鳥蝶Kenboyamaの痛快な日々:ハーブヨガの秘密をホリスティックな視点でご紹介 -30ページ目

パートナーの体質改善:彼女が婦人病になりまして その2

大学三年というのは、大変な時期なのだろうか。


就職活動や大学院への進学という選択をしなければいけない時期にさしかかった我々だったが、私は進学以外に考えていなかった。

冨美江氏はどうかというと、実を言うと将来について悩んでいたらしい。

就職活動を他の学生と同じようにする気にもなれなかった彼女は結果としてその時期を病と一緒に過ごすことになった。


そう、7月の救急車の一件から、彼女は自分の体とより深く向き合い始めていた。

特に原因不明のナニモノかが体の中にあるのが不思議らしく、都内の名だたる病院に通い始めた。

私は「自分の体に感心を持つのはいいことだ」とは思っていたが、「まぁ、まだ若いんだし、どうにかなるさ」などと他人行儀なことを考えていた。

前回の搬入先の病院で、「原因不明」と言われていたのも大きい。




しかし、彼女の通院の結果、わかったのが以下の症状だ。


$Kenboyamaの痛快な日々:男性の体質改善/タイの日常/心と体とその周辺



(解説)

■子宮内膜症・・・子宮内膜やそれに類似した組織が子宮内腔や子宮体部以外の骨盤内で増殖する疾患。

■卵巣嚢(のう)腫・・・卵巣に液状成分が溜まって腫れている状態。卵巣頚捻転を起こすことがある。

■多嚢胞性卵巣・・・卵胞が卵巣の中にたくさんでき、ある程度の大きさにはなるにも関わらず、排卵がおこりにくくなる病気。

■卵巣頚捻転・・・卵管や卵巣がねじれること。激しい痛みが伴い、緊急手術が必要な場合もある。

■排卵障害・・・排卵が定期的に行われないこと。

■月経不順・・・月経が定期的に行われないこと。

■PMS:月経前症候群・・・PMSは月経の3日から10日前に身体、精神症状が出現し、月経開始とともにその症状が減退、消失するもの。身体症状としては乳房痛、乳房緊満感、腹部膨満感、頭痛(特に片頭痛)四肢の浮腫などが知られている。精神症状としてはイライラや抑うつ状態、不安感、易興奮性などが知られいる。

それ以外にも激しい生理痛など「普通」とされているものもあった。


これを聞いた私は驚いた。

病名のミラクルコンボである。


つい先日まで自分と同じように笑い、歌い、怒り、泣いていた人物の内側で何かが起こっている。

聞いたことのない病名がぎっしり並んでいるのだ。

特に卵巣嚢腫にいたっては、発ガンリスクすらあるという。

検査に行った彼女の心境は大変辛かったものだと思う。

病院によっては腫れ上がった卵巣を切除したほうがいいとアドバイスする場所もあった。



しかも、原因は分からない。

生殖器に関する疾患の場合、原因は良く分かっていないことが多く、基本として性ホルモンの状態を投薬で整えながら様子を見るというのが(当時の)スタンダードだった。


彼女のかかっている子宮内膜症も卵巣嚢腫も何が原因でおこるのか良く分からないとのこと。

お医者さんも、兎に角、ホルモン剤を処方して、経過を見ましょうぐらいのものだった。


我々の選択肢としては手術か、wait & seeかしかなかったのだ。




どうなる、俺ら!?


順風満帆なはずだった自分の人生に何かが入り込んできた。

得体の知れない何かが。

パートナーの体質改善:彼女が婦人病になりまして その1

我々にとって、女性は神秘以外の何物でもない。



第一、我々が持っているものを持っていなかったり、あるいはその逆だったりする。

例えば、一つの現象をとってみても、我々、男性が知覚しているであろうものを女性は違う感じで知覚しているのだ。

(もちろん、男性だからといって完全に一致するはずはないのだが、だからと言って、我々が月経痛などを感じられることはない。)

往年のベストセラー「話を聞かない男、地図が読めない女」の例もあるけれど、女性の脳の構造は男性とも異なっている。


話を聞かない男、地図が読めない女―男脳・女脳が「謎」を解く/アラン ピーズ

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我々は性別が違うだけで、心も体の働き方も全然違うのだから、まったくもって面白い。

この違いが世界の悲劇と喜劇を形作っているのだろうか。




そして、私が今のような活動をする一つの契機になったのが、当時、彼女だった冨美江氏の病気だ。

あれは大学三年生の頃だったと思う。


自由が丘のアパートに来ていた彼女がいきなり、腹痛?を訴えたのだ。

時計は午後1時ぐらいを過ぎていた、気だるい夏の日だったろうか。

下腹部を押さえながら「痛い、痛い」といってのた打ち回る彼女。

冨美江氏は(今でもそうだが)非常に痛みに敏感なので、普段から腹痛や腰痛を訴えてはすぐに寝込んでしまう。

体の不調に敏感だからこそ、今のような活動が出来ているともいえるが、当時はまだその才能が開花せず、我々はその波に振り回されるだけだった。


その時、最初は「また、いつもの腹痛か」程度にしか思っていなかったが、その日は勝手が違った。

あまりに、鬼気迫る表情だったので救急車を呼ぶことになったのだ。


救急車を呼んだのはこの時が最初で最後になるのだが、実を言うと今目の前で起きていることが半信半疑で現実感がなかったのを覚えている。

無我夢中すぎて、何をどうすればいいのかさっぱりわからない。


搬入時に近所の住民の皆さんが道路に出てきていて、

「あぁ、これが野次馬か、さすが東京は都会だ」

などと妙なことに感心したのを覚えている。


その後、搬入先の病院で色々な検査を受けたのだが、結局、何が原因で猛烈な腹痛があったのかわからなかった。

検査の結果、卵巣は腫れているとのことだったが、それが原因で起こる頸捻転ではないと診断された。

今思えば、誤診だったのだろう。



冨美江氏は3日入院してケロッとしたまま退院し、私はただ「そんなこともあるものか」などと不思議に思う程度だった。

当時、環境分野での学者という道を志向していた私は、正直言って、あんまり体のことに関心がなかったのである。



その後、冨美江氏は普通に生活しているように見えた。

しかし、それは始まりだったのだ。


その後、彼女に色々な病気が現れて来たのだ。


つづく

排泄行為について featuring 豆乳野菜フルーツジュース

朝、我々は5時前後に眼を覚ます。

そして、息子が目を覚ます7時ぐらいまで作業をして、朝食の準備に取り掛かる。

朝食には玄米粥を食べるが、もう一つの要がフルーツ・野菜・豆乳のジュースである。


野菜ジュースには色々な説があり、その効能については今更述べるまでもないと思うけれど、ちょっとまとめてみよう。

1. 睡眠中に失われた体内の酵素を補充する(ローフード的発想)

2. 宿便を取り除く(西医学的な発想)

3. 美味い

4. 豆乳を入れることによるイソフラボンや植物性たんぱく質の効果



私としてはそれらの効能に加えて、いくつかを挙げたいと思うが、その中でも一番、有意義なのは


これを飲むと間違いなく、便意を感じることができる。


これです。

これは非常に重要。

今のところ、私はこれを飲むと思っただけで、腸が動き始めるぐらいだ。




現代の栄養学や健康法の多くは、食べること=インプットに大きく重点をおくが、

排便などの排泄行為=アウトプットはそれに輪をかけて大切である。

それなのに、学校の教育では自分達が毎日排出する便については全くといっていいほどまともに取り扱わない。

食事の作り方については家庭科のクラスで実習までやるが、トイレの行為については「なぁなぁ」で終わる。

(肛門期の多い男子小学生には笑いの対象であり、成熟の早い女子生徒には廉恥の対象であろうけれど)

また、本屋でも食事の本はレシピや健康法を含め、様々にあるが、排泄の本は殆どない。


勿論、それは排泄行為自体がタブーであるとして、忌避されていることにある。



だが、タブーで終わっていいものだろうか?



食事と同じように日常的な行為である排泄をまともに考えず、「まぁ、何とかなるさ」で片付けるのは、そんな社会が多少、未熟であるとしかいいようがない。


我々は誰かが「2~3日に1度しか食事ができない」と聞けば、「え!?大丈夫?病院行った方がいいよ」と驚くが、

「2~3日に一度しかお通じがない」と聞いても、それほど驚かない。


これは、理不尽であり、我々が日頃から憤っている点でもある。


さて、本題。


豆乳野菜フルーツジュースは以下の写真のように、350ccの豆乳とたっぷりの生野菜(暑い国では葉野菜)、そして、フルーツを大体、ミキサー一杯分まで入れる。


$Kenboyamaの痛快な日々:男性の体質改善/タイの日常/心と体とその周辺-豆乳野菜フルーツジュース



写真のミキサーの容量は1リットルだが、この分量で大人二人分になる。

これらのレシピについては各人で調べればいいと思うけれど、冷蔵庫にある野菜をガガガと回せば完成というわけで、物凄く楽だ。

「今あるガンが消えていく食事」だと、ジューサーを使うのが良いとあるが、片づけが面倒くさくて習慣化できない事も多いと思うし、大体、カスとして捨てる分が多すぎると思う。

もし、ガンなどの重篤にかかっているなら、ジューサーを使うのもいいと思うが、そうでなければミキサーを使う方が楽であり、習慣化しやすい。

前にも述べたけれど、『習慣化できないものは効果がない』でメソッドを選ぼう。

うつヨガ、かく始まりき:Depression Yoga

うつ病に5人に1人がかかる時代だ。


毎日のようにニュースをにぎわせるテーマでもあり、「ツレウツ」以降はコミックなどでも扱われている。

うつとは何か?

それには諸説あるだろう。

その中でも私は生井隆明氏のの説が最も正鵠を射っていると考えている。


うつで人は豊かになる/生井 隆明

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実際にうつや統合失調症の方々と接し、癒し、そして社会復帰を応援してきた氏は、うつを「現状への不信=心身の揺らぎ」にあると述べている。

そして、うつは単なる現状のストレスに対する結果ではなく、外の世界を再認識するために必要な回復プロセスとして扱い、心と体を両方使っていくプログラムを披瀝している。

そのプログラムの詳細については、是非、氏の本を読んでもらいたいが、

整体師でもある氏のアプローチはマッサージを活用していて、今期よく行えば誰でも実行できるものだ。

勿論、手から出る気の問題もあるが、特殊な技能をもって「うつ」にアプローチするものではない。

そのため、表題からも分かるように、誰でも、「うつで人生は豊かになる」のだ。



そして、我々、鳥蝶には我々自身の職能を用いて、新しいプログラムを開発している。

それが、うつヨガなのだ。

ヨガといってもテクニカルな意味では異なるかもしれないが、心と体と魂をつなぐという点では筋は通ると思う。

ただし、あまりにも安易な名前なので、ちょっと改善していったほうがいいと思うが、要は人間の中にもともと存在する「うつ」の機能を最大限に活用するものだ。


「うつ」の機能とは、自分の感覚を疑い、再認識するプロセスだ。

その過程で、今まで見えなかったもの、見落としていたもの、無視していたものの価値を認識できるようになる。



現状のヨガは前向きな性格であるとか、健康であるとか、ポジティブなものを志向する人々に愛好されている。

ヨガブームの中では、前向きな人のためにヨガが存在しているとも言えるだろう。

しかし、人間は本当に前向きなのだろうか?


仏典でもキリスト教でもそうだが、極楽浄土(キリスト教では天国)と地獄では、どちらが描写が多いだろうか?


無論、地獄である。

仏教の場合、地獄の種類には8種類ほどあり、それぞれに多くの責め苦が紹介されている。

調べてみると面白いが、鬼気迫る描写とはこのことで、タイでは地獄の責め苦を再現した公園もあるぐらいだ。

それに加えて、極楽の描写は貧弱ともいえるぐらいで、地獄ほどの臨場感もない。

文化人類学に詳しいが、人間は闇から逃れて生きてきたので、全人類共通して闇の中に最初のイマジネーション=未知の恐怖を抱くともいわれている。


私見だが、人間は元来、「前向き」でも「後ろ向き」でもなく、どっちつかずの中庸なのではないだろうか。

だから、映画やドラマでは素晴らしい純粋な愛情が描かれる一方で、極端な悪や闇の暴虐を欲して止まないのだ。

(物語中では、結局、悪党は克服される存在なので、既存の価値観を再確認するための装置として働いている)

これは極論だが、我々は常に自分の価値観を覆され、既存の「うつ」になることを欲して止まないのではないだろうか。



そのため、どうも人間の存在を盲目的に素晴らしい存在とする意見には賛同しかねるのである。



ちょっと、わき道にそれたが、うつヨガである。

うつヨガは心身の状態を一旦、「うつ」の状態に持ってきて、そこから少しずつ自分の感覚を取り戻していく。

また、そのためには柔軟性や筋力といった、従来のヨガとは異なる尺度で行っていくものだ。

詳細はまた、後ほど。

10月以降の私の講座で行っていければと考えている。

柳原和子:がん患者学

今日は本格的に時間がない。



「がん」と現代医療・代替医療の問題を考えるなら、彼女の壮絶な本を読むのがお勧めだと思う。

最も、現在では「古典」になった向きもあるが、それでも、十分にインパクトがある。

がん患者学〈1〉長期生存患者たちに学ぶ (中公文庫)/柳原 和子

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カンブリア宮殿:両備ホールディングス小嶋光信氏

今日は両備ホールディングスの話をカンブリアで見る。

以前の話をDVDに収録したものだ。



代表の小嶋光信氏がゲストとして出ていた。




「たま駅長」で有名であるのだが、見るからに温和かつユーモアがある。

話しも上手い、聞かせる喋りだ。



村上龍氏はリアリストとロマンチストという二つの要素で氏を分析していたが、

確かにロマンチックな人だと自分も思う。




ロマンスはもともと恋愛の話であり、多くの場合、その恋は成就しない。

ビジネスについても同じで、完成されたビジネスがない以上、成就することはないのだ。


物語だと成就しない=(受けてとしては)カタルシスとなるが、現実世界では違う。



成就しない=メラメラと気概が沸いてくるのである。

営業は断られた時からスタートというけれど、成就しないからといって現場は続いていく。


だから、敵うことのない物語にあくなき挑戦をしていくのだ。

江戸時代の津田永忠の話も非常に感慨深い内容だった。

赤シャツ UDD 抗議集会は一旦終了

現在、出張中です。


■ UDDについて


ニュースでご存知の方も多いと思いますが、バンコクのラチャプラソン交差点で行っていた
UDDの抗議集会は一旦終了したとのことです。

今回は何の騒乱もなく、よかったですが、やはり火種はずっとくすぶり続けたままなんでしょうね。

今回も6千人もの規模での集会です。
現在の日本に住んでいると、ピンときませんが、それだけの人々が一箇所に集まって抗議をするというのはかなり異様なものです。
きっと、60年代安保などはこういった雰囲気だったのでしょう。
若く、エネルギッシュな時代と言えなくもないかもしれませんが、一つ違うところがあります。

それは50~60年代に吹き荒れた学生闘争は、あくまで若者達のものだったのに対して、今回のUDDの一件は地方部の人々、都市部の貧困層、そして一部のインテリと、かなり幅広く支持者が存在しているのです。

日本のニュースのコメント欄では、タクシン派はお金をもらっているからデモをしているんだという方がいますが、昨日の様に死者まで出した場所に再び集まろうという意気込みを【金】だけで得ることは不可能なのではないでしょうか。

タイの方はのんびりした方が多く、ここまで熱心に参画するのには本質的に熱いものがあるのではないかと私は思います。


タイは古い支配階層と新しく台頭してきた支配階層、そしてバンコクなど都市部の中間層、そして、地方の農民(人口の6割程度)で成り立っている階層社会です。

支配階層は主に華人系が多く、現在の首相も(そして、対立するタクシン氏自身も)タイ化はしていますが、もともとは華僑の出だったと思います。

彼らは己の権益のために対立をしていますが、一般的なタイ人とは全く別個の暮らしをしています。

今回のUDDの騒乱は当初はタクシン氏によって操られているといった見方が大きかったのですが、現在では階級闘争にも似た政治対立になって来ました。

タイは民主国家ということになっているんですが、インドよりも民主的な手続きに乏しく、(主に地方部の)民衆は一旦決まった選挙を裁判所によって何度も反故にされたりなど、政治体制としての民主主義は定着していません。

そんな中、UDDがなぜ、ここまで支持者を集められるのかと言うと、それはこれまでの貧困政策が機能していなかったからであり、それをタクシン元首相が(票集めの目的だったにせよ)抜本的に政策課題として取り上げたからです。

■ 『貧困』の誕生

東京大学出版会のタイの地方経済という本があったかと思いますが、タイは大昔から肥沃な土地だったため、食料に不足することはありませんでした。

ですから、貧困が死を即座に意味する来たの国々とは違って、お金はなくとも何とか生きていけるという「マイペンライ=問題ない」のシステムがあったのです。

しかし、経済発展が進むと、『格差』を意識することが多くなります。
今まで貧しさを感じなくてもよかったのに、テレビの普及等でそれをひしひしと感じるようになるのです。

タイには相続税がありませんから、お金持ちはずっとお金持ちのままです。
バンコクを走っているメルセデスの数は東京よりも多いといいますが、それぐらい、お金持ちが集積しているのです。

経済発展によって、「貧しさ」が生まれたとも言えるのでしょうか。
そして、そのしわ寄せは結局、地方へと向かい、それを解決してくれる政治家の出現を待ちわびていたのです。

タクシン氏自体は華僑の客家であり、中華名すら持っており、アメリカのアイビーリーグで博士号を持っているほどのエリートですが、彼は卓越した経営手腕を政治の中にも持ち込みました。

そして、彼はタイの地方部の人々の中にある『貧困政策』への渇望という導火線に火をつけたのではないでしょうか。

日本の日比谷焼き討ち事件の際もそうですが、民衆と言うものは、一旦、自分達の心の導火線に火がついてしまうと、当局ですら押さえつけられないほどの力を見せ付けます。

デモが長引いたときに、タクシン氏はツイッターで『(今回のデモを終焉させるのは)自分ではもうどうしようもない』旨の発言をしていましたが、それは本音だったのかもしれません。


タイに住む外国人である我々はあくまで、住まわせいただいている、商売をさせていただいている身分ですので、今後も注意深く、政治経済的な環境を見ていかなければと思っています。

2010年9月19日 赤シャツ再始動!?@ラチャプラソン交差点

今日、サイアムパラゴンに行って来ました。

が、その途中で、タクシーがノロノロし始めて、最終的にはチットロムのアマリンプラザあたりで停車・・・。

おかしいなと思っていたら、件のラチャプラソン交差点で、赤シャツの人々が集会をしてましたよ。
内戦以来の大規模集会と言うことで、我々から見るとものものしい(そして、参加者的にはタイのお祭り的な)雰囲気でした。

Kenboyamaの痛快な日々:男性の体質改善/タイの日常/心と体とその周辺

↑チットロムとサイアムを結ぶBTSの遊歩道からの一枚。
 休日も仕事だったため、死にかけた面で誠に遺憾の意を表明したい。

なので、チットロムからBTSで急遽歩いて、パラゴンに行きました。
しかし、集会のお陰か、パラゴンも店を早々に閉めていました。
我々は何とか開いていた某日本食チェーンで食事をしてきましたが、愛想がいまいちでした・・・。

赤シャツはまだデモを続けているようです。
BTSも運行していますし、今回は何事もないことを祈るばかりですが・・・。

詳細はNewsclip社の記事にもありますが、
今日9/19は19日はタクシン政権を追放した軍事クーデターから4周年なんです。
http://www.newsclip.be/news/2010919_028572.html



そういえば、自分がタイに来たのは2006年。
クーデターの頃が懐かしいですね。
あの頃はクーデターなんて体験するとは夢にも思ってませんでしたから。
今は、まぁ、多少は慣れましたが、やはり、心境としては複雑ですね・・。

Kenboyamaの痛快な日々:男性の体質改善/タイの日常/心と体とその周辺-20100919 ラチャプラソン交差点付近

男性の体質改善 知的な大人の食事:第一のルール

食べなければ、生きていけない。


それが、我々であり、生き物である。
食べるという行為は、我々を常に突き動かしてきた。
その目的は栄養補給に始まり、美食などの食文化、そして、キリスト教では顕著で宗教的な儀式にも食が用いられている。
お神酒などもその一つだろう。


現代社会を生きる我々にとって、ある種の食事は「凶事」であるかのように扱われている。

1世紀前までは信じられないことだったかもしれないが、現代人にとって食べることはかなり厄介なことなのだ。

「高カロリー」、「高脂肪」、「高たんぱく」など、その個人の持つ症状によって、禁忌は様々である。

日本の中高年を脅かす生活習慣病という症状があるが、食事はそれに大きな影響を与えている。

多くの人が関心があるため、テレビ、雑誌、インターネットでは毎日のように、健康と美容のための食事法を提唱している。

いわく、バナナが効く、キャベツが効く、納豆が効く、豆腐が効く、玄米が効く、和牛が効く・・・。

しかし、多くの場合は対症療法的なもので、良くも悪くも「あるある大辞典」の域を出ないものが多い。

そんな中、我々、鳥蝶も食事法をお伝えしたいと思う。



■ガイドラインその1:

「~を食べれば、すぐに、誰にでも、~の効果が出る」は疑ってかかる。


世の中の健康法は玉石混交だが、もっとも理論的に悲しいのがこう謳うメソッドである。
最近の傾向では、説明書きには「個人差がある」と書いてあるだけろうけれど、説明書きは「誰にでも速攻」という感じだ。

まず、考えても見て欲しい、多くの場合、「食べ物」は常食できるものであり、即効性があることを目的にした薬剤ではない。

漢方薬系のものは、基本として、体内の気・血・水のバランスをとるためのものであり、鍼灸のように効果をすばやく出すというものでもない。

もし、そんなに急激に効果が出るのならそれは常用するには強すぎて、結局習慣化できないため効果は薄れていくだろう。

多くの場合、「~が効く」を提唱する人々は、自分たちの販売する商品を売るためのものだったりするわけで、そうなると常に特殊な食べ物が必要になるわけで習慣化を自分の力はできない。

また、もう一点は、人間は複雑系を生きているということだ。

全ての人間が異なる環境の中で、異なる感情を持ち、異なる行動をしている。
そんな異なる心と体を持った我々が、ある食べ物を食べただけで、皆に同様の症状が出ると期待するというのはあまりに安易だ。

昨今の健康ブームの中、騙されたと感じる人もいるだろうが、それはちょっと違う。

自分の体を知ろうともせずに、健康メソッドを試すのが問題なのだ。

安易な単品メソッドに踊らされるのは、自分の体に無責任であることを表明しているのと同じなのではないか。

孫子の言う、

「己を知り、敵を知れば~」の下りにもあるように、

自分を知ることから体質改善は始まる。
食事についても同じで、自分の体をその他大勢と同じように扱わない態度が必要なのではないだろうか。

議論を元に戻そう。

ある食品が猛烈に効く人もいれば、全く効かない人もいる。
それを認識して、食事療法を取り入れていくのが、自分の頭で自分の体を考える知的大人の態度だと思う。


きかんしゃトーマスについての考察

約30分。


これが、私がきかんしゃトーマスのプラレールで息子と遊ぶ一日の平均時間なのだね。


と、のっけから、Chico(バンコクの雑貨店&猫カフェオーナー&自由タイランドのカリスマコラムニスト)調で書いてみたのだが、それぐらい息子との時間をトーマスおよび、その周辺の機関車と遊んでいる。

何を隠そうプラレールのトーマスはタイ製なので、こちらのデパートでも日本とあまり変わらない値段で購入できる。
おかげで、自宅はプラレールで溢れているわけだ。
運が悪いと、青色の線路で部屋が埋め尽くされて足の踏み場もない。

機関車の種類は色々あるが、お気に入りはディーゼルだ。

Kenboyamaの痛快な日々:男性の体質改善/タイの日常/心と体とその周辺-ディーゼル



黒光りするボディ&意地の悪い性格&低音ボイスという悪代官ルックで、悪役好きの私のハートをがっちり掴んでいる。
(ちなみに、最近のトーマスでは声優さんが変わってしまい、かなり普通になってしまった)

次点はゴードン、重量級の車体で客車をひっぱる特急用の機関車である。
プラレール版の出来もよく、走る姿も勇ましい。


Kenboyamaの痛快な日々:男性の体質改善/タイの日常/心と体とその周辺-ゴードン

・・・どっちも、おじさんのキャラか・・・、なるほど。



我々が所属するプラレール界では有名な話だが、この一日のプラレール時間をいかにクリエイティブに過ごすかが、人生の分かれ道だと思っている。

私は本田直之氏ばりにレバレッジ子育てを是認しているので、子育てもレバレッジを効かすことをよしとしている。
かといって、何か自分のキャリアに役立てようという打算で子育てを考えているのではなく、
本当のレバレッジとは真剣に楽しむことである。

プラレールの線路を組み立てるときも、必死で組み立てる。
ぬいぐるみなど、未知の素材を使って橋やトンネルを構築していくのは快感だ。

大学時代はいやいや土木の勉強もさせられたわけだが、今はもっと勉強しておけば良かったと思う始末だ。
特に安定した橋脚の設計は難しい。


そして、子供も親が真剣に遊んでいると、静かに興奮しながら、頭を使って真剣に遊ぶ。
「親に遊んでもらってる」という雰囲気では子供は、「親と遊んでやる」というモードに変わってしまう。
そういった甘えを許さないためにも、遊びの中に親父の峻厳な背中を見せている。



・・・・いや、そんなに大したことではないか・・?
昨今の男親はたいてい、こんなものかもしれないな・・・。


ちなみに、youtubeなどで大昔のビデオがあったりするのだが、やはり、森本レオの声のバージョンが好ましい。