ファレルが創り出す
コレクションの舞台が壮大です。



ファッションといえば、
Khronosのブログタイトルにもなっている、
山口小夜子さん。

服飾史についての流れで、

という言葉に集約される内容が
師匠からお聞きできて、
長い歴史の流れにおける動きを感じられました。



ある時代には逸脱だったものが、

次の時代には日常になる。

その背景には、

単にデザインの変化だけではなく、
人間の認知そのものの変化もあります。

それは、
歴史の重層性を意識する時に、
また俯瞰した視点が手に入ったということでもあるように感じます。


 
その天才をどうやって天才と認めさせるか。それが現代美術の歴史です。デュシャンは天才かといわれれば、彼は、ピカソやマティスやセザンヌの天才性を裏づけするコンテクスト=批評的言語を作ったのだから天才です。けれど、彼が作った作品が天才的かどうかは別の話です。
しかし、仮に作品に天才性がなかったとしても、歴史の重層性さえあれば現代美術は可能だという「発明」が現代美術なのです。
(村上隆著『芸術闘争論』p109)

抽象度の次元を上げ、

歴史を包摂した視座は、
自分の想像力の限界を引き上げくれます。

そして、それは、
Syntaxで分析し、
Semanticsに落とし込む能力を上げてくれるようにも感じます。
それらは、
関係を構造として観る眼であり、
言葉の膜を丁寧に外していった先の、
共感覚で鵺(ぬえ)を捉えることができる世界でもありますね。

世の中には
たくさんの可能性が眠っていて、
実際に目の前に広がっているけど、
僕たちの目が曇っていて観えていないだけなのかもしれません。

その曇った目では、
遠くまで見通せない、

だから、
想像力の限界も自分の手が届きそうな、
すごく手前の身近なところに設定されてしまう。


※ジョナサン・アンダーソンのコレクションもカッコいいです


解決できないこと、
変化できないことの多くは、
想像力の限界であり、そのリアリティの濃度によってなのかもしれません。

村上隆さんのお話からみてみると、


 
世界のトップコレクターとかトップミュージアムというのは、とんでもないオファーを突然してきます。
例えば「隆、彫刻を作ってください」「君がやりたいことをやってくれ、何でもいい」「予算は無制限」。
無制限というので見せてくれたのが、リチャード・セラの鉄の塊が四つくらい芝生の中にドーン、ドーンとあるような作品です。教会が建っているので、「これ何ですか」と言ったら、こういう彫刻を収めるために、イタリアから潰れそうになったレンガ造りの教会を、どうしても作家が持って来たいというので持って来たというのですね。
「作品を作るより教会を移築する方がお金かかっちゃったよ、ハハッ」
つまり、そういうことを「隆もやってよ」と言われて、「ぼくそんなアイデアないです」
「いや、日本人でそういうのやった人いないから楽しそう。だからそういうのやってみてよ。やろうやろう」
と言われて、結局、ぼくは、そのリクエストに現在に至るまで応えられていません。リチャード・セラみたいに、知り合いの潰れかけの寺があるから、それを全部移築してよその国の田園地帯に建てましょう、みたいな話を、もしかしたら、ぼくからも聞きたかったのかもしれない。けれど、ぼくが考えたのは、予算は無制限というけど、下は芝生で人の腰くらいまであるきのこの影刻を作ろうか、あの業者はすごく高いから制作費ひとつ500万円として、今、自分は300万円しかないけどどうしよう、みたいなみみっちい計算を頭の中でしていました。そうこうするうちに4年経ち、7年経ち、10年が経ってしまった。これがぼくの現時点での限界だと思います。
(村上隆『芸術闘争論』)


※リチャード・セラ


すごい話です。


その想像力の限界や、リアリティによって、
前回、一緒にみてきた答えを掴む力も変わってきてしまうのかもしれません。
いろんな人をみていると、

人と比べる必要なんてないんだけど、
 羨ましいな、いいな、自分なんてと思ってしまう。

そんな風に思っていらっしゃる方もいるようです。

理論的には一言で済んでしまう話なのですが、
単純に「知らないから」ということがあるのかもしれません。

Khronosのセッションに来られる方は。
これまで、いろんなことを叶えてきている方が多いです。

多いですし、
その手前であっても、
少しだけ自分を閉じ込めてしまっていた枷を外すだけ、大きく動き出されていく方がたくさんいらっしゃいます。

けれど、
ある程度満たされていても、
やっぱり心に穴があいていることはあります。

みんな何かに悩み、
みんな何かに苦しんでいて、
何かうまくいっていないと感じていることがある。

SNSでは、
「人生サイコー!」
「こんなすごい日々を送ってます!」
「遊んで煌びやかな日常が待っている」
と見せている人はたくさんいるけど、
そのほとんどは、幻想です。

だから、
そういったものを見ても、
羨ましく思う必要ってないんですよね。

分かりやすい写真や映像や、
言葉に踊らされず、
自分の世界を閉ざしていた意味を丁寧に外していくことかと思います。

なぜなら、
外を観えなくしていた殻が外れたら──

ふとした違和感。
何気ない変化。
些細な会話の一部。
偶然の出会い。

そうしたものの姿を借りて、
未来は僕たちに大切なメッセージを届けてくれていることに気づいてしまうのですから。
師匠の「はじめての気功」が、
相当に盛り上がりました。

全員で熱量を持って抽象度が上がっていく様がすごかったですね。

一つひとつの変化は、
自分一人では、その限界の外側を、
ただ観ることができなかっただけなのかもしれません。


ではでは、今回はこの辺で。

また次回の記事でお会いしましょう!

Khronos / The salone|Hiro

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