① わたしの時間を返してくれる?
よく語られるのは、髪の毛を切った友人が
似合っていたら「前の方がよかった」といい、
似合っていないと「スゴくいい!カワイイ」と
発してしまう乙女ごころ。さりげない繁殖力
競争がお互いを下げるというギミックです。
このやりとりは、あらゆる場面に応用され
いい男を付き合っていれば、
「やめた方がいい!」「遊ばれてるよ!」
悪い男と付き合っていれば、
「頑張って!応援してるよ!」
この構図の大規模化したものが「女子会」。
幼少より、多くの女性たちを支配し続けて
いるのが「母子会」です。女子会と母子会
がメディアの影響を強く受けるのは女性が
縦社会で、メディアのプレゼンは格上女子
たちよるものだから、上に従うわけです。
① 時間どろぼう!
女性たちの繁殖競争は時間の奪い合い
にも広がりを見せ、繁殖力の低い女性は
繁殖力の高い女性の時間を奪うことで、
相対的に自分の繁殖力が向上した錯覚
を持ってしまいます。だから繁殖力の高い
(=男性から人気のある)女性は繁殖力
の低い女性らによって、スケジュールを
次々と持ち込まれ、男性たちが入り込む
機会と時間はそれに奪われてしまうわけ
です。
女性の繁殖力の高い時期(=モテ期)は、
ある一定期間に限られ、日本においては
「鬼も十八」や「番茶も出花」と揶揄される
ように、そのピークは15歳~22歳程度で
迎えます。周囲にいる繁殖力の低い女性
や低くなってしまった女性(母親・祖母)達
はこの時期を狙い撃ちするわけです。
母親や祖母がなぜ娘の肌の露出を嫌い、
女子校に通わせたがるのか、あるいは、
遅い帰宅に腹を立てる父親の後ろで糸を
引いていたのが母親だったわけがここに
明らかになるわけです。
いずれは下がる繁殖力。ならば、充分
に繁殖力が下がってから、井戸端会議
はいくらでも組めます。にも拘らず、
あえて、異性から一番求められる時期、
すなわち繁殖期ピークに女子会を開催し、
お互い、時間の奪い合うのは日本女性
の繁殖力競争の激しさを表わしていた
のです。
次回は②シュートを決めさせないナデ
シコジャパン
生命のなぞを解明する 難易度②
竹林が地下茎でつながっている
一つの個体であり、地下茎と地上
に顔を出している竹林を合わせて
一つの生命体であるという事実を
踏まえて、他の生物の姿を追うと、
個体がそれぞれあたかも独立した
生き物のように振舞っている動物
も、その一方で、個体群としてとる
群行動においては、草食系、魚類、
鳥類に見られるように一定の法則
や計画、ルールに基づいて行動し
ており、それを私たちは、これまで、
漠然と、本能という総称で呼んで
来たのです。
反対に、そうした統一的、あるいは
非統一的(個性的)行動をとる個体
群をリモコン操作できるプログラム
を仮に本能と呼ぶ場合、それは、
個体の細胞一つ一つ、DNAの中
に埋め込まれたものであり、それら
が共振し、統一的な行動をとるため
には、何らかの司令塔が存在し、
全体に伝達する必要があったわけ
です。
*動物個体の統一行動を創発
(emergence)という階層変異で
片付けてしまうアプローチをする
群知能(Swarm Intelligence)の
考え方では、説明が不十分で、
別の考え方を導入する必要が
あったわけです。
そこで、大胆に生物種を一つの
生き物として見立てて、個体群を
細胞の集合体あるいは個性的な
行動をとる個体の一つ一つを
分離された細胞の自立と見ると、
生物種全体が一つの個体となり、
我々が知る個体は繁殖等のため
に分離され、自立した細胞群という
ことになります。事実、多くの生物
の生殖細胞は自立性をもっています。
繁栄とともに人口を増やし続ける
人類も、俯瞰して見れば個体数
(細胞数)を増やして繁殖する
細菌やウィルスとそう変わらない
わけです。
問題は、その種全体の行動を決める
司令塔となる酵素あるいはその酵素
を支配する種全体のセンターの存在。
未来を俯瞰し、種全体を環境に適応
させ、あるいは進化させる力を持つ
総司令塔こそが、その種の本体その
ものであり、人類とて例外ではなく、
我々もその強い影響下にあったという
ことです。
つづく
ケビンの生命哲学!
人類は一つの生き物であり、70億以上
の人口全体で、一つの生き物なのです。
あたかも個人が独立した別人格を持つ
個体のように振舞っておりますがそれは、
ちょうどIPS細胞がそれぞれ臓器や部位
に変化していくのに似ています。
われわれ個人としての個体はある意味、
一つの細胞のようなもので、60兆個の
細胞の集合体が人間一人であるように
70億超の人口は巨大な生命体の細胞
の一つ一つだったのです。
細胞が死に、新たな細胞と入れ替わる
ように、人の「生き死に」は人類全体という
一つの生命体の生命維持活動そのもの
であり、人格や見かけ、ジェンダーの違い
は、ごく一時的な、ファンクション(機能)
の違いだけだったのです。
このことを以前、ユングの集合無意識論
やクラウドコンピューティングの考え方と
組み合わせて説明しましたが、生命を考
える際、個体に焦点を当てるのではなく、
種全体や時系列の概念を導入した広い
視野で全体を眺望することにより、新たな
生命哲学を創り出すことができたのです。
また、この考え方は、先人たちが何ゆえ、
瞑想や座禅を大切にしてきたのか?を
解き明かしてくれる試論でもあったのです。
いかがですか?