上盛岡駅を出て上盛岡停車場線を南(右手)に進むと、
右手に古い蔵があります。
とてもいい雰囲気で、お散歩途中で見る楽しみな建物の一つでした。
この蔵の並びの本町通三丁目交差点の角に古い建物がありました。
とっても廃墟感のある建物で、一体何だろう?と思い、
裏手にあった門柱を見てみると、岩手医大の寮だったみたいです。
この寮のすぐ左手が岩手医大の本町キャンパスがあるので、
以前は学生さんなのか職員さんが入居していたのでしょう。
私が引っ越してきてからしばらくありましたが、
少し前に取り壊され、コインパーキングになってしまいました。
その写真も撮ったはずなのですが見つからず…。
本町通三丁目交差点から上盛岡駅方面へ少し戻り、
上で紹介した蔵がある交差点を東へ曲がると、
枡形の道になっています。
カーブの角には古い商店が残っていました。
この道が旧奥州街道だったそうです。
この斜め向かいに四ツ家の地蔵尊があります。
盛岡城の方から旧奥州街道を歩いてくると、
道が枡形になっているので、
正面にこのお地蔵さんがあるように見えます。
何故、その写真を撮っていなかったのか…。
実は今回紹介してている写真は、5年近く前に撮ったものなので、
アングルもイマイチですし、
どういう記事にするかというコンセプトもない時だったので、
ただ撮っただけ…という写真で申し訳ないです。
普段から意識して写真を撮らないとダメですね。
お地蔵さんの手前には手水があります。
いつも綺麗になっていたので、町内会の方が
定期的にお掃除されているのでしょう。
四ツ家の地蔵尊、田中の地蔵さんと呼ばれているお地蔵様。
盛岡市の指定有形文化財で、正式名称は大智田中地蔵尊。
このお地蔵様は、元禄7年(1694年)、
南部藩の4代藩主・南部重信公の夫人・於俊の方が亡くなった際、
息子の5代藩主・南部行信公が母の菩提を弔うために、
於俊の方の遺体を荼毘に付した場所に建立したものだそうです。
荼毘に付した場所はここではなく、
現在の盛岡市那須川町の東禅寺の門前だったそうですが、
田んぼの真ん中ということで地名の「田中」を、
於俊の方の戒名の「大智院殿心月妙院大姉」から「大智」を取り、
「大智田中地蔵尊」が正式名称になったそうです。
この場所に遷座されたのは大正元年(1912年)10月1日のことで、
四ツ家町の有志が旧藩主の南部利淳氏に
「町内に勧進して祭祀を行いたい」と願い出て
承認されたという経緯があるそうです。
この四ツ家の地蔵尊の前からお城の方を見ると、
枡形の手前に細い路地があります。
この路地はゆるやかに下っていき、更に細い路地にぶつかります。
路地の脇のゴミ箱の横に、赤川堰跡と刻まれた石碑があります。
上の写真の細い路地は、昔、堀だったそうです。
四ツ家の地蔵尊の横に、こんな標柱があります。
「四ツ家惣門跡」と書かれた標柱です。
この付近にあった四ツ家惣門が旧奥州街道の北の玄関口で、
惣門の外に堀(赤川堰)が巡らされていたそうです。
惣門の横には番所があったそうなので、
上の写真の赤川堰跡の石碑の辺りに番所があったのかしら?
盛岡の市街地は江戸期の街と現在の街がうまく融合しているようで、
昔に思いを馳せながらの散歩がとっても楽しい街でした。
離れてしまうと、もう気ままに散歩することもできないんだなぁ…。
今回のおでかけ
★四ツ家惣門跡
住所:岩手県盛岡市本町通2-15
見学料:無料
駐車場:なし
公式ウェブサイト:八日町・四ツ家町(盛岡市)
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