感情でルールを曲げることは許されるのか | 切手と郵便に親しみ 時代を読み解く

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切手コレクター必見! 経済評論家にして郵便・切手評論家でもある池田健三郎が、辛口トークと共に「ゆうびん」や「切手」を通じて時代を読み解きます。
単なる「切手あつめ」や「郵便物コレクション」とは次元の違う、奥深き大人のライフワークの醍醐味をお伝えします。

某雑誌記事に気になる表記が。

国内競争展の展示作業に関してマナーの悪い出品者がいるとの指摘をした箇所があります。確かに、それはそれで間違った指摘とは思いません。そういう人もいるでしょうし、迷惑行為があれば当然是正されるべきでしょう。

ただ、「マナーやセキュリテイ上の問題だけではありません。審査員も人間ですから評価に影響しないとは言い切れません。得点はともかく、特別賞は別の人にということはあるかもしれませんね」とまで明記するのは、かなり行き過ぎた表現であり、それ自体がルールを曲げることを容認する暴言と受け止められてしまいかねません。

今回の意見表明が個人のブログ、ツイッターの類や、飲み会の席上の戯言であれば、「非公式発言」として百歩譲って受け流す人も多いでしょうし、私もここで採り上げることもありませんでした。しかし、郵趣界にそこそこその名を知られた雑誌上の「記名原稿」(しかも私見であるとの断わり書きも無し)ですから、これは私個人のブログでのコメントとして、一言指摘しておいたほうが良いかもしれないという気になりました。

いうまでもなく競争切手展の審査は、出品者がどれほどマナーの悪い人であるかとは全く無関係に厳正に行われなければなりません。切手展の審査はあくまで「作品」を審査するのであって、「出品者」を審査するわけではないからです。ましてや、出品者のマナーの良し悪しなど、現状、審査基準のどこにも明記されてはいません。要するにどんな悪人が出品しても良い作品は良い評価になる、逆にどんな好人物が出品してもダメなものは低評価、というのが当然ではないでしょうか。

従って、たとえマナーが悪い出品者の作品であっても、ルールに従って総得点を算出し、優秀作品であれば特別賞を授与するというのが、審査員に課せられた当然の義務です。これが嫌ならば、まず審査基準を改訂して「マナーの悪い出品者は5点減点する」とか、「特別賞の授賞対象から除外することが出来る」といった条項を加えればよいことです(しかしその瞬間に国際展準拠の基準から外れた単なるローカル展になってしまいますが)。それもやりたくないならば、その者はそもそも審査員たる資格がない、あるいはそれ以前に組織人としての資質が疑われることでしょう。

そうした適正手続きを経ることもなしに、「審査員も人間ですから評価に影響しないとは言い切れません」とは、口が裂けても言ってはならない事、しかもそれが主催者側の重職にある立場であればなおさらです。「感情でルールを曲げることはありうる」と言っているのですから。

こんなことが罷り通るならば、競争展のルールを審査員の感情次第でいかようにも曲げて運用できるということになってしまいます。その競争展の審査基準は「審査員に迎合することが出来るか否か」になってしまったら、あちこちで私怨や私刑が表面化し、競争展がめちゃくちゃになるという事態を招来しかねません。こうなれば、その競争展の信認は失墜し、修復は不可能となるでしょう。

「駐車禁止エリアに駐車している車がいたらボコボコに傷つけても構わない。警察官も人間ですからそういうことがないとは言い切れません」などというような価値観が郵趣界に持ち込まれることはいかなるフィラテリストも望まないでしょう。

老婆心ながら問題が拡がらないうちに早々に訂正記事を出されるが宜しかろうと思います。