服で言葉であなたを伝える【あなたの魅力ナビゲーター】

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先日訪れたファッション イン ジャパン

ファッションが生活のすべてだった頃の
あれやこれやを思い出しました
日々刺激的だったあの頃

それはなにより

その服を纏うその人
人そのものの魅力だった


みんな
私には無いものを持っていた


それは狂気のようなもの


私が憧れる
私の周りの殆どの人から漂っていた


まあ平たく言えば
普通じゃないってことなんだけど


例えば

ファッションへの一途さ
遊び倒し方

それぞれに
拘りや執着が半端なかった

寝るのも食べるのも
なんなら住まうことにも

彼ら彼女らは頓着がなかった




そんな魅力的な人たちと
行動を共にしながら

私は自分を
とてもつまらない人間だと思っていた


私だってファッションは大好きで

今思えば

奇抜でしかない
服を着たり髪型をしたりもしたけど


それでも

東京生まれの東京育ち
実家住まいの私は

親の目を気にしない日はなかったし

なにより

自分でつくったルールのようなものを
持っていて

そこから外れない自分を

なんて退屈なんだろう
と思いながら



でも

そうしなければ

ズブズブと
沼に沈んでいきそうで

それがとても恐ろしくて

それはまた
私には格好悪いことでもあって


マイルールを破ることはなかった

そして

そんな自分を
私は嫌悪していた


これは新宿バーニーズの閉店前のウインドウ



そんなことも思い出しました


ファッションだとかアートとか
そんなことを生業とする人は

どこか狂気みたいなものを
持っていないと成功はしない

普通で退屈な私は
うまくいかない

そんなふうに思いながら

仕事に遊びに共に時間を過ごしている
周りのみんなを

憧れ羨ましく見ていたのでした



あれから40年

今は

たくさんの魅力的な人と出会えて
豊かだったなぁと

しみじみ思います


そしてあの頃の私を
愛おしくも思います

これもその頃の思い出
カメラマンの卵とスタイリストの卵
ヘアメイクの卵との作品



ありがとう❤️
















今日の午後

ぽっこり時間が空いたので
行ってまいりました


もうね
感動!ひたすら感動!!


そして今日ばかりは
一人行動を後悔しました

語りたくてね
語り合いたくてね、

堪らなくなりました

なんなら隣のお姉さんつかまえて
話しかけたいくらい爆笑



和装から洋装へと移行する

1930年代からの展示は
素晴らしくて

改めて
田中千代さんの存在の偉大さに
感謝のような気持ちが芽生えたり
なんだかおこがましいが

もんぺの素材やプリントが
とても素敵で先入観を覆されて

はじめから感動でしたが




やっぱり私が一番ワクワクしたのは
1960年代から1970年代!!



私がファッションに芽生えて

服だけでなく

デザイナーやスタイリストさんの
ライフスタイルに憧れを持って

原宿で暮らしていた頃
(住んではいない)



原宿のセントラルアパートの
レオンにお洒落な人が集まり

マドモアゼルノンノンやMILKは
宝箱のようなお店で

BATSUには
デザイナーの高橋幸宏さんが
(YMOのね)お店にいらして

ツバキハウスに行けば

三宅一生さんや山口小夜子さんに
出会えて

今思えば
もう夢のような世界でした


毎日
お洒落のことしか考えていなかった日々
恋愛の比重も高かったけどね


それはそれは刺激的な日々

青春!ですね


ファッション イン ジャパンの展示では

私が欲しかったMILKのブーツ
あの子が来ていたワンピース
私と色違いのセーター

なんかもあったりして

懐かしいったらなくて


コレクションの映像では

モデルさんたちが
踊りながらランウェイしている姿が

可愛くて楽しくて

あっという間に2時間が経っていました


そんなワクワクと同時に

ふとその頃の
私の複雑な思いが宿ってきて

それを書きたくなりました



そう

それが書きたくなったんだけど
長くなったので次にします

セツモードセミナーの創設者
長沢節さんのイラストもあり
パリの香りがして堪らなく憧れました

そして
どこかへ行ってしまった本を見つけて

嬉しくて即購入しました!!

これは昨日のコーデ


なぜかね

美術館にビールを履いて行って
いつも後悔する私

今日こそはスニーカーで、
と思ったら

娘に貸した白スニーカーに
泥が付いていて履けなかった件笑い泣き



ではでは

また❤️

















父が在宅酸素を導入して
もうすぐ、ひと月が経ちます
GW後に肺炎になりましたが

今はほぼ完治して
落ち着いた状態です

酸素ボンベを引いての外出も
かなり慣れて

一人でバスに乗って
出かけられるようにもなりました



GW前まで会社に出勤していた父

先週一人で(私は知りませんでした)

必要なものを取りに
父は会社に行ってきたのですが

そこで会社の現社長に

「酸素をした状態で会社に来ないでくれ」
と言われたそうです


理由は見た目


みっともないとかなんとか



ん?


は?


理不尽ながらも

まあ父の年齢もあるし

これは会社都合のクビ宣言かと
私は思いました


そもそも

在宅酸素を導入するということは

元々の生活を維持できるように
が目的です

これは

視力が悪くなった人が眼鏡を使用して

日常生活を不都合なく送れるように
することと同じことです


まあ、でも

仕事は仕方ないか…

父の生き甲斐ではあったんだけどね


そう思いました
それが昨日

父のクリニックの定期受診をした際
(私は付き添いました)

父がいきなり
看護師さんと先生に

「外出時に酸素を使わなくても
大丈夫でしょうか」と質問!

更にその理由も伝えたのです



え?

いやいや

それならまずは
家で試してみてでしょう

私はそう思ったのですが


それを聞いた看護師さんと先生は

落ち着いた様子ながらも
憤りは隠せず

今の父の状態を
丁寧に父に伝えてくださり


それから先生は

「◯◯さん(父)が酸素を使うことは
視力が弱くなった人が眼鏡をかけるのと
同じことで必要なことです。

眼鏡に比べて酸素を使用している人は
少ないだけのことで理不尽です。

私は84歳で仕事を続けることは
立派なことだと思います。

会社の人に理解いただきたいと思います。
説明していただけたらと思います。

それは会社にとっても
社会的にプラスであることです。

有効と思われる資料はお渡しします」

そう言ってくださいました

理不尽という言葉を
何度も繰り返されていたことが

印象に残っています


それを聞いて私は

改めて悔しい思いが湧き上がって
涙が出ました


そう

理不尽ですよね


その上、更に

その後に父から聞いたことが

会社としては父に辞めてほしくて
そう言った訳ではなく

今、父の仕事を代われる人はいないから

代われる人が入社して仕事を覚えるまでは
父に来てほしいと言っている

とのことでした


つまり

必要だから来てくれ!
でも酸素はしてくるな!


って話です


おかし過ぎるだろ〜‼︎です


これが現実で

少なからず
そんなふうに思う人がいるのですよね


父としてはね
もういつでも会社を辞めていいと。


なんだかね〜


不自由な体で無理矢理働かせてほしいと
言っているわけではないのですよね


我儘を押し通しているわけではないと
思いのです



その現社長のタイプから

説明しても
理解し撤回されないだろうと思いましたが


一応、父は話に行き

結果は

必要な時には連絡をする
その時は酸素OK

ということになったそうです


なんだかね〜


寛容な世の中にならないものかと
思ってしまいました



泣けた‼︎


久しぶりに晴れた東京

叔父の家の整理に行ってまいりました
こちらも久しぶり



衣装部屋と押し入れの中の衣類を
すべて出して

まずは叔父から

「これは絶対持っておいてね」と
仰せつかったものを分けて


それ以外で

私がとっておきたいものや
譲りたい人が思い浮かぶもの

そして

「ごめんなさい
これは処分させていただきます」

を分別して


車に乗せられるだけのものを
持って帰ってきました


とっておきたいものはベッドの上へ
ほんの一部です
疲れてきて丁寧に畳めていない滝汗



奥のルイヴィトンの袋には
なぜかノースフェイスのダウンジャケットが!
7着も⁉︎


そう
このブログでも書きましたが
出てくる!出てくる!!

Tシャツなんか
同色、同デザインのものが20枚もありました‼︎


叔父には申し訳ないけれど
私にはそのすべてを取ってはおけないので


どなたかに引き取っていただける
最善の方法を考えます





そんなたくさんの衣類の中で

私が懐かしいって浸ったのが


Mademoiselle NON NON
(マドモアゼルノンノン)のニット
赤いニットは違います


今では
ご存知の方は少ないかもしれません

原宿の同潤会アパートに
1964年にオープンしたお店で
東京オリンピックの年ですね

デザイナーは荒牧太郎さん



その後に立ち上げられた

papas(パパス)のデザイナーとして
知っている方は多いのではないでしょうか



同潤会アパートのお店は

小さな間口を入ると
真っ直ぐ縦に続いていて

壁一面の棚には
Mademoiselle NON NONの
Tシャツがぎっしり

どれもが無地かボーダーに
Mademoiselle NON NONのロゴ


私が小学生の頃から

当時、原宿に住んでいた
叔父叔母の家に遊びに行くたびに

連れて行ってもらっていましたが

子どもながらにパリっぽいなんて
思っていました
きっと誰かがそう言っていたのを
聞いたのでしょうね



いつもお店には
荒牧太郎さんがいらして

叔父は
「太郎ちゃん」なんて呼んでいましたが

いささか無愛想な太郎さんは

私にとっては
ちょっと怖いおじさんでした爆笑
今思えば人見知りだったのかも


このときの私が着ているTシャツが
Mademoiselle NON NONです
高一かな

本来の
Mademoiselle NON NONらしさは

もっと体にフィットする
コンパクトなのですが

この頃の私には
抵抗があったと思われますてへぺろ


Mademoiselle NON NONを
はじめとして

同潤会アパートには思い出がいっぱい



今は今の良さがあるけれど

やっぱり当時の原宿は好きだなぁ
なんて

思い出に浸っております


朝は草むしりに精を出しました
いい加減だけどね


良い休日をありがとう❤️

今しがたFacebookに投稿したぼやき



父は
在宅酸素をはじめて約2週間になります

そして一週間前に肺炎になり

一時は3リットルの酸素を入れても
酸素濃度が90を切ることもあり
(95前後が理想)
微熱もあったりで

心配していましたが今は落ち着いています

ほっと一安心なのですが

在宅酸素をはじめた当初から

チューブの掛け方が
度々おかしなことになっていて

なぜだ!?と思う私がいます

そんな簡単なことも
できなくなってしまったのか?


いや
些細なことなのです

二重になってるよ〜

とかなんとか言えば済むことなんです


でもね

ひと月前まで仕事をし
数十億の物件の売買をしていた父

それなのにと
受け入れられない私がいるのです



そしてね

これは私のために
私が気持ちを保っていられるために

吐き出しておいた方が良いと

認知症の母の在宅介護の経験から
思う私がいて

更に

この投稿を見て
いつの日か懐かしく思うのかも

なんてことも思う私がいます



ぼやいたり愚痴ったり

そんな場があることがありがたい
勝手にだけどね


父にも文句言ったから

晩ご飯はリクエストの
筍ご飯つくるとします
旬は過ぎたけどね

今日のお花はコチラ

美しいものを愛でよう