僕たちは生まれながらに孤独であり、
その孤独は不安を生む。

そして、
その不安は生きる勇気、
生きる気力を奪っていく。

そんなことを聞いて、
たしかに、そうだよね、と。

そう思うかもしれません。

あるいは、

言われてみたらそうかもしれない、

と感じるかもしれません。



あなたがもし、そう感じるとしたら、
この考えに対して疑問を持つことすらないほど、
所与の前提として刷り込まれているものがあるかもしれません。

だから、
多くの人々は群がり、
孤独感を紛らわそうとします。

誰かと一緒にいることで、
孤独ではない自分を確認しようとする。

そうやって群れ集まったところで、
心の隅々にまではびこっている言葉を剥がしていかない限り、本質的に孤独から逃れることはできないのかもしれません。

考えの前提となっている土台、
つまり定義が間違っていたら、
アルゴリズムは正しく働きません。
(物理的に現れる現象は、同じようにみえるかもしれませんが、その構造は違うものになっていることがあります)

その孤独感によって、
誰かと一緒にいるようにしていても、
人は本当の意味で他者に関心を向けているわけではないことがあります。

他者をみているようで、
自分の孤独感の解消ばかりをみている。

自分が安心するために、

誰かとつながろうとする。

自分が存在している証を得るために、

誰かからの反応を求める。

そうしていると、
誰かと繋がっているように振る舞いながら、
その幻想の中でしか、
自分が存在することの証を感じられなくなっていきます。



そうやって、
誰かと繋がっているかのようで、
実際のところは分断をひたすらに深めていただけだとしたら。

これは、
アプリオリなもの、
つまり未来永劫変わらないものがある、
ということが前提になっているから起こってしまう悲しい現象です。

」というものが、

最初から独立して存在している。

そうではなく──
世の中すべてのものは、
何かとの「関係」がまずあり、
存在」するということ。

つまり、
自分のことを説明する際に、
何か他の人やものとの関係でしか説明できない、
一人だけで存在しているのではないということ。

洗脳から抜け出すには、
それを腑に落とすことから始めることです。

世の中にあるさまざまな事物や事象は、
単独では存在しません。

それが、
縁起」の発想であり、
」の思想でしたね。

「Khronos」では、
その前提で、これまでも一緒にみてきました。

 
価値は関係性に生じて、そこから驚くような変化が起こるプロセスが始まるのだと思います。

それは、グレゴリー・ベイトソンがいう木こりの魂は木こり自身ではなく、斧でもなく、対象の木でもなく、木を切る関係性全体に生じるものである、ということからもよくわかります。(余計わかりづいのかな)

その意味でコンテンツは存在しません。

にわかには信じられないような変化が起こっている「場」が存在するだけです。(略)

単純な足し算ではない変化が起こります。

仲間で動いていくことで、1人では経験することのできない結果を一緒に観ることができて、1人では決してみることのできなかった風景を観ることができて、それらを共有して移動していくことができます。

この議論は、

ダイレクトに情報空間の理論、
気功やビジネスの創造、
盆地を転がり落ちるように成功する、
という、いろんなことに繋がっていきます。



内へ内へに潜っていくときも、
その関係は関係の網の目のなかでしか観えてきません。


 
“私”という概念は、“あなた”がいて初めて生まれてくる
(G.H.ミード著『精神・自我・社会』)

そういうことを、

今週末の講座募集記事で書いていますね。

あと、
冒頭の世界観に囚われたまま、
誰かと関わることで、
孤独を克服しようとすればするほど、
必死になればなるほど疎外され分断されていきます。

それは、
チーム」や「コミュニティ」という錯覚かもしれません。

表面的な仲間意識、
繋がっている感じ、
一体感や合一感など。

それらが、
かえって事態を悪化させていることもあります。

なぜなら、
頭の中の前提が、
そのように描かれていれば、
現実はそのように写像し描き出されるからです。
(ちなみに、前提として敢えていってきませんでしたが、コミュニティは結果であって、原因ではありません。僕たちにとって原理ともいえる、ある概念によって結果的に写像として現れます。コミュニティやギルドという概念が力を持つのではなく、その原理が力を持ちます)

 

行動することは創造することであり、創り出すことは見出すことである。形成することは発見することである。わたしが具体化することによって、発見する。わたしが形体を、〈それ〉の世界へともたらす。
初めに、関係がある。(略)

人(われ)は〈それ〉がなければ生きることはできない。しかし、〈それ〉ばかりと生きる者は、人間ではない。

(マルティン・ブーバー著『我と汝』)

だから、

今週末の講座に入る前に、
原理原則となるところを
先日のMentoring講座では一緒にみていく時間がありました。


 
これまでにも何度も見てきたように、
人は一人では変われません。

厳密に言えば、
一人で変わっているように見えるときでさえ、
その背景には必ず関係があります。

言葉。身体。場。
メンター。仲間。
未来。物語。

なんと言ってもいいのですが、
そういった様々な要素が絡み合い、
その人の観える世界を変えていく。

仏教でいう縁起とは、
まさにそういうことでもあります。

関係が存在を生み出す。

それは別の言い方をすれば、
宇宙全体の中から、
どういう部分関数で自分という存在が分節化されているのか、
という話でもあります。

つまり、
自分という存在も、
あらかじめ単独で固定されているものではなく、
どの関係の中にいるかによって、
その輪郭(境界)が変わっていくものということです。

そうすると、

どんな場に身を置くかは、

人生において本当に大きな意味を持つことになる、
ということが重要な概念によって包摂されていることが観えてきます。



その関係全体を捉えることが、
巨大な大周天を創り出し、
High-Shared TCZを構成します。



これらのことを理解すると、
関係に対する認識はたちまち変わっていきます。

そして、
それは心の世界まで広がったホメオスタシスとして、物理空間を包摂した情報空間にまで対応していきます。

その構造が観えれば、
絶対なものはないのですから、
あなたの望む形にすることが可能だということが観えてくると思います。

そして、
自分一人の意志力で現状を変えようせず、
正しくアルゴリズムが働いている場所を見出し、
すでに未来の強い臨場感を生きている「」や仲間と共鳴することです。

その状態空間に身を委ね、
楽しんで同調させるだけで、
ホメオスタシスが勝手に書き換わっていきます。

そうすることで、
頑張って変わるのではなく、
場の流れに身を委ねることで、
転がり落ちるように望む未来に変化していく不可逆なワープが起こっていくのです。
それは、
あなたが生きる世界線そのものが自律的に変わり、
過去の意味すらも新しい価値を持って立ち上がってくる現象です。

その意味において
過去は関係ない」のです。

そして、
これが「気功をしている」ということにも気がついていくのだと思います。

一緒に楽しんで上がっていきましょう。

ではでは、今回はこの辺で。

また次回の記事でお会いしましょう!

Khronos / The salone|Hiro

追伸:
感想・ご質問、大歓迎です! 
たった一言でも構いません。もし何か感じたことがあれば、ぜひシェアしてください。言葉にすることで、見えなかったものが形になり、次の扉が開いていくのです。
あなたの一言が、次の扉を開く鍵になります。
どんな小さな気づきでも、それが新しい変容の始まりになります。そして、“場”をさらに深める力になります。