幸福とは?


アメリカでは1980年代から、幸福を心理学的に計測する試みが行われています。

大石繁宏著「幸せを科学する」より。


調査によれば、人生の満足度を7点満点とすると、アメリカのビジネス誌「フォーチュン」に載った大富豪たちの

満足度は5.8だったそうです。

アフリカのケニアとタンザニアに住む半遊牧民のマサイ族は、同じ調査で5.4だったそうです。

マサイ族は、必要最小限のものしかない貧しい暮らしをしています。

アメリカの大富豪の幸福度は83%で、アフリカのマサイ族の幸福度が77%です。

どちらも、高い幸福度を持っています。


この僅差は、なんなんでしょうか?

大金は、人を0.4ポイントしか幸福にしてくれないのか?



実は、これには人が本来持っている本能と関係しているのです。


マサイ族が幸福なのは、家族や仲間との強い絆(以前に話した愛情空間と友情空間)のなかで暮らして

いるからです。だから、幸福度が高いのです。


それに対して大富豪は、貨幣空間の中での成功者であるが、愛情空間と友情空間から離れているのです。


お金は幸福の必要条件であっても、十分条件ではないということです。

ぼくたちがお金にこだわるのは、それが「安心」や「安全」を手に入れるための道具だからです。
「リーナスの法則」というものがあります。

リーナス・トーバルズというフィンランドの首都のヘルシンキ生まれのプログラマーがいます。

彼は、幼い頃から祖父の古い計算機で遊び、11歳でプログラムを書き始め、22歳のときにオペレーテイング・

システム(OS)のカーネル(中核部分)を自作した人です。

これが、フリーOSとして世界を驚かせたリナックスの原型です。


リナックスはOSのソースコード(設計図)が公開されていて、だれでも自由に利用できるOSです。

世界中のコンピューターおたく(ハッカー)たちが、ボランテイアで改良に取り組み、さまざまな機能を付加し、

バグを修正しています。

こうして、進化を続けたリナックスは、瞬く間にウインドウズに匹敵する安定したOSになりました。

フリー(無料)だったから、携帯電話を始めとする電子機器に広く使われるようになりました。


マイクロソフトは、ウインドウズのソースコードを独占的に保有することで膨大な富を築きました。

これに対してオープンソースのリナックスは、著作権を保留しているが、ソースコードを無料で公開しています。

無料百科事典のウイキペデイアや、メールや地図やビジネス用ソフトなどを無料で提供しているグーグルと

ともに、世界を変える新しい潮流として話題になりました。


リーナスは、世界でもっとも幸せな一人です。

世の中にはたくさんの成功者がいますが、リーナスはだれもやったことがない方法で、大きな名声を手にし、

ハッカーばかりでなく、多くの人を魅了しました。


リーナスがOSを開発し、ソースコードを公開した理由はなんでしょう?


「それは、ぼくが楽しかったから。」だ、そうです。

リーナスは、人生にとって意味のあることは三つあると、言っています。


第一段階は、生き延びること。

人類は、歴史の大半をメス(オス)を獲得して、次世代に遺伝子を残すことに費やしています。


第二段階は、社会秩序を保つこと。

人は社会的な生き物だから、群れの中でしか生きられません。

集団の中で、少しでも高い序列を手に入れることが、人生の目的と考える人が存在する理由でもあります。


第三段階は、「楽しむこと」。

豊かな社会では生存に対する不安は、少なくなります。

最低限の衣食住が確保しやすいのです。

そして、テクノロジーによって便利になった社会では、「楽しむこと」が目的になりやすくなるのです。



ここで、疑問があります。

なぜ、ハッカーたちは、報酬もなしにリナックスに参加したのでしょうか?

コンピューターをいじってるだけで楽しいからか?


この答えをプログラマーのエリック・ステイーヴン・レイモルド著「伽藍とバザール」で書いています。

ハッカーたちは、仲間内での「評価」を獲得することに楽しみを見出し、夢中になっていたのです。

そして、世間の通年に反して、ハッカーたちは各自が好き勝手なことをやっていたわけではないのです。

彼らは、かなり強い文化的禁忌(タブー)を守っていたのです。


プロジェクトは、無断で枝分かれさせたりしてはならないし、勝手に変更することも許されません。

それが、みごとに行われたプロジェクトがリナックスOSなのです。


成功した秘密はなんなんだったのでしょう?
日本的雇用が生み出す自殺社会


日本人は1990年代以降、年間3万人を超える人が自殺しています。

人口10万人当たりの自殺率で言えば、旧ソ連圏に並びます。

世界トップクラスの自殺率です。


アメリカの自殺率は、日本の半分以下です。

アメリカは、「市場原理主義」の本家の国です。

貧富の格差は、甚だしい国です。


これから言えることは、貧富の格差の拡大が自殺の原因でないことがわかります。


なぜ、日本では自殺者が多いのでしょうか?

小池和男著「日本産業社会の神話」という本があります。

バブル最盛期の1980年代後半に行われた、仕事の満足度に関する日米比較調査の結果が載っています。

この調査結果は、ぼくたちの常識を根底から覆す衝撃を持っています。


アメリカの労働者の方が日本のサラリーマンより、仕事に充実感を持ち、会社を愛し、貢献したいと

思っていたのです。

「日本的経営は、社員を幸福にする」という日本の常識はでたらめだったのです。


日本の会社では、アメリカの会社よりも、はるかに厳しい社内競争が行われているのです。

日本の会社は、社員という共同体によって構成されています。

日本の会社の人事は、経営者や人事部が一方的に決めるのではなく、「あいつは仕事ができる」という

社員コミュニテイの評判に寄っているのです。


日本の会社は、社員を極力平等に扱おうとします。

昇給の際のわずかな違いを評価する基準は、「社員同士の評判」なのです。


アメリカの会社は、地位と職階で業務の分担が決まるので、社員間の出世競争のルールがはっきりしているのです。

頂点を目指すのも、競争から降りるのも本人の自由である。


日本の会社は上司や部下や同僚たちの評判を獲得しなければ出世できない風土があります。

これは、はるかに過酷な競争を社員に強いることになるのです。

この風土が日本の会社にはびこっているので、日本人はエコノミック・アニマルと言われるほど必死で働くことに

なるのです。


だから、どれほど理不尽に思えても、転勤や転属や出向の人事を断ることができない雰囲気があるのです。

日本企業は、ムラ社会なのです。

常にまわりの目を気にしながら、曖昧な基準で競争し、大きな成果を上げても金銭的な報酬で報われることが

ないのです。

日本企業は、転職によるキャリアを認めていません。

転職イコール辛抱が足りないという発想なのです。

そういう風土の企業が多いので、会社を辞めると再就職の道が閉ざされやすい環境にあるのが日本なのです。

だから、過酷なノルマと重圧に耐えるしかないのです。

「社畜」という言葉がありますが、「社畜」化は日本的経営に組み込まれた仕組みのようにも思います。


中高年のサラリーマンが、過労死や自殺で次々と生命を失っていく現実を見て悲しいことだと思います。

アメリカを本家とする「市場原理主義」が、過労死や自殺者を増やしているわけではないのです。

しかし、一般的には「市場原理主義」が日本にも浸透してきたので、過労死や自殺者が増えたと思われている

のです。

だから、われわれは古き良き時代の雇用制度を守ろうとしてるのですが、それがさらなる過労死や自殺者を

増やすことになるのです。

絶望は、グローバル化という時代に適応できなくなった日本的経営からもたらされているのです。
ぼくたちは、幸福になるために生きているけど、幸福になるようにプログラムされているわけではありません。

進化心理学では、ぼくたちの脳は進化適応環境に最適化されると考えます。

進化適応環境(EEA)は、大雑把に言えば狩猟採取の石器時代のままだそうです。


社会環境はものすごい速さで変わっていったが、進化の速さはおそろしくゆっくりだということです。

ぼくたちは、石器時代のこころを持ったまま、情報が光速で飛び交う超近代都市のジャングルで暮らして

いるようなものです。


愛情はぼくたちがオスとメスのころの関係を安定させ、より多くの子どもを産み育てる環境をつくるための仕掛けでした。

いまは、避妊の技術が開発されたことで、セックスの快楽と生殖とを切り離すようになりました。

ひとは、愛を求めるけども愛=生殖を切り離してしまったのです。

その結果が、少子化という現象の発生です。



自由と平等は、近代社会を支えるイデオロギーです。

国家の憲法の基本になっています。

しかし、ぼくたちは自分と相手が平等であるべきだと思いながらも、相手の支配を受け入れるようにプログラム

されているのです。

だから、ぼくたちの社会には階層があるのです。

階層社会に生きるということは、だれかに従属するということで、支配を受けるということなのです。

つまり、ぼくたちは自由ではないということです。

会社に務めることが、階層社会に生きるという例の典型です。

国家の憲法は、ぼくたち一人ひとりに「自由と平等」を保証しているが、実際は社会的動物であるぼくたちは

自由と平等を手に入れるのは難しいのです。
貨幣空間は、スモールワールドである。


人間関係には、強い絆と弱い絆があります。

家族や恋人とは、強い絆で結ばれていて、近所の八百屋さんとは弱い絆で結ばれています。

家族や恋人は、頼りになるけど、時にはやっかいです。

八百屋さんとは、人間関係で悩むことがありません。

また、職場などの知り合いは、強い絆と弱い絆の中間に位置する絆なので、関係としては中途半端です。

関係が中途半端だから、人間関係で悩みが出てくるのです。


さらに、ぼくたちの人間関係は、知り合いを介して外へと広がっています。

この紹介のネットワークが、たくさんの人と知り合う手段になるのです。


ベーコン数という、考えがあります。

米国の映画俳優ケビン・ベーコンを基準にして、共演者を辿ることで、世界中の映画人が何人の紹介者で

つながるかを表す数字のことです。


このことは、世界のつながりの狭さを教えてくれます。

愛情空間は濃密な人間関係だけど、半径10m程度の空間になります。

友情空間で、100m。

政治空間まで拡張しても、直接統治できる人数は100人と言われています。

愛や友情空間では、極めて狭い世界です。


貨幣空間は、お金を媒介にどこまでも人間関係が広がっていく世界です。

愛情や友情がなくても、ほんのちょっとしたキッカケさえあれば、誰でも世界のどんな人とも知り合うことが

できる世界です。

これが、貨幣空間=スモールワールドです。

この事実は、すごいことです。


地縁や血縁の強い絆で結ばれた政治空間では、社会的な地位はコネによって決まります。

貨幣空間は、人と人が弱い絆でつながっているが、「紹介」という人間拡張機能が備わった世界です。

おもしろいことに、困ったときに、本当に役に立つのは強い絆の「コネ」ではなく、弱い絆の「紹介」なのです。


なぜか?

強い絆で結ばれた親しい友人は、似たような仕事をしていることが多いのです。

それに対して、弱い絆の相手は、自分とは異なる世界に暮らしていることが多いので、新しい可能性を

指し示してくれるからです。
お金持ちは腹黒くて、貧乏人は純真無垢だという考えがあります。

ドラマの時代劇が特に顕著です。

時代劇の悪代官と政商のように、金持ちは貧乏人を搾取して富を蓄える物語が一般的に受け入れられる

からです。

そう、多くの人はそれを心のどこかで望んでいるから、そういう考えが一般的になったのです。

多くの人は、お金持ちでない人々だからです。


金持ちと貧乏人を比較調査すると、お金持ちの方が他人を信用し、貧乏人は他人を疑い深いという結果が

あります。これは、アメリカの調査結果ですが、日本でも似たような結果が出るでしょう。


前回、政治空間と貨幣空間について、お話しました。

政治空間では、誰かから富を奪うしか豊かになれないから、搾取や収奪や騙しが生じました。

現代は、政治空間より貨幣空間の方がはるかに大きく、現実には政治空間より貨幣空間で

はるかに多くの富が創造されています。


貨幣空間では、政治空間とは異なる成功ルールがあるからです。


ひと昔前は、経営者は戦国武将にたとえられて、ビジネスを語っていました。

徳川家康や豊臣秀吉などが、日本の経営者にもてはやされていた時代がありました。

これは、日本のビジネスがムラ社会での権力ゲームだったからです。

つまり、政治空間が主体だったのです。


アジアの新興国では、こうした傾向が今でも強く、華僑などの財閥は独裁者と結託した「政商」として

膨大な富を蓄えています。


現代は、史実を引いて経営を語るという手法は、まったく日本で流行らなくなりました。

それは、市場がグローバル化するなかで、公共事業や規制産業のような政治と密着したビジネスが衰退した

からです。

「国盗り物語」型のビジネスモデルが、成功モデルにならなくなったからです。


後継者争いや権力争いで話題になるのは、古い同族会社だけになりました。


経済が高度化するにしたがって、政治空間から貨幣空間へと、富の移行が進んでいきました。

富を得るルールが変わったのです。


市場の論理は顧客に対して誠実であること。

顧客に、公平であること。

顧客を、差別しないこと。


貨幣空間の成功者であるお金持ちは、こうした美徳を体現した人ということが言えます。

貨幣空間の成功者は、楽天的で他人を信用し、その一方で嘘を見抜くのがうまく、情に流されない。


かってのお金持ちは、お城のような建物の最上階の奥まった部屋に住み、超越的な権威で周囲を畏怖させ、

組織を支配する権力者でした。

代表が、西武鉄道のオーナーだった堤義明です。


いまのお金持ちは、世界を飛び回り、人と人、ビジネスとビジネスを結びつけることで、富を生み出しています。

グローバルな市場経済では、お金持ちは人種や宗教、国籍や性別や政治的な主義主張にかかわらず、

だれとでも積極的につきあい、ビジネスを拡大しようとします。


貧乏人は、どうでしょうか?

いまだに狭いムラ社会から出ようとしません。

だから、ビジネスチャンスを逃してしまいます。

現代の格差社会の底辺にいる貧乏人は、社会の犠牲者というより、貨幣空間のルールに適応できていない人

なのかもしれません。

つまり、貨幣空間のルールを身につければ、成功をつかむ可能性があるということです。
愛情空間と貨幣空間


ぼくたちにとって、一番大事なのは家族や恋人などとの関係です。

それを、「愛情空間」と呼ぶことにしましょう。

ぼくたちにとって、一番身近な空間でもあります。


そして、愛情空間の周りには、親しい友だちとの「友情空間」なるものがあります。


また、ぼくたちには、「友達ではないけど他人でもない」という人間関係があります。

先輩・後輩、上司・部下を含めた「知人」に属する人間関係です。

これを「知人空間」と呼びましょう。


「愛情空間」、「友達空間」、「知人空間」をまとめて、「政治空間」と名づけましょう。

あとで、お話しますが、「政治空間」は”敵と見方の世界”でもあります。


政治空間の外には、「他人」の世界が広がっています。

毎日挨拶する八百屋のおじさんや、テレビの映像でしか知らないアナウンサーや俳優・タレントなど。

また、テレビや写真でしか知らないアフリカの難民など。

ぼくたちは、家族や友達や知人に比べて、彼らのことはほとんど気にかけません。


しかし、ぼくたちは彼らとまったく無関係に生きているわけではないのです。

地球は市場という世界に覆われており、人々は貨幣を介してつながっています。

あたながスーパーの安売りで買ったセーターの生地は、アフリカの工場で織られたものかもしれません。

だから、漠然とした他人の世界を「貨幣空間」と呼びます。


愛情空間は、二人から十人くらいの小さな人間関係です。

この小さな世界は、ぼくたちの人生の価値の半分を占めます。

なぜなら、ぼくたちの祖先のヒトは、太古の昔から、愛情空間の出来事ばかりを語りついでいます。

小説でも映画でも音楽でも、「愛」をテーマにしています。


友情空間は、最大でも二、三十人くらいの人間関係です。

知人空間で、百人くらいの人間関係です。


貨幣空間は、お金を媒介にして誰とでもつながるから、その範囲は無限です。

宇宙人が地球に来て、交易を始めれば貨幣空間は宇宙に広がっていきます。

愛情空間に比べて、貨幣空間の価値はどうでしょう?

貨幣空間の価値は、その広大さに比べて、ぼくたちの人生においては極めて価値が低いのです。

愛情空間80%、貨幣空間20%の価値比率です。


ぼくたちが愛情空間に極めて高い価値を与えるのは、そうするように進化論的に最適化されているからです。

魚や鳥だって、自分の子どもを特別扱いするし、ほかの子どもを無視します。

家族を犠牲にして、他人を助けることはほとんどありません。

博愛主義の個体がいたとしても、その個体は自然淘汰でとっくの昔に絶滅するからです。

だから、博愛主義の実行者は希少価値があるということで尊いのです。

博愛主義はだれでも、簡単に言葉で述べることができます。

博愛主義を述べる人=博愛主義者ではないのです。

言葉には、なんの価値もないのです。


博愛主義は、実行されて初めて価値をもつのです。

博愛主義を実行する者=博愛主義者なのです。

なぜなら、実行は家族を犠牲にして、他人を助ける実行者だからです。

自らの個体の遺伝子の絶滅を意味するからです。

だから、尊い行為になるのです。


ぼくたちの社会は、親族のネットワークで構成されており、家族の自治が広く認められています。

なぜなら国家や他人は、家庭の事情に勝手に入り込むことができません。

困っている人を放置して、家族の幸福を優先しても、だれにも罪を問われません。

これは、人間社会に共通する普遍的なルールです。


友情空間が大事なのも、人間が社会的動物だからです。

狩猟採取の時代、過酷な自然環境のなかでぼくたちの祖先は群れをつくって暮らしていました。

群れから追放されることは、死を意味しました。

ヒトは、たった一人では生きていけないのです。

だから、ぼくたちは、仲間はずれにされることに本能的な恐怖心を持ちます。

これは、小学校、中学校、高校のいじめにもなっています。

だから、生きる空間をなくして自殺する者が出るのです。

ヒトがサルと未文化だったころまで甦る宿命なんだろうが、いまもどこかで行われている

悲しい行為です。


愛情空間、友達空間、知人空間を「政治空間」と呼ぶのはこのためです。

貨幣空間は、農耕と交易によって成立してから一万数千年の歴史しかありません。

ここに、貨幣空間に僅かな価値しか認めない理由があります。


石器時代の人類には、愛(生殖)と友情(仲間・親戚・血族)意外に大事なものはありません。

遺伝子のプログラムは、その末裔のぼくたちにも、愛と友情のしがらみに生きることを宿命づけます。


愛の至上主義は、四十億年前の生命誕生から続く進化のなかで、ぼくたちの遺伝子に組み込まれて

きました。



政治空間は、愛情や友情だけでなく、嫉妬や憎悪、裏切りや復讐などの感情が渦巻いています。

政治空間は、権力闘争空間でもあるのです。

貨幣空間は、お金を介したコミュニケーションだから、フラットである。

買い物をする八百屋のおじさんに愛情や憎悪を感じる人はいません。

通販でモノを買うとき、相手が何者かなんて考えもしません。

この冷淡さがあるからこそ、貨幣空間は無限に広がるのです。


歴史が教えるように、権力闘争は手段を問わず、頂点にたった者が正しいというのがルールになります。

政略結婚や合従連衡など、ありとあらゆる権謀術数がめぐらされます。

その一方で、友との約束に生命を賭けたり、敵を敬い、その死に涙を流したりします。


政治空間のもう一つの特徴は、階層構造を持つことです。

ひとたび権力闘争が決着すると、勝者を頂点にして、階層社会ができます。

権力闘争は、ほとんどが敗者として淘汰される極めて割の悪いゲームです。

権力闘争のルールは、「権力を奪取せよ、そして子孫を残せ」だ。


これに対して、貨幣空間は、まったく異なるルールが支配します。

政治空間は複雑だが、貨幣空間はシンプルである。

貨幣空間では、どのように振舞えば良いのかが科学的に証明されています。

貨幣空間の世界では、最適戦略の存在が証明されているのです。
ヒトは、肉食獣のえさだった。

前回は、嫉妬心のない男は、滅ぶというはなしをしました。

ヒトの基本的な感情には、怒り、恐怖、嫌悪、驚き、喜び、悲しみなどがあります。


ぼくたちは、この一揃えの感情をセットにして親から受け継いで生まれてきます。

遺伝というやつです。

困ったことに、この感情のセットはネガテイブ感情ばかりだからです。



アフリカのサバンナでガゼルの群れを観察していると、ガゼルは草を食べながら、いつも周囲を見回しています。

ライオンなどの肉食獣を警戒しているからです。

ヒトの祖先も、進化の過程のほとんどをガゼルと同じように、肉食獣に怯えながら暮らしてきました。


火と武器を手にして、肉食獣を追い払うようになったのは、50万年前ぐらいです。


あたたかな陽光を浴びて幸福な気分で草を食べるガゼルは、ライオンの餌になってしまいます。

いつも不安に怯えてあたりを伺う神経質なガゼルだけが、生き延びるのです。

ぼくたちの祖先の、ヒトもおなじです。


つまり、ひとは「食べられらがら進化した」のです。


ネガテイブな感情や思考は、現代の不安な時代が生み出したこころの病ではなく、もともと、何億年もの

進化の過程で最適化されたこころのシステムなのです。


どんな動物にも、感情の強弱があります。

重度の不安を感じるガゼルは、肉食獣から逃れられるかもしれないが、エサを食べられずに餓死します。

あまり不安を感じないガゼルは、捕食されるリスクを負うが、旺盛な食欲で仲間より早く成長し、

より多くの子孫を残すことができるかもしれません。


どちらの戦略が正しいかは、自らが暮らす地域の肉食獣の密度に依存します。


ヒトの感情の恐怖と嫌悪は、生まれ持ったものです。

この感情は、学習して身につけたものでなく、遺伝子に組み込まれたものです。


怒りや悲しみの感情は、チンパンジーやヒトなどの社会的な動物に特有のものです。

個人だがあり、すぐに怒るひともいれば、めったに起こらないひともいます。


怒りっぽいひとは集団の中で一目置かれるだろうが、みんなからは好かれません。

起こらないひとは、人気者のなれるかもしれないが、よってたかっていいように扱われます。

どのような性格が集団内での地位を高めるかは、時代や地域によって異なります。

怒りの感情が有益か害悪かは、状況によって決まるのです。


引き寄せの法則


引き寄せの法則の原理は、「ひとは自分に似たひとに引き寄せられる」というものです。

「類は友を呼ぶ」というあれです。

この正しさは、子どもの行動を観察することで実感できます。


初対面の子供たちをひとつの部屋で遊ばせると、自然にいくつかのグループに分かれます。

集団の選別は、性別と年齢によって、行われます。

男の子は、男の子同士、女の子は女の子同士で集まって、年齢が近い子たちがいっしょに遊びはじめます。

さらに人数が多いときは、いつかのサブグループに分かれます。

基本原理は、きわめてシンプルです。

子どもは、自分と似た子どもに引き寄せられる。

引き寄せの法則は、これだけです。


「ザ・シークレット」という本は、言います。

ひとは、似たもの同士と引き寄せる。


わたしに似たひとが、わたしに引き寄せられる。


だったら、わたしが望むものを持っているひとを引き寄せるには、そのひとに似ればいい(変身)。


変身したわたしは、すべてのものを引き寄せ、わたしの世界はバラ色になる。

これが、ザ・シークレットが言っていることです。


ぼくたちは、カメレオンのように性格を変えたりできるのだろうか?

考えをかえたり、できるのだろうか?


ひとの性格は、そのほとんどが無意識の感情や仕草、表情や行動によって構成されています。

心臓の鼓動を速めるのも、顔を赤らめるのも、涙をこぼすのも、すべては脳の活動によって、無意識のうちに

行われているとしたら、ぼくたちはただ、泣いている自分に気づいて、あとから悲しい理由を考えることが

できるだけです。


自己啓発に行き詰まった現在は、「ザ・シークレット」という考えに進化しました。

自分に投資し、自己啓発のセミナーに参加して成功したひとはどれぐらいいたのでしょう?

「ザ・シークレット」のセミナーに参加して、成功したひとは何人ぐらいいたのでしょう?


たぶん、新たなセミナー講師という労働市場を生み出し、その市場に従事したひとたちが労働の糧を得たというのが

実態ではないでしょうか?

セミナーを開いているひとは、どうやってその知識を得たのでしょうか?

セミナーに参加して、特別プログラムに参加して、そのセミナー会社の認定講師の資格を得たからです。

労働市場に、新たな市場が加わったというのが実態です。


いまは、脳機能に関心が向き、自らの無意識を操作することで、成功しようと考える風潮が盛んになってます。

考えは、やはり同じです。

脳機能のさまざまな先生が出てきて、「脳にいいたべもの」や「脳にいいゲーム」などを紹介しています。

3パーセントしか使っていない脳を、4%も5%も使うことができれば、能力がアップするというのです。


そのなかで、システム化されたものがNLPです。

脳が本来持っている性質を利用すれば、自分を望む方向に変えることができるというのです。


さまざまなNLPのセミナーや、こころを扱った成功セミナー、無意識を扱った成功セミナーが出てきました。

新たな、これらのセミナーの講師はどうやってなるのでしょうか?


セミナーに参加して、特別プログラムに参加して、そのセミナー会社の認定講師の資格を得たからです。

ぼくたちは、こうして踊らされているのです。


正しいセミナーとの付き合い方

自己啓発やザ・シークレット、NLPや脳機能や無意識を扱ったセミナーは、新たな労働市場を生む

のだから、自分の脳力をアップするとか能力を開発するとか成功するとか考えるのではなく、その市場の

労働者として働くことを目的にセミナー参加するべき。

ということが、わかると思います。

だって、遺伝学的に自分をかえるなんてできないのだから。
進化心理学という学問があります。

人間の心理や感情は進化の過程のなかで、性淘汰と自然選択の自然淘汰によって形作られるという学問です。

ぼくたちの喜怒哀楽の感情や嫉妬などの感情は、必要によって生まれ、必要によって遺伝するというのです。



嫉妬のない男について


伊坂幸太郎という方が書いた本に「重力ピエロ」という本があります。

内容は、遺伝と家族のものがたりです。

主人公は泉水と春という兄弟で、弟の春は、泉水が二歳のときに、高校生の強姦魔に母親が襲われて生まれた

こどもです。

それから、二十年がすぎて、仙台の街に奇妙な連続放火事件が発生します。

放火現場の近くの壁には、必ずグラフィックアートが描かれていました。

泉水と春は、そのグラフィックアートにDNAの塩基配列を利用した暗号が隠されていることを発見します。

二人は、放火犯人を追い始めます。

しかし、次第に兄の泉水は弟の春が犯人ではないかと疑いはじめます。

春の実の父親である強姦魔が、刑務所を出て、仙台の街に戻っていたからです。

春は、実の父親を、自分の手で裁こうとしているのではないか・・・と。


ここで、この物語に疑問が湧きます。

小説とは言え、なぜ強姦魔のこどもを母親は産む気になったのか?

それは、夫が産めと言ったからです。

なぜ?

夫が善良な人間で、嫉妬という感情を持たなかったからです。

ぼくたちは、この嫉妬の感情が欠落した善良な男に違和感をもちます。



嫉妬する男であれば、強姦魔のこどもを生めとは言わなかったでしょう。

嫉妬する男は、自分の子ども以外、普通は育てようとは思いません。

嫉妬しない男であれば、誰の子どもでも育てるでしょう。


世の中に嫉妬しない男と、嫉妬する男が半分ずつの割合でいたとします。

数十世代を得た場合、この比率はどうなるでしょう?

結果は、嫉妬しない男の遺伝子は消滅してしまいます。


なんらかの偶然で嫉妬という感情が生まれ、それが自分の子孫を残すために有益となり、性淘汰に

よって遺伝することで、人類のすべてが「嫉妬」というプログラムが生得的となり遺伝するようになりました。

「嫉妬」という感情は、縄張りを守るすべての生き物が持っているプログラムでもあります。


「嫉妬」とは、自分以外のオスを追い払おうとする性向なのです。


女は、どうでしょう?

夫の実子であろうが、強姦魔の子どもであろうが、生まれくる子どもは、確実に自分と50%の遺伝子を

共有しているのです。

男ほど、嫉妬心は芽生えません。

夫が嫉妬によって、自分と子どもの扶養を放棄しては都合が悪いので、女にとっての最も合理的な行動は、

何食わぬ顔で夫以外の男の子どもを生むことです。

嫉妬が性淘汰と自然選択で遺伝しているということを考えれば、「女より男の嫉妬の方が強い」ということが

説明できます。

男の嫉妬は、女より怖いのです。増長しやすいのです。


人間をはじめ全てのオスにとっての最大の問題は、生まれくくる子が自分の遺伝をひいた子かどうか?という

知る術がないことです。

現代は、DNA鑑定ができますが、実際は刑事ドラマでやっているほど正確ではありません。


アメリカのメリーランド州では、2007年1月、データーベースに3万人分程度が登録されているDNA型プールにおいて、

理論値では1000兆分の1の確率とされるDNA型の「偶然の一致」があったことが裁判で明らかになっており、DNA型

の理論上の一致確率に重大な疑念がもたれています。


処女が貴重なのは、あらゆる人類社会に共通なのです。

自分の精子を、独占的に卵子に送り込める唯一の機会だからです。

メスが処女を失うと、オスは果てしのない疑心暗鬼になります。


オスは四六時中、メスを監視するわけにも行きません。

オスがメスの性的関係に嫉妬するのは、血のつながらない子どもをそだてるという遺伝学上の被害を防ぐためです。

それに対して、メスはオスと他のメスとの精神的な関係に嫉妬します。

オスが他のメスと性交しても、継子を育てさせられたり、経済的に不利益が無い限り、なんの不利益も生じません。


「遺伝的に正しい」オスの戦略は、できるだけ多くのメスと性交して自分の子孫を残すことです。

メスの最善な戦略は、自分と子どもを養う保証をオスから獲得することにあります。


夫が嫉妬しなければ、妻はいつでも気に入った男とセックスして、その子どもを夫に育てさせることができるのです。

好きなことを仕事にすれば、成功できるのか?

この命題は、現代社会の最強の神話であります。


グローバルな能力主義の社会では、労働者は「能力」によって、クリエイテイブクラスとマックジョブに二極化します。

その不安に付け込んで自己啓発の唱道者たちは、能力が努力によって開発できるとして、効果が判然としない

教育プログラムを提供しています。


しかし、考えてみてください。

人は、半分が遺伝に影響を受け、残り半分が環境に影響を受けるのです。

現実には、どれほど「教育」しても、ほとんどの人は落ちこぼれてしまいます。


遺伝と生まれ育った環境(とくに子供社会での過ごし方)に人は、影響を受けるのです。

これは、行動遺伝学の膨大なデーターが、ぼくたちに教えてくれます。


この事実は、かなりショッキングです。


勉強に向かない生徒は、机の前に座らせておくことさえ、困難なことなのです。



好きなことを仕事にすれば、成功できるのか?

この考えに反論することは、非常に難しいと思います。

なぜなら、嫌いな仕事を我慢して、がんばるなんてことは、それこそ特別な能力であるからです。

特別な能力として、一部のひとにしかできないことだと思います。


ぼくたちが選んだ仕事が一番効率的なのは、自分が持っているさまざまな能力のなかで、比較優位にある

能力に全資源(リソース)を投入することです。


この行動戦略が、ぼくたちを最適な選択に導き、好きなことに夢中になるように遺伝的にプログラムされて

生まれてきました。


好きなことをやって、みんなから評価され、人より目立つことで、もっと好きになる。

じぶんが何をしたら分からずに、「自分探し」をする人がいます。

しかし、この考えと原理を知っていたら・・・・・・・。



「向いている」ことは、好きなこと。

なんであれ、好きなことの「専門家」になればいいのです。

この「現代の神話」は、ぼくたちを能力主義のグローバル社会から抜け出す道を示唆してくれます。


よく考えてみてください。

すべての人が頭が良くて、弁護士や医者になったら?

世の中に、医者と弁護士しかいない社会は、快適な社会でしょうか?


トマトの栽培から靴の修理まで、いろいろな仕事を「専門」にするたくさんの人がいるから、世の中は回っているのです。

市場の多様性は、国家が意図してつくったものではなく、自然発生的に生まれてきたのです。

なぜなら、みんなの好きなことが違うからです。


残念ながら、この戦略にも弱点があります。

東京大学大学院で社会学を学ぶ阿部真大さんは、「搾取される若者たち」のなかで、バイク便ライダーとして

働くバイク好きの若者たちが、「好きを仕事にする」という落とし穴にはまっていく若者の過程を描いています。


バイク便ライダーは、自分のお気に入りのバイクを持ち込み、ガソリン代を自前で払って、荷物一個あたりの

歩合給で働きます。

これは、かなり厳しい労働条件です。


バイク便ライダーの頂点は、月に100万円を稼ぐ「ミリオンライダー」です。

彼らは、神業のような走りで特別な依頼を引き受けるエリートです。

仲間からの尊敬を一身に受け、一般ライダーはその栄冠を目指します。


そう、難易度の高い仕事に積極的にトライするのです。

結果、交通事故で半身不随になったり、排気ガスで肺を悪くして、引退する者が続出するのです。

彼らは、勉強もできなければ、机に向かって事務仕事をすることもできないからこそ、「好きを仕事にする」

しかないのです。


問題はなんでしょう?

「好きな仕事」が労働市場で高く評価されない。

ということなのです。

仕事と趣味を両立させられるのは、きわめて高い能力を持った人だけなのです。


好きなことを仕事にすれば成功できる保証は、どこにもないのです。

ぼくたちが生きているこの世界は、いかに残酷的かお分かりでしょうか?