも、
遺族の人たちが自動車運転過失致死傷罪では納得できなかったのは、
少年が自己の利益のために無免許で運転した上、
居眠りをして
10人の人間の利益を侵害し損失させたにも関わらず、
その罰の軽さが、
少年の行為に対してあまりにもバランスを欠いていたからです。
それゆえ、人々は、
そこに正義を感じられなかったのです。
では、なぜ、私たちは正義を求めるのか?
この続きは、次回に書きたいと思います。
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