Man is what he reads. -12ページ目

マイクロファイナンスのすすめ

マイクロファイナンスのすすめ―貧困・格差を変えるビジネスモデル/菅 正広
¥2,520
Amazon.co.jp

マイクロファイナンスについて概括した本。

マイクロファイナンスとは、
「担保となるような資産を持たず、金融サービスから排除された貧困層や低所得者層に対して、小規模の無担保融資や貯蓄・保険・送金などの金融サービスを提供し、彼らが貧困から脱却して自立することを目指す金融」である。
※同著第一章P16より抜粋

マイクロファイナンスの基本的なビジネスモデルから始まり、その提供対象である貧困の定義に言及した上で、企業、政府、市民それぞれの立場におけるマイクロファイナンス活用の可能性について論じている。

国内の貧困解消への適応についても言及されており、そこに一番関心を持った。

現在、貧困へのセーフティネットの代表的なものとしては、生活保護がある。
一時的な、ということであれば、雇用保険給付もある。
保険ではないかという声があるかもしれないが、生活保護の財源も税金であり、財布は同じである。

本書においては、マイクロファイナンスが生活保護を代替する可能性について意見が述べられている。

ODAを例に挙げるまでもなく、最近の年金不正受給をみれば、単なる給付が生産を生まないだけでなく、堕落の温床となることは明らかだ。

各自治体のいわゆる福祉課とハローワークを一体化し、生活保護世帯への教育訓練制度(医療や福祉を中心に)と就職斡旋サービスを整えた上で、そこにかかる資金は自治体が超低金利で貸し出すというような仕組みはとれないだろうか。


行政と生活基盤を求める人、そして税金を納める人、各々にとって有益であると思う。


ファイナンス、とはそもそもお金の増幅装置であり、その過程をもって社会に貢献することなのだから。

主将論

主将論 (幻冬舎新書)/宮本 恒靖
¥798
Amazon.co.jp

ぼくが実際に経験し、体得してきた「主将」の役割と、それを務め上げるために必要なことを、できる限り紹介したい”

現在Jリーグヴィッセル神戸に所属する、著者宮本恒靖がまえがきで綴っている言葉だ。

二つのJリーグチーム、そして複数のカテゴリーの日本代表チームおいてキャプテンを任されてきた男が語るリーダーシップ論である。


私はこの本を、組織内で権限は無いが、上下の板挟みとなって奮闘している係長や主任にお勧めしたい。

監督、という決定権者の元で、まとめ役を担うが権限は無い。

しかし、監督のなんたるかその直下で学べる。

サッカーチームにおけるキャプテンは、企業における管理職予備軍とその立場、役割が似ていると思うからだ。


事例は多岐に渡る。

シドニー五輪代表チームおいて、五輪代表世代とワールドユース代表世代を交わらせる為に小野伸二を説得し、食事のテーブル割をシャッフルしたこと。

フィリップ・トルシエという理解しがたい存在。

いわゆる「そうせい侯」であったジーコの元で、国内組と海外組の融合に腐心したこと。

特に、別次元のサッカーを知る中田英寿をチームと交わらせることに相当苦労したことが語られている。


個別に話して個々の心を和らげ、そして機を見てミーティングを設定し、全体の意思統一を図るというのが宮本流だ。

宮本は自身について「調整型のリーダーである」と認めた上で、それは良し悪しあると語っている。

権限が無い状況で、承認欲求の強い人々をまとめるには、意見を聞くというのは賢明な手法だ。

しかし、権限を持ち、結果責任を負うようなったらどうであろうか。

良し悪しあると語る宮本は、それを理解しているに違いない。





“I’d like to introduce the readers to my own know-how to get together a member as a team captain based on an experience that I have had in diverse teams.”

The author, Tsuneyasu Miyamoto, now play in Vissel Kobe, said this words at the preface.

He shows his own leader-ship method in thin book and it is really convictive because he has had a role of captain in two J league teams and several aged Samurai-Blue.


I’d like to recommend this book a business person who is struggling for good team building in their team without authority.

They in charge of building good atmosphere in the team but they does not have any authority.

I think that football team captain and company’s next managers, in other word, an assistant manager or senior staff member have assigned similar position and role.


Miyamoto put many examples of leader-ship method in this book.

For instance, in 2000, at the Sydney Olympic national team, he suggested shuffling seat arrangement in a meal for getting together two ages.

Brazilian legend Zico, he was understandable director, Miyamoto had made efforts getting together domestic players and a player belonged abroad team.

In particular, it was hard to put Hidetoshi Nakata in the team because he knew international rate competition with huge fame and tended to be lone wolf.


Listening to an opinion or ideas of the team members is his powerful method for building good atmosphere in the term.

He has a conversation with each individuals, then, timely set a meeting is his standard method for building good team spirits.

He admitted that I am a consensus-oriented leader.

I think it is wise way to build good relationship among respect-desired individuals without authority.

However, what about if you have authority for going over your assigned target?

I think that Miyamoto must know that a captain does not have a responsibility of consequence but a director has it.










阿修羅 

「なんと醜い姿よ。」

我が静かに目を閉じ悟るところを、そなたは三面を経ても解せぬ。

「なんと哀れな姿よ。」

我が静かに両手を合わせて得る安らぎを、そなたは六手すり合わせても得られぬ。

「来るがよい。沙羅双樹の元へ。如来となり、ただ、輪る。」





馬鹿な、、、、

阿修羅はつぶやいた。

如来として、輪廻する、

それは無為だ。

俺は生きている。感じている。

三面六手をもってしても俺を現すことはできない。

釈迦よ、修羅の世界にこそ、真理があるのだ