前回の記事で、
来月のスケジュールを共有しましたが、
早速、いくつもお申し込みをいただき、
ありがとうございます。
来月も大きく変化を実感できる時間にしていきましょう。
週末や今日のセッションでも、
一緒にいろいろと観てきて、大きな変化がありました。
そこでも、
少しお伝えしたことは、
僕たちはどうしても、
表に現れているものや、目に見えるものを重視してしまいます。
けれど、大切にしたいのは──
その裏側にあるものや、まだ目に見えていないものですよね、
ということでした。
もちろん、何がみえて、何がみえないのかは、
その人が何を認識しているのかによって変わりますよね。
分かりやすいところでいえば、
身体操作の前屈では揺動支点や反筋トレ、
そして背面を意識に上げることでした。
前屈のコツもシンプルに目から動きましょう。目を下に向け、軽くうなづくように頭蓋骨を下に向け、頚椎から順に屈曲させていくように、、、、、これは反筋トレと赤い糸に接続します。反筋トレとは、通常の筋トレが最大可動域で最大負荷を目指すのに対して、反筋トレは文字通り最小可動域で最小負荷を目指します。「赤い糸」は合気道のワークからヒントを得たもので、腕を引っ張り合うときに、親指の側から引くのと、小指の側から引くのでは、同じ運動エネルギーでも効果が違うという話です。
できていることでも、
具体的に細かくしていくことで、
実際に使えるものになっていきます。
所作や動作で大切なのはバランスが大切です。
力ではなく、バランス。
絶妙なバランスを意識にあげて、その複雑性を抽象度の視点からコントロールしていくことが美しさに繋がっていきます。
その美しさは高い抽象度によって複雑性が包摂されたシンプルな表現系として現れてきます。
今回の繊細な身体を得るための視点として考えてみると、
最小値のミニマム化です。
意識に上げることができる筋肉の出力のミニマム(最小値)を特殊な鍛錬によって、より小さくしていくことです。
出力が小さくなればなるほど、情報への感度は高まっていきますし、単純に強くなります。
ゆっくりと動かしてみる、
より意識を細やかに動かしてみる、
その身体意識や操作が情報空間、気功の能力を高めてくれます。
あるいは、
誰かに分かるように説明をしてみる、
具体的に言葉の定義を分けてみる。
所作や気の流し方やマントラにも、
いえることだと思います。
それらのことを意識に上げて
細やかに解像度を上げていく。
そうしていく中で、
それぞれの関係まで、
少しずつ観えてくるかもしれません。
そして、
そこで観えてきたものを細やかに修正していく。
そうやってディーププラクティスを重ねていくことで、
ミエリンが形成されていきます。
すべての人間に対して、必要に応じてスキルを習得する生来の可能性を与えるからだ。その証拠は才能のホットスポットにある。彼らが世界の一流のレベルを目指してディーププラクティスを実践する1万時間に。彼らのクリント・イーストウッドばりのしかめっ面に。こうした類似点は偶然ではない。一定の信号に反応するために構築された進化のメカニズムが正常に機能しているのだ。スキルは神経回路を覆い、特定の信号に反応して成長する絶縁体である。
実際にはどのスキルを伸ばすかは個人の意志によるところが大きく、私たちには自分が思っている以上に可能性がある。
(ダニエル・コイル『天才はディーププラクティスと1万時間の法則でつくられる』)
そのプロセスは瞑想にも繋がり、
良い意味で、アディクションのように没頭していくことにもなります。
そうしていくと、
たとえ傍からみれば、
同じことを繰り返しているように見える。
けれど、本人にとっては、
1回ごとにまったく違う課題があって、
それを一つずつ解決していたら、
いつの間にか一万回を超えていただけだった。
すごい才能に溢れているように見える人たちは、
単純に回数をこなしたわけではないということが観えてくるかもしれません。
たとえば、
単純に繰り返しやれば能力が高くなるのであれば──
歩いているだけで身体操作は高度化していくし、
満員電車に押されて揺れているだけで凝りは解消するし、数式やグラフを書いているだけで(鵺やゲシュタルトを受け取らずに)抽象度は爆上がりしているはずです。
物理空間に写像されている現象としては、
同じように見えていても、それは結果であって原因ではない、ということですよね。
早急にスキルを伸ばそうとするのではなく、園芸家のようにじっくりと辛抱強く取り組もう、そして、一つひとつの部分が全体をつくっていくことを確信し、大工のように着実かつ戦略的に取り組もう。(ダニエル・コイル『才能を伸ばすシンプルな方法』)
将来をあらかじめ見据えて、
点と点をつなぎあわせることなどできない、できるのは、後からつなぎ合わせることだけだとジョブスが語ったことにもリンクします。
僕たちは、
能力を獲得していく力そのものは持っているのに、
完成した能力だけを見て、それを天から与えられた才能だと勘違いしてしまっているのかもしれません。
熟達をめざして歩むことは、私たちにとって譲ることのできない権利の一つであるべきだ。それは、人間としての可能性を実現するための営みにほかならない。ところが、熟達をめざす時間のかかるプロセスは、即効性を求める現代の風潮とは相容れない。だれでも何でもすぐに学べるという、非現実的な感覚が広がりつつある。 熟達とは、そこまでやるのかと言いたくなるほど長い時間をかける取り組みだ。しかも、続けさえすれば熟達できるというものでもない。いくらやっても、なかなか上達しない人もいる。私のジャグリングがそうだった。 熟達は血の通った生きたプロセスだ。あらゆる生命現象と同様、養分が必要だ。それは指導や励まし、失敗を経験する機会、材料や仕事仲間と向き合う時間、自分の個性を育むための時間や機会などを意味する。(略)
熟達とは、生まれた瞬間から始まる長い物語の一部なのだ。
(ロジャー・ニ―ボン『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』 )
もうひとつ。
ただ全うする。没頭する。楽しむ。シンプルに、好きなことに打ち込むことで十分。
目の前の仕事に自分を捧げる。自分の持ち場で全力を尽くす。そこまででいいんじゃないか。
その先はなるようになる。そうできているんだろう。
(『pepita 井上雄彦meetsガウディ』)
チューリングも重ねておきます。
We can only see a short distance ahead, but we can see plenty there that needs to be done.
私たちはまだほんのすこし先までしか見通せない。 しかし私たちのやることは、まだたくさんあるのがわかる
(アラン・チューリング『計算する機械と知性』)
そして、
能力の輪にも関連するものを置いておきます。
ということは趣味でいいじゃん(笑)。俺は思うんだけど、達人ってオーバースペックを持っているとか、どうかで決まるわけじゃないよ。自分でトレランスを決めているか、どうかだよ。さっきも言ったように、スペックはやっていくうちに自然に上がっていくよ。だけど、トレランスは自分で設定しないとダメでしょ。どこを狭めて、どこを広げるのか。どこまでOKで、どこまでいったらダメか。それを自分で決めて、自分で精度を高められるから達人なんだよ。メシが食えるとか、プロだとか、そういうことが達人の基準ではない。トレランスを自分の意思で極度に狭めることができる人。トレランスを守った上でのオーバースペック。これが達人なんだよ。
(苫米地英人『苫米地博士の「知の教室」』p169)
それらをデザインする視点でみていくと、
いろいろと繋がってくるように思います。
気功は、
そうした変化を稠密に、そして、
圧倒的に加速させてくれるものだと思います。
歩いて向かうこともできる場所へ、
新幹線や飛行機に乗って移動するようなものだと考えると、その重要性も立ち上がってくるかもしれませんね。
そういえば、
来月コロラドへ行く予定なのですが、
もし飛行機がなくて、歩いて、途中は海を泳いでいくしかなかったとしたら──
MPメンバーは講座と重ねて、
Online Labのメンバーの方は、良かったら、
メンバー記事と合わせて読んでいただけたら幸いです。
今回の記事も、
お付き合いありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょう!
Khronos / The salone|Hiro
追伸:
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