鳥蝶Kenboyamaの痛快な日々:ハーブヨガの秘密をホリスティックな視点でご紹介 -31ページ目

体質を変えていくガイドライン(男性版)

前回までのあらすじ:

男性にも周期がある:睾丸周期など。
でも、それは社会的に抑圧(無視)されていて、存在しないことになっている。

その結果、男性の身体は周期のない存在として扱われている。

それに加えて、自然から乖離し、自然のリズムを失ってしまったがために、
逆に、自然の防衛本能としての病に悩まされている。


■ 基本的な鳥蝶のスタンス

では、今日の議論に入りたい。
といっても、時間は7分程度しかない。
今日のリミットはそれだけなので、かなりキツイのである。

まず、我々の基本的なスタンスから説明したい。

我々、鳥蝶の活動の一番ユニークな点は何か?
と、聞かれたら、習慣化をお手伝いすることです、と答えるようにしている。

鳥蝶の特徴は書籍化された姿勢美法やハーブヨガなど、世界中の方に実践していただいている独自のメソッドもあるが、一番大事なのはこれだ。

どんなに素晴らしい食事法も運動法も、それが習慣にならなければ効果がないと、私は断言できる。

医師でない我々が外科手術するわけじゃないんだから、「~だけを短期間やるだけ」で、コロッと変わるなんてことは有り得ない。

あるメソッドを実行して、一見、効果が出たように見えても、結局、それは一過性のものに過ぎない。
これは消えてはなくなる健康メソッドブームを見ても明らか。
何故、我々は健康・美容メソッドを消費し続けるのか?
何故、同じメソッドをずっと行い続ける人が少ないのか?

それは、科学が進歩しているから?
未だに、数十年前の単品ダイエット本が出版されているのを考えると、科学技術の進歩だけでは説明できない何かがあることが分かるはず。
(→消費社会と健康ブームについては後ほど書きましょう。)


確かに、それらのメソッドを習慣に出来たら効果は出るかもしれない。
でも、そのメソッドを習慣に出来る人はちょっと、特殊な人たちなのかも知れないわけで、それをしっかりと肝に銘じましょう。

少なくとも、一日中、身体のことについて考えている人は、他の業種で働いている人たちと異なるパラダイムを生きているのだから、「簡単」「即効」の文字に躍らされるのは問題です。

鳥蝶のメソッドが簡単かつ、即効なのは、実はその習慣化の部分をコーチするから。
多くのお客様が短期間で効果を実感されているのは、そこが鍵なのだと思う。


■ どんなメソッドも「習慣化」次第でしかない

世の中に心身の健康のために効果的とされている療法はごまんとある。
週刊誌やテレビを引き合いに出すまでもなく、病や痛みを克服する(らしい)方法がひっきりなしに我々の前に飛び込んで来る。

生老病死は生きとし生けるものの業とまで言われてるんですから、地球上の生物の全ての関心ごとなわけです。

しかし、大事なのは、「それは続けられるのか?」という視点です。
そのメソッドの内側にコーチがいる場合、続けることはまだ容易です。
ジムに通ってウエイトトレーニングをする場合でも、優秀なトレーナーがいる場所なら効果を出すのは難しくありません。
でも、トレーナーに付かずに我流でやったり、出来の悪いトレーナーだと、三日坊主になったり、怪我をしたりと、ろくなことがない。

習慣化するに当たって、目安になる日数は三週間。
長い場合で40日と言われています。

三週間の法則(場合によっては40日)とは、それぐらいの期間、ずっとやり続けられれば、そのメソッドは習慣になるってことなんです。

逆に言うと、三週間続けられないようなメソッドは(あなたにとって)効果がありません。


■ 本日の浅いまとめ

そういうわけで、ガイドラインの基本として、

「それ、続けられるのか?」という視点を常に持つこと。

まずは、これを覚えておきましょう。

男性にとって、体質を改善するとは?(続き)

一昨日の続きである。


前回までのあらすじ(自分用)


男性には生理がなく、よって、女性のように自分の体と定期的に向き合うチャンスが少ない。
その結果、健康管理がずさんになるのではないか(
仮説)

といった感じで壮大に投げたと思う。


そして、結論としては、

「体質改善=自分の体と「定期的」に向き合うこと

私は男性にとっての体質改善というのは、特に、この「定期性」というものを男性が獲得するということにあると思います。」

という形になった。


■定期的に向き合うってこと


では、その定期性とは何か?

文字通り、定期的に(一定の時間間隔で)自分の心身と向き合っていくことだ。

ここで、心身としたのには理由がある。

女性は生理前から生理中まで、女性ホルモンが変動するので、心理面でも大きく影響を受ける。
つまり、自分の体だけではなく、心の変化とも向き合わなければいけない
のだ。

その意味で、女性は自分の心身の周期と定期的に向き合っている。
これは自分の心身を観察し、メンテナンスしていく上で非常に賢い体になっている。

PDCA(Plan Do Check Action)なんていう古典的なプロジェクトの進め方があるけれど、女性は何とかそれを行える体勢になっている。

一方、男性はDoのみだ。
「男ならやってやれ」のみなのである。
これでは、健康がどうとかいう問題ではない。
まるで、鉄砲玉として一生を終えることになりかねない。


■男性の定期性=睾丸周期

では、男性の場合はどうだろうか?
本当に定期性が無いのだろうか?

実を言うと、男性にも睾丸周期というものがあり、生理と同じように約4週間のサイクルになっている。
排卵期にあたる、睾丸期には精子が分泌されて、むらむらするとのこと。

※ソースは多々あれど、寺門琢己先生のブログが分かりやすい↓
寺門琢己の「だから!カラダ!げんき!」

しかし、問題はそれを知っている男性諸兄がどれだけいるのかということだ。
私はこれまで男性として何十年か生きてきたが、「今日は睾丸期でちょいと気分がブルー」などと言っている男性に会ったことがない。(単に盛っている男どもなら、バンコクのナナ等、歓楽街に行けば嫌でも目に付くがが)


■睾丸周期の社会性=著しく低い

身体というのは、社会的なものだ。
自分の内部だけではなく、社会によって認識の方法が規定されてしまう。

認識されていない=社会的に存在しない=身体として感じない

という具合に。

(自分たちの世代は)性教育の時間でも、男性の睾丸周期について教えてもらうこともなく、かといって、それで不便を感じることもなかったわけで、身体の定期性というのは女性にしか無いと勝手に思い込んでいた。


社会的にも男性の心身に定期性があるということは、あまり重要視されていないのだ。

テレビでは女性のPMS(月経前症候群)や月経困難症など、様々な問題を週に一回以上は報道するが、男性版のPMSなんてものはマスメディアで見たことが無い。

まるで、男性に「月経」が無いかのような振る舞いなのだ。

睾丸周期の4週間という期間は月の満ち欠けと同じであり、これもまた「月経」であることは確かである。
しかし、月経(月を経る)は女性たちのものでしかなく、男性には存在しないものになっている。

デジタル大辞泉でも「思春期以後の女性で~」と、定義されている。

これほどまでに男性の睾丸周期は認識されておらず、地位が低いのである。
むしろ、話題としては下手なシモネタであり、笑いものの類だろう。

これは逆転すれば、女性の生理を笑うのと同様の事であり、ジェンダー的な問題のはずだ。
女性専用車両に「女尊男卑!」と怒っている人々にも、是非、この問題を取り上げてもらいたい。


※補足として
女性の月経は、古来日本では「穢れ」の対象として見られてきた背景があり、例えば、月経中は神社に参拝できないなど、そういうしきたりがあった。
逆に言えば、外見上、何も変化の無い男性を「穢れていないもの」として扱うために、社会的に女性の月経は利用されていたとも言える。


■本日の中途半端なまとめ


「男性の身体に生理周期は無い。」そう考えていた時期が俺にもありました。

しかし、で、ある。

それは、件の通り、何か悪いことが起こる「フラグ」なのである。


人間は心身のリズム=定期性を失うと、よほど頑丈(鈍感)な身体でもない限り、体調を崩う。
無理な仕事、不定期な睡眠など、リズムを敢えて失わせることをするだけで、簡単に人は寝込んでしまう。

特に日本人は農耕民族であり、同じ地域にずっと生き続けるという人生を歩んできたのだから、突発的なことに弱い。

極論すれば、安定性を求めるあまり、アドリブに弱い生き方をしてきたのである。

昨今の男性の「うつ=心身の定期性を失うこと」の増加を考えると、その安定性が崩れ、畢竟、心身のリズムを失う人が増加したともいえるのではないか。

よって、そのリズムを獲得していくことが、男性の体質改善の第一歩になるのだと思う。

次回は、「じゃ、どうやって!?」について、考えたい。

無論、遠距離に投げることもあるわけで、それは前もってご理解いただきたい。

バンコク、雨、9月。

雨季である。


バンコクの9月は雨がちなのだ。

昨日のテーマであった男性の体質改善について書こうと思っていたのだが、与えられた時間は5分。

深遠なる知識と技術とその他、もろもろのやんごことないことをお伝えするのは全くの無理なので、今回はバンコクの雨事情について書くことに変更した。

この千変万化するスタンスこそ、とても大事である、きっと。


我々がバンコクに住むようになってから早2年が経過した。
バンコクの季節は大まかに分けて、乾季・暑季・雨季に分かれている。

そして、今は9月。
雨季である。

雨季と言うのは、一日中、雨が降っているかと諸兄はお思いかもしれないが、バンコクでは激しいにわか雨が時折続くといった感じで、日本の梅雨のように雨がずっと続くというのは殆どない。

鹿児島県という、日本でも有数の雨降り県出身の自分としては、バンコクの雨は物足りないというか、あっという間に終わってしまう感がある。

しかし、念のために言っておくけれど、地域によって雨季の天気は結構違う。

自分が以前、住んでいたバンコク近郊のパトゥムタニ県では、雨季の雨は猛烈なもので、雷はドカドカ落ちるわ、そして、その雷が木々をぶっ倒すわ、そして、その木が車を直撃してフロントガラスを割るわで、てんやわんやの季節だった。

まさに狂乱の季節であった。

その猛烈な雨の中を自転車で行き来しようものなら、視界は2mぐらいしかなく、大変な目にあったというもので、自転車の後ろ座席にいた2~3歳の息子ともども、びっしょり濡れてしまった。

それでも、なんだか自然との語らいということで、案外、好きだったのを覚えています。



そういうわけで、今もまた雨が降ってきた。
窓の外に雨の音を感じる。

そうそう、バンコクに旅行に来る方、特にバンコクに慣れている方には、結構お勧めの季節でもある。

第一、涼しいし、すごしやすい。
朝の空気が特に美味しく感じられる季節でもある。

そして、フルーツが豊富で美味しい。
雨季はフルーツの季節なのだから、食いしん坊にはこの季節をお勧めする次第でございます。


それでは、今日はこの辺で。


男性にとって、体質を改善するとは?

いきなり、核心的な問題ですね、これは。

これを30分で書くのは難しそうだが、敢えて考えてみよう。
ブログはtwitterとは違うと思うけど、「とりとめもなく」よりはまとまった形で。



■体質とは?

問題になるのは「体質とは何ぞや?」などという定義の問題だったりする。
で、ググる。

デジタル大辞泉では:「からだの性質。遺伝的素因と環境要因との相互作用によって形成される、個々人の総合的な性質」となっている。

なるほど、先天的・後天的に決まる体の性質とのことか。

これを改善していくというのが、体質を改善するということになるわけだけど、先天的なものは基本的に変えられません。


変えられるのは、「今」だけです。



よって、体質改善=現在の環境要因を改善させていくこととなる。

では、その環境要因とやらは何か?

簡潔にあげると、食事・運動・住む場所・生態(仕事など)・生理的な環境(気温・湿度・その他)・行動の仕方・宗教や信心など心の習慣、対人関係などストレスの対処などなど、切りがない。

当然ながら、人間の生きている環境は複雑系=様々なものががんじがらめになっている世界なので、「これだけ」で、その世界が上手い具合に変化するというわけではない。

しかし、効率の良いレバレッジというものは存在している(らしい?)ので、多くの人はそれを見つけようとしてやっきになっている。


おぉ、なんか、難しくなってきた・・・。


よって、多くの場合、体質改善の方法=体質を変えるのに効率がよさそうな方法ということになる。
勿論、この方法は少なければ少ないほうが、簡単であれば簡単であるほうが良い。

昨今、書店の本棚を賑わせた「~だけ」ダイエットといった発想はその極致とでも言うべきもので、多くの消費者の心を捉えて離さないのもこのためだ。

簡単に言えば、「最小限の努力で、最大限の効果を得たい」という心理がその裏にはあるということだ。


■男性にとっての体質改善

少し話がそれてきたので、「男性にとっての体質改善」に戻す。



ご存知のように、体質改善の情報というのは巷にあふれている。
テレビ・ラジオ・新聞・雑誌、インターネット、どんなメディアであっても例外はない。

しかし、その多くは「女性向け」だ。

これは確実な統計を取ったわけではなく、自分自身の実感としてでしかないが、
例えば、男性版の「からだにいいこと」といった健康系の雑誌は見たことがない。
(→この点についてはもっと、深く掘り下げたいとも思いますが)

それは何故か?
何故、男性向けの健康情報が少ないのか?

まずは既存のマーケットが小さいからと、経済学的なことを考えられる。
マーケットが小さい理由は「男性は、女性ほど自分の体質に興味がない」から?

これは本当だろうか?

男性は自分の体を(物理的に)酷使して、労働をするという働き方にずっと慣れてきた。
自分の体質に鈍感になることで、それが可能になったのだろう。
よって、40代、50代になって、若いつもりで行動して、怪我をする人が多くなる。

それに比べて、女性は、自分の体が絶えず変化し続けているのが「生理」という自然な現象を通じて分かる。
毎月、一回はそういった強制的にでも「体と向き合う」期間が設けられているのだ。
生理を通じて、自分の体と毎月向き合う女性は、「今月は生理痛が軽い」とか、「今回の生理はどうだ」と、必然的に自分に興味がわいてくる。

生理痛がひどい場合は動けなくなる人もいるわけで、生理とは誠に強硬な手段なのだ。

■生理についての考察:

一説によると、男性と女性の平均寿命の差(7年間=男性79歳・女性86歳)は、女性の生理にあるという。
12~3歳で初潮を迎え、55歳で閉経するとすると、単純計算で、43年×12月×5日(生理期間の長さ)=2280日=約7年。(生理の回数は516回)

と、まぁ、見事に平均寿命の差と生理期間とが一致する(無論、単純計算にしか過ぎないですけど)。


これを生理=デトックスという文脈で語れないこともないけれど、もう一つの視点を提供したいと思います。

それは、生理期間=自分の体と向き合う期間ということ。

女性のほうは体と強制的にでも毎月向き合う、しかし、男性はその間、自分の体について定期的に深くは向き合わない。

この差は大きい。

特に、自分の体に定期的に向き合うというのは。
男性は生来的に定期性というものを強く意識できないのではないでしょうか。


■体質改善=自分の体と「定期的」に向き合うこと

私は男性にとっての体質改善というのは、特に、この「定期性」というものを男性が獲得するということにあると思います。

食事や運動はその後です。

いやはや、今回は難しいというか、散漫になった。
次回は補足的にこの話題を続けたいと思います。

最初に:(自分のための)ガイドラインと挨拶など

始まりの始まり=============================

ブログの始まりぐらい、まじめに始めたいものです。
そのためにはまず自分が何者かというのを書こうと思います。

私は東南アジアのタイ・バンコクで妻と一緒に体質改善サロンというものを運営しています。

どんなことをして体質とやらを改善するのかは、今後の話題になっていくわけだけれど、詳細についてはHPを参照していただければ最高にありがたいです。

こちらです→鳥蝶のホームページ

今後、できるだけ毎日続けたいと思うんですが、そのためのガイドラインを今、書きます、以下に。

1. 30分以内で書くこと

2. 誤字脱字は「敢えて」気にしないこと

3. 内容が長くなった場合は完結させずに、次の日に続かせること

4. できるだけ、簡潔に書くこと

5. ネタ切れの際には柔軟性を取り入れること

そんな感じで行きたいですね。

それでは、また。=============================

大昔の日記: タナトス/エロス

澁澤龍彦にエロティシズムという本にであったのは高校生の時だった。

思春期ということもあり、私はいろんな思惑でそれを読んだのだが、平易な文章で面白くエロスとタナトスについて書かれていて、好感が持てた。
結論としては、エロスという性の衝動はタナトスという死への希求と対立しながらも、ある種の状態では深くつながって行くということである。
人間は生まれながらにして死んでいく生き物であるため、性衝動というのはどちらかというと『死』への反逆だと思っていた。しかし、タナトスという『死』への恭順という本能があることを死って愕然とした。(子孫を残せば、いつ死んでもいいという考え方に近いのかもしれない?)

2008年の日記:移民と農業

農業における移民の扱いについてノートしておく。

一般的に途上国において、農業というのは国の産業の根幹を占める。

工業化・サービス化が進んだタイでもそれは例外ではない。

しかし、まだまだ農業は人口比で言うと基幹産業なのだ。

農家の多くは米作り、商業的野菜・フルーツ作り、自給的野菜作りなどを行っているのだが、ほとんどの場合裕福な生活はできない。

勿論、みなが裕福になれる社会はおかしいのだが、普通に農業をしている限り豊かにはなれないという状態にある。
そのためにどうするかというと、移民を使って、安い労働力を使う、ということも結構ありうる。
そのため、特に西部ではミャンマーからの移民が増加しており、タイ国内で50万人以上にもなるとのこと。

しかし、そんなことをしてもほとんどの農家は豊かになれるわけではなかった。
タイ国内の統計では農業の依然として厳しい現状を指摘している。
まだまだ道は険しいが、僕もその道の岩を少しずつどけられるようにがんばっていこうと思う。


2008年の日記:My granpa

2008年の日記: slowly but surely

時の経つのは早く、我々の成長は見えないまま。

その真理は何千年たっても変わりそうにない。

この指先の感覚も、この私の体温も、私を構成する全てのものが時の進行につれてゆっくりと移動し始める。
その方向はわからない。

たまに栄達していく大学時代の友人を見て焦ることがある。
まさに石川啄木の心境だ。

しかし、僕は僕の信じた道を行くしかない。

それに、そう焦るまでもない。

僕はなぜ働くのかについて一定の解を見出している。

それを実現するために楽しく努力する。
いつまでに、何を、しなくちゃいけない人生なんて存在しない。


そんなことを考える日曜の朝、5時45分。
あたりはまだ暗いまま。
でも、この闇もすぐに晴れてしまう。

2008年の日記:Hua Hin 2

先週末はフアヒンのBaan Talay Daoに宿泊した。

RatestoGoでその日の朝に予約して、そのままバスでひとっ飛びというわけだ。

フアヒンの海は波が高くて泳ぐといった感じではない。

ただ、浜辺でぼんやり遊ぶにはちょうどいい。

息子もまだまだ泳げないし、波にざばーんとやられて笑っているだけでちょうどいい。
浜辺のヤドカリやカニ、時折やってくる馬などを見て、子供一日遊ぶのはまったく痛快だった。


食事はシーフードを食べたり、イタリアンを食べたりしたけど、結局ホテルのレストランが一番よかったかな。
ココナッツ入りのカレーとかは久々に美味いタイ料理という感じだった。

最終日にはAll in Hua Hinという欧米人ばっかりがいるカフェで昼食をとった。

ボリューム的にも値段的にも文句なしだけど、やっぱりソーセージはそんなにおいしくない。
タイのソーセージにしてはおいしい部類だとは思うけど。

でもまぁ、息子はソーセージで狂喜乱舞していたし、僕も案外満足できた。

Hua Hinにまた来ることがあるだろうか?と奥さんに聞いた。

環境は悪くないし、ピースフルなところはいい。

僕も同感だった。

タイにはバンコクなんかより、もっと住みやすい都市がある。
皮肉なことに、全員がそれに気づいたら、フアヒンもその面影をなくしてしまうんだろう。