あっという間に、
先週のMentoring講座を終えたと思ったら、
今週末の講座が近づいてきました。

何をやるのか、
お伝えするのが遅くなりましたが、
今回のテーマは、
「パクリの技法(仮)」
という感じにしようかと思っております。



 

「ジャズには何らかの制約が必要なんだ。制約なしの即興演奏は誰だってできるが、それはジャズじゃない。ジャズには何らかの制約が必ずある。そうでなければただの騒音になってしまう」。

(ウィントン・マルサリス)


これは一つの補助線ですが、
抽象度の高い構造的な視点を確認しながら、
いつもよりも少し具体的な内容へと落としていきつつ──

さらに、
アウトプットとしての表現から、
身体性を用いたワークまでを繋げて、
楽しんでみようかと思っております。

できれば、
ワークをたくさんやって、
身体的な進化を感じていただける時間にできたら嬉しいです。

センスのある優秀な方々に
ご参加いただけるので、
変な誤解もなく進めていけると思います。

パクるということを、
表層の見えているところだけでやっても、
きっと大した結果は出ませんし、
そこに深みを感じられないのは、
端的にいえば、抽象度という視点が欠如しているからでしたね。

「Khronos」の企画に、
何かしらご参加いただけたことのある方々は、
ご承知の通りかと思います。

 
「やっと繋がりがわかった!!」
と喜んでいただけた方もいらっしゃるように、
それ自体が幸福な体験です。

なぜそう感じるのかというと、
そういう経験自体が新しい自分との出会いであり、
より良い自分に変容していくことであり、
これまでの悩みや苦しみからの解放となるからです。

それはSemanticsで、
膜が心の隅々まで蔓延っている状態で、
同じことをしても観えてこない構造ですね。

そして、
Stealであり、
創造性のコアに関わってくるものだと思います。


師匠はこんなことをおっしゃっています。


※これはジラール先生

 
僕らはそのマネ(ミメーシス)から始めましょう。ただし丁寧に。
表層だけをマネすると、あまり良くありません。猿マネをして突き出した親指を切り落としてくれる先達がいるのは幸いです。最近は切り落としてくれさえしません。
表層的なミメーシスを避ける方法は空海の言葉をEchoすることでしょう。
 
モシ心ノ理趣ヲ覓(もと)ムレバ、汝ガ心ノ中ニ有リ。別人ノ心ノ中ニ覓(もと)ムルヲ用イザレ。
(お前は理趣釈教などというが、お前の三密がすなわち理趣ではないか。同じ意味で、私の三密も釈教なのである。私がお前のからだを得ることができないように、お前も私の身体を得ることができない。繰り返すが、お前は理趣釈教という。お前は誰にそれを求めるのか、求めようがあるまい。また私も誰にそれを与えるのか、与えようもないことだ)
司馬遼太郎「空海の風景」より

先日のRay先生の、

「はじめての気功」では、
こんなことをおっしゃっていました。


 
空手を通信添削で学べるはずもなく、
オンラインの内容の理解度もリアル次第です。

リアルに人と人が出会って
ホメオスタシス同調しながら学ぶ以上の学びの場はありません。

ギルドに接続しましょう!
リアルな場の進化を楽しみましょう!

大腰筋と腸骨筋を別々に動かす方法は、左右の耳を片方づつ動かすときの筋肉への司令に似ている(^^)

(Rayまといのばブログ)
 RAyCademy1周年おめでとうございます。
記念イベントへも参加いたします。

そして、

重ねたいのはリルケのお言葉ですね。
物事は、
どの抽象度で観るか。

それによって、
風景はまったく変わってしまいます。
 


表層に現れているのが、
すべてであるとしても、
その深部構造まで観えているかどうか、
それによって、現実に写像される結果は変わってしまいます。

(たとえば、満員電車に揺られ、他者と身体が密着し続ける生活を何年か経験すれば、身体は驚くほど高度化します。そう言われたとき、あなたはそれを信じるでしょうか。)

身体でいえば解剖直観として、
どの深部まで観えて、触れられるかによって、
結果は大きく変わってしまうものでした。
 
表面を触ることは、
深部をかき混ぜることである
(Jean Claude Guimberteau『人の生きた筋膜の構造 内視鏡検査を通して示される細胞外マトリックスと細胞』)

これは、

身体だけの話ではありません。

言葉であっても、
認知空間の構造が観えていなければ、
表現はランダムになります。
 
表面に現れた言葉だけを集め、

それらしく並べても、
その言葉を生み出している
認知空間の構造までは手に入りません。

だからこそ、

情報空間の視点から
物事を考えることが大切になるのだと思います。



情報場が変われば、
その写像としての物理も変わります。

それは、
身体であったり、
コミュニティであったり、
マネタイズであったり、
幸運であったり、
パクるということでも同じかと思います。
 
このとき、
物理的な存在というより、
情報的な存在であることの理解が深まり、
情報空間に階層性があることも観えてきます。

それを、
僕たちは「構造を観る」として、
これまで一緒にみてきました。
たとえば、
認知時間は、
その未来から現在行動と過去意味へ流れる、
という「認知未来時間原点」を頭では理解しながらも、

過去に出会ったあらゆる人や環境から
染み込まされた古い理論が、
心と身体の隅々にまで入り込んでいることに気づきます。

こういう理論を、
アルゴリズムといったりしますし、
そのアルゴリズムの集合をブリーフシステムといったりします。


 
ここでくどくど表現されている発想は、実に単純で自明だと思います。むずかしいのは、その新しい発想自体ではなく、古い発想から逃れることです。その古い発想は、私たちのような教育を受けてきた者にとっては、心の隅々にまではびこっているのですから。
(J.M.ケインズ『雇用・利子、お金の一般理論』)



そこから抜け出すのは、

一人だけでは本当に難しいものだと思います。

 
それは、

未来にまで続くあなたの現在をつくっているシステム、

です。

別の言葉で言えば、

あなたの心と身体の中にある
ブリーフシステムです。(心と身体は同じものです。)

あなたが世界をどう観るか、

何を選び、何を選ばないか、
何が好きで、何が重要で、どこに価値をみるか。

そのすべてに関わり、
あなたを規定していきます。

よく例に出されるのは、
「コーヒーと紅茶、どちらが好きですか?」
ということ。

このときに、大事なのは
どちらを選んだことよりも、
なぜ、それを選んだのかということ。

ほとんどの場合は、誰かの模倣です。


いずれにせよ、

大切なのは、

未来への意図と、
適切な環境への接続です。

それらが、

あなたの閾値の限界を、

自然と拡張していってくれるのだと思います。



 
そこから逃げることも、目を逸らすこともできない、人間を根本的に規定するもの──身体を、もっと生々しく描きたい。(略)
「本当は自分が自分の身体で獲得したもので描ければ、さらにその先、という境地があるのでしょうが、それは一生かけても分からない世界でしょうから」
自身が体感することで、納得して描ける限界を少しでも上へ引き上げたい。その切実な認識から、井上は2年ほど前から空手を習っている。
「身体の感じ方は間違いなく変わったと思います。僕は競技としての空手、試合に勝つということにはまったく興味がなくて、どのように動くのが最も理に適っているのか、どれだけ深く身体のことを理解できるか、そういうところにフォーカスした稽古でなければ意味がないと思っていました。そんな時、たまたまご縁で、そういう方との出会いがあったんです。このタイミングでお会いしたということには重い意味があるような気がしたので、やるしかない、と思って始めました
その効果は絵に現れている、という。人間がただ立つだけのカットでも、以前描いたものは「立てていない」「浮いている」「これでは斬れない」というところが目につくようになった。
(BRUTUS特別編集井上雄彦)



井上さんに関連して、
スラムダンクの映画に感動したのが懐かしいです。




ではでは、今回はこの辺で。

また次回の記事でお会いしましょう!

Khronos / The salone|Hiro

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