悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

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悟りを特別なものとして崇め、仰々しく語る時代は終わりました、、(^^)/~~~
悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v

 

 

いやーお久しぶりです!馬

 

 

こっち系のお話や業界?(笑)については、あまりにご無沙汰しすぎて、

 

キーボードを打つ手が大分ぎこちないです、、笑い泣き

 

 

私が青春を過ごした(笑)、悟り系界隈も今では一体どうなっていることやら、、

 

全くもって情報すら耳に届いてきません、、スピリチュアル全般についてはなおさらで、、

 

 

つい此間、ふとした機会にハイ〇ーセルフという言葉だけを目にした瞬間、、

 

思わず、がはは!って笑ってしまったくらいです、、うわーまだそんな言葉があるんやーと、、

 

 

体感的には、夏目漱石の千円札を目の当たりにしたくらいの時代錯誤感でしたが、、おいで

 

 

 

 

というわけで、珍しくブログを書こうと思ったのは、先の年末の漫才の祭典にて、

 

初めて見るとあるコンビのネタの余韻が未だに明けきらず、拍手

 

私にどうしてもブログを書けと、ハイ〇ーセルフが言うもんですから、、笑笑

 

 

 

 

 

 

 

いやーほんとすばらしい文句でした!飛び出すハート

 

 

今尚目覚めを探求しているという方、あるいは、探求の中で迷宮に迷い込んでしまっているという方、、

 

 

皆さんはもう充分探求はして来られました、、

 

目覚めとは何か、悟りとは何か、真実とは何かということもおそらくはある程度の理解に到達されたことでしょう、、

 

 

何がそれらを曇らせているか、何がそこから引き離そうとしているのか、思考、観念、自我、、こうしたもののエネルギーや習性もきっとある程度の認識はお持ちかと思います、、

 

 

では、ここで一応の先達として申し上げられることがあるとすれば、まさに、、

 

 

「目覚め」を求めようとする心、、

 

真に目覚めなければ自分は本当の意味で充分な状態には辿り着けないのではないかとするような強迫観念、、

 

 

こうした囁きが少しでも皆さんの行く手を遮っているとしたら、あるいは、そうしたメッセージを掲げ「あなたを今よりもっと素晴らしい境地」へ導こうとする誤った指導者を信じ盲目的に「どこか」へ向かおうとしているのだとしたら、、

 

 

そのような境地や目覚めなど、クソ食らえだと思ってください、、

 

 

 

崇高な「目覚め」など求める必要はありません、、

 

真の目覚めは、私たちが向き合うこの日常、今とは違った形で存在する目覚めなどこの世には存在しません、、

 

 

この瞬間の平凡すぎるほど当たり前な目の前の現実こそ、私たちが生きるべき本当の「目覚めた世界」なのです、、

 

 

 

どこかにあると思っている「目覚め」を手放し、私たちが寄り添うべき目の前の日常を丁寧に生きて行くことが何よりの「目覚め」です、、

 

「目覚め」からの目覚め、、そのためのキーワードは、まさにこう!!!物申す

 

 

 

目覚めるな!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

先日夜、ご飯を食べながらテレビを見ていましたら、、笑

 

(毎度、「ながら食」をしつつ禅について語るのははばかれますが、、汗)

 

 

時は50年ほど前の永平寺の修行の風景、、

 

全くもって意味を為さないように見える修行の一つ一つを熱心に取り組む雲水の皆さん、、

 

 

当時のインタビュアーがあれこれ「言葉」で心情や効果などについて尋ねはするものの

 

返ってくる言葉が何とも淡白というか、ある種雲水さんたちの困ったような様子さえうかがえたものです、、

 

 

 

けれども、やはり道元禅師があの修行の中に細々と仕掛けた一つ一つの工夫はまさに、

 

相対と絶対をつなぐ、あるいはそのどちらをも「外さない」見事な体系であると言わざるを得ません、、

 

 

 

食事や洗面、掃除、雪かたし、料理、坐禅、読経、公案、、

 

禅独自の坐禅や読経、公案は置いといて、、

 

 

最も注目すべきは、食事や洗面、掃除や料理といった、いわば、私たちの普段の日常と何ら変わらない、あるいは、誰の日常にも根差した当たり前の行為行動を「修行」として体系化した点にあります、、

 

 

そうした修行の一つ一つのマニュアルややり方を守り、それをひたすらに実践することは実際のところ求道においてとても的を射たアプローチであるのです、、

 

完全に相対に根差したそうした行為行動に、慎重な気づき(アウェアネス)を向け続けることが即ち、絶対性であるところの真我へと確実に通じる道であるからです、、

 

 

尚且つ、道元禅師は、絶対性へと魅了されそれに盲目になる様相をいなし、即相対へと戻れる工夫を構築したというのがある意味でこの一連の修行の秀逸さと言えるでしょう、、

 

 

 

相対は絶対へと通じ、絶対は即相対と表裏一体、、

 

 

色即是空、空即是色、、身心脱落、脱落身心、、

 

 

 

 

ですから私たちは、求道において特別な場所に出かけていく必要は全くもって必要ないのです、、

 

日常の中に真実の扉があらゆる場面で常に用意されているのです、、

 

 

扉は今ここでしか開きようがないのですから、、

 

と言っても逆説的なことに、結局のところ扉は初めからなかったということを発見することになるのですが、、

 

 

 

 

 

 

 

 

って昨年1回しか更新なかったブログが早くも今年は4回目、、おいで

 

もしやメッセンジャー再熱説?笑

 

 

 

 

 

夜、ご飯を食べながらテレビを見ていましたら、、目

 

(「ながら食」は禅の皆さんに怒られそうですが、、笑)

 

ご存じこちらの曲に合わせて何やらCMが流れてきましたよ、、あし

 

 

幸せは~歩いてこない♪

 

だ~から、歩いていくんだね~?

 

 

 

かつて、悟り系ブログでもいろんな方がこれをあれこれアレンジされてきましたね、、笑

 

 

幸せは、事象によってもたらされると一見誤解されがちですが、

 

 

それを感じる主体である私が居てはじめて成立するという前提がある以上、、

 

幸せが歩いてこないというのは事実であるわけですが、じゃあどうすれば良いんでしょうね、、

 

確かに、こちから歩いていくことも一つの手と言えば手ですが、、

 

 

どこを歩いていても、「今ここ」から一歩たりとも、一時たりとも離れることができない以上、、

 

そうした観念は、実際のところで本質を外していると言う外ないでしょう、、

 

 

 

というわけで、幸せを探し求め逆に迷ってしまっているようなとき、

 

どこに向かえばいいのか途方に暮れてしまっているようなとき、

 

何をして、一体どうしたら幸せにたどり着けるのかと混乱の中にいるようなときには、

 

 

ぜひ本質を、思い出してみてください、、

 

 

 

幸せは~歩いてこない♪

 

だ~から、立ち止まってみる(観る)んだね~♪秘密

 

 

 

 

 

 

 

さて皆さん、ここでこちらの懐かしい動画をご覧ください、、

 

どこにも行かずに目覚めちゃった人の動画、久々に見ましたが何度見てもいいですね、、お祝い

 

 

 

 

目覚めはいつも、「その場」で起きます、、

 

なぜながら、目覚めの本質も、私たちの本質も、「今ここ」を置いて他になく、

 

 

実際のところこの発見が、外側の「幸せ」というまやかしの背後にある、「至福」の本質でもあるからです、、完了

 

 

 

 

 

 

 

「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」

 

 

かの川端康成氏の本の有名な一説ではありますが、、

 

悟り系的には、、(って最近こっち系の話にご無沙汰過ぎて、「悟り系」ってもはや死語ですかね、、笑)

 

 

トンネルを抜けてもそこは「今」だった

 

 

 

長いトンネル、、気の遠くなるような人生の暗がり、、

 

晴れていても、何かに明るさが遮られているような、

 

 

いつまで続くのか分からない、時に終わりの見えないトンネル、、

 

何か怯え、たとえ目の前に恐れる対象がないときでも、

 

いつやって来るやもしれない窮地、、背後に差し迫った崖を警戒しながら生きる日々、、

 

 

 

こうした人生の長いトンネルの真っ只中にいると感じるようなとき、

 

周囲の明るさや陽気さとは一線を画し、どこか気が晴れないと感じる様相は、

 

実際には、心(思考)が作り出す一種の「まやかし」のひとつで、

 

 

「そのことに対する警戒心を全くもって取り払ってしまったら

 

 自分はいとも簡単に崖の下へと突き落とされてしまうに違いない」

 

 

とさも思い込んでいる自我意識の防衛作用が肥大化、あるいはタガが外れているような状態にすぎません

 

 

 

実際には、トンネルの中にいるときも、トンネルをいざ抜けて次なる展開に期待を寄せるときであっても、

 

 

どこにいてもその場所は、この世界の真実、「今ここ」以外の瞬間であることは不可能なのです、、

 

 

 

上り坂でも、下り坂でも、障害物や砂利の多い道、はたまた大雪に行く手を遮られる場面に遭遇しても、

 

その場の真実はどんなことがあっても決して揺らぐことはありません、、

 

 

大切なのは、どこに居ようとも、春夏秋冬、どんな天候のときであっても、

 

私たちが錨を下せる唯一の場所、、その瞬間の目の前の現実から目を背けることなく、

 

 

それと共に生きること、「その場を生きること」なのです、、

 

 

天は、その場その瞬間の今を生きる者を助く、、by ハリー

 

 

 

 

というわけで、相対的なところでの長い冬の終わりが見えてきました、、おいで笑い泣きクラッカー

 

今週後半にかけ、気温も上がり、困難を極めた雪の生活も徐々に和らぐことでしょう、、笑い泣き拍手

 

 

花粉症ですが、今年はどんなに花粉が吹き荒れても構いません、一刻も早く、本当に早く、、春よ来い!!

 

 

大好きな、直太朗くんのさくらを絶賛リピート中です、、桜

 

 

あ~春よ、、春うららよ、、

 

 

 

 

 

 

どうもご無沙汰しておりますバイバイ

 

 

先日まで過去いちの大雪に見舞われたこちら福島県会津若松、、雪だるま

 

 

車はスタックし、渋滞し、ラクダの背中のような道を必死に乗り越えつつ、、驚き

 

 

大雪の峠を越え、雪かきに精を出す休日、、グラサンハート

 

 

 

心が折れそうなほどの自然の驚異に驚嘆しつつ、、

 

はたまた、穏やかに雪を溶かしてくれるの暖かい日の光に感謝をしつつ、、

 

 

 

いかなる状況が様々に色を変えて差し向けられようとも、

 

状況の「色々」とは裏腹に、そこにあるのはただ一つの真実、、

 

 

 

晴れの日も、雨の日も、雪の日も、、そこにあるは「今」だけ、

 

途切れようのない広大な永遠性、、いつも、いついかなる時も目の前の真実とともにある不可思議、、

 

 

 

なぜ、どうしてと思いを巡らすと途端に真実は煙に巻かれる、、

 

考えを介さない、純粋は意識とともにその場にただあるとき、

 

 

この世の真理が降り注ぐ、、

 

 

 

 

ただし、雪はもう降らないで、、笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちは無意識に「線」を引いています

 

この「線」を越えれば幸せで、越えられていない今はそうではない、、のように

 

 

勝利できたら「幸せ」、そうでなければ「幸せ」じゃない

 

恋が実れば「幸せ」、そうでなければ「幸せ」じゃない

 

お金がたくさんあれば「幸せ」、そうでなければ「幸せ」じゃない

 

休みの日は「幸せ」、そうでなければ「幸せ」じゃない

 

安心できれば「幸せ」、そうでなければ「幸せ」じゃない

 

成功したら「幸せ」、そうでなければ「幸せ」じゃない

 

あの人に会わなかったら「幸せ」、そうでなければ「幸せ」じゃない

 

あの人に会えたら「幸せ」、そうでなければ「幸せ」じゃない

 

救いの手が差し伸べられたら「幸せ」、そうでなければ「幸せ」じゃない

 

受け入れられれば「幸せ」、そうでなければ「幸せ」じゃない

 

ほめてもらえば「幸せ」、そうでなければ「幸せ」じゃない

 

 

などなど、、

 

 

そう言えば、一昔前にこんな言葉が流行りました

 

 

 

 

「線」を引いたのは誰だろう

 

この線を越えられないと「幸せ」じゃないと決めたのは誰だろう

 

 

さあ、年の初めに気づきましょう

 

「幸せ」のラインを決めてさえいなければ私たちは一体どんな感じがするでしょう

 

「幸せ」を越えなければならない「線」でもって作り上げてしまったから、

 

そうじゃない今は、「幸せじゃない」と見えてきてしまうんだ

 

 

「幸せ」の線を引いたのが自分なら、その線を消せるのだってできるはず

 

「幸せ」の線を消すことができれば、「幸せじゃない今」も同時に消え去ってしまうだろう

 

 

 

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さて、先日紹介したシッタカブッタ、、見かけによらず深い内容でびっくりです、、笑

 

てか、いろいろシリーズがあるようですね、、新年にはまた手が伸びそうです豚

 

 

 

 

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※もはやメッセンジャーは気の向くままですが、

 

新年もどうぞよろしくお願いいたします!

 

 

誰かに何かを言われたって、それが正しいかは分からない

 

どんな出来事が起きようと、それが悪いことかは分からない

 

 

正面から吹く風も、向きを変えれば追い風にだってなるもの

 

あなたにはあなたの風が吹く

 

風はいつでも吹いている

 

あなたが風の源

 

 

 

 

 

というわけで、今日はこんな感じの挿入歌

 


 

 

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そう言えば、先日古本屋に寄って、いつもの漫画コーナー(笑)をうろうろしてましたら、

 

ふと、興味深い本にバッタリ!中を開けば懐かしの悟り本の香りが、、笑

 

 

もはや悟り本なんてもはや買うことはないだろうと思っていた私でしたが、

 

購入して中身をペラペラ!漫画なのでスイスイです!笑

 

 

ってまさかの、「禅の十牛図」をもじった、「十猪図」なるものも書かれてありレベルの高さに度肝を抜かれました、、笑

 

出版年を見ましたら、2003年、原作はそれよりだいぶ前の1993年とのことで、、

 

10年ほど前に賑わった悟りブームよりもだいぶ前に出版されて、

 

これまで見聞きすることもなかったことに驚くほどの秀逸な内容に要所要所で拍手をしたくなるほどの内容でした、、

 

 

 

ぜひ皆さんも年末年始のお休みのお供にどうぞ!

 

 

 

 

 

※今日も読んでくださりありがとうございます!クリスマスツリー

 

 

というわけで、昨日の流れでふと思い出したところで、、

 

以前、フェイスブックかどこかでシェアされたやつ、、拍手

 

 

 

 

地獄の門って、、笑

 

さすがはOSHOらしいですが、時にこれくらい言わないと観念にあまりにもしつこく根付いた習慣的な思考感覚を黙らせられませんよね、、笑

 

 

 

ということで、「未来」的思考が即ち、「地獄の門」を開けるというのであれば、、

 

「天国の門」を開けるカギは今ここへのダイレクトな帰依であるということに他なりません、、

 

 

今ここ以外を切り離し、ただその瞬間に為すべきことにこの身をささげる、、カギ

 

レッツ、没入!いざ、NOW!!!物申す

 

 

 

というわけで、もはや物置に閉まったままのOSHO本でも、秋の夜長に久々に取り出してみようかどうしようか、、バイバイ

 

 

 

 
 
 

 

 

 

 

 

 

※今日も読んでくださりありがとうございます!流れ星

 

 

ゴールにたどり着いたときどんな気分でしょうか、、

 

ずっと目標にしていたゴールを達成し、自分の思い描いたような成果を成し遂げることができたときどんな気持ちになるでしょうか、、

 

 

 

 

 

さて、私たちは実際には、「ゴールに辿り着かずとも」絶えず、本来的に、ずっとその在り様であるというのが、この世界の秘密の一つです、、

 

 

私たちは、ゴールにたどり着くために悪戦苦闘し、目標達成のためにとあまたの鍛錬、自己実現のために必要な様々な計画を一つ一つクリアしようと躍起になります、、もちろん、そうした「頑張り」自体を全く否定する必要はなく、そうしたこともまたこの壮大な宇宙のダンスであって、途切れのない美しい「あるがまま」であるわけなのですが、、

 

 

時に私たちは、「ゴールを成し遂げなければ」自分はまだ不十分であって、決して満足はできないし、ひとかどの人物にもなれなければ、「幸せ」になど到底なれるはずがないなどと、何としても自分にはその「ゴール」が必要であるとした誤った認識に陥ってしまうが故、思い悩み、どこまで続くとも見通せないトンネルを前に途方に暮れてしまう結果を招いてしまいがちです、、

 

 

けれども、実際は、そうしたことがすべて幻想にすぎず、そもそも「ゴール」というものがどこかにあることはなく、逆説的なことに、「ゴール」はすでに成し遂げられているというのがリアリティなのです、、

 

 

こうした話をすると、首をかしげる感覚が至極当たり前ではあるのですが、例えば、何かを成し遂げたとして、わずかその数日後にはまた新しい目標を設定し、次なる「ゴール」へと走り出す様を見れば、いかに頭の中で思い描いた「ゴール」が滑稽なものなのか、一時的で確固たる形などあるわけではないということがわかるはずです、、

 

 

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というわけで、そうした幻想に気づき、リアリティを見出すことができたのであれば、私たちにできる生き方の提案としては、、これまでの「ゴールを目指して生きる」在り様ではなく、「ゴールに居ながらに生きる」在り様への転換です、、お祝い

 

 

「ゴール」を目指し、奔走し、消耗していた在り様から目覚め、今ここの「ゴール」、絶対的でこれ以外存在しない目の前の現実を生きることです、、実際のところ、この体感へのシフトこそ、些細なように見えてそうではない、宇宙と手を携え、「真実」そのものとして生きる姿なのです、、秘密

 

 

 

というわけで昨日、まさかの40歳に辿り着いてしまいましたが(笑)、、これまで一度も今ここでなかったことはなかったなと、、改めて不生不滅に還ったっ今日この頃です、、お願い

 

 

 

 

記事にご興味持たれた方は禅の本を読んでみてください、、というわけで、おすすめ↓バイバイ

 

 

 
 
 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

※今日も読んでくださり、ありがとうございます!流れ星

 

 

 

 

休日に夜な夜な、またもやスラムダンクの読み返しに至り、

 

すばらしいシーンをご紹介!バスケバスケバスケ

 

 

海南戦、キャプテンの赤城がケガで離脱、、その後桜木が交代でコートへ、、

 

赤城の教えや思いを胸に、王者海南に堂々と立ち向かう一幕、、

 

 

桜木はこう言います、、流れ星

 

 

 

 

それまでライバルの流川よりも活躍することや、

 

相手チーム県内ナンバーワンプレイヤー牧への対抗心など様々な煩悩が飛び交う中、、

 

 

ここぞというときに桜木の集中力が発揮されます、、

 

赤城のケガというチームの一大事に、「今できることをやる」と腹をくくったことで

 

見事なまでにプレイが洗練されてくるのです、、拍手

 

 

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実際のところのこの桜木の有様は、日常を生きる私たちにとってとても大切な教訓を教えてくれるものです、、

 

 

今を生きる私たちにとって、唯一私たちができること、それは、「今できることをする」ことだけです、、

 

けれども私たちは往々にして、目の前にはない、あんなことやこんなこと、

 

過去や未来、空想やら妄想やらで右往左往してしまう混乱状態にいとも簡単に意識を奪われてしまいがちです、、

 

 

これを仏教では無明、求道においては迷妄や無意識状態などとも言われたりしますが、、

 

意識がふわふわと安定しなかったり、目の前のことをないがしろにして、

 

 

今に居ながらに「今に居ない」在り様が優勢になっているときにはぜひともこの桜木の言葉を思い出してみて下さい、、

 

 

私たちには、「今できること」しかできない、、

 

ならば、全力で「今できることをする」「今できることから逃げない」

 

 

この腹のくくり、いわば、集中力が意識の迷妄や無意識状態に一撃を与え、

 

私たちに本来的な「目覚めて生きる」在り様をもたらしてくれることでしょう、、物申す物申す物申す

 

 

 

というわけで、連休明けは、今できることをやるのみです!!レッツ!桜木宣言!!

 

 

※今日も読んでくださりありがとうございます!