比佐豆知神社

(ひさづちじんじゃ)



伊勢国安濃郡

三重県津市鳥居町210-1

(P有)


■延喜式神名帳

比佐豆知神社の比定社


■旧社格

村社


■祭神

火之迦具土神

[配祀] 伊邪那美命 天照大御神 建御名方神 品陀和気命 菅原道真 宇迦之御魂命 大山祇命 建速須佐之男命 天之菩卑能命 天津日子根命 活津日子根命 天之忍穂耳命 多紀理毘売命 多岐都比売命 市寸島姫命



「安濃川」の北岸畔、津市鳥居町の市街地内に鎮座する社。旧「建部郷塔世村」。境内には三重県神社庁が併設されています。

◎創建年代、由緒等いずれも不詳。「神社覈録」(明治三年完成)は江戸後期の国学者 名島政方が云うとして、現在(完成時)は「愛宕権現」と称しているとしています。

◎同書はまた名島政方が「比佐」は「瓠(ひさご)」の訓、「豆知」は「祇」つまり神の御名を称えていうことばであるというのを取り上げています。

これに対して同書はこれを批判。記に登場する久比奈母知神が、「汲瓠持」の義であり水神のことであるとし、「延喜式」の祝詞に見える「鎮火祭」に於いて、火結神(火之迦具土神)が荒ぶるのを、水神が「瓠(匏)」で水を掛け埴山姫が川菜(水苔)を以て鎮火するという内容が見えます。この内容からして火結神(火之迦具土神)そのものを「火防神」というのは誤りであるとしています。結局のところ祭神不詳であると。

◎「神名帳考証」(度会延経、享保十八年・1733年)はご祭神を火雷神に宛てています。「神社覈録」はこれを「非也」と完全に退けています。

◎「神社覈録」の説に反して、宝賀寿男氏(日本家系図学会会長・家系研究会会長)はまったく異なる見解を示しています。

先ず「六国史」に「伊勢国安濃郡の人、右弁官史生正七位上爪工仲業に姓を安濃宿祢と賜う。神魂命の後なり」(貞観四年七月条)とあることに注目。

氏は「爪工連」が多久頭魂神(天手力男神磐排別命と同神とする)の後裔と考え、彼らは紀伊国造家(大伴氏や久米氏と同族)としています。そして彼らが始祖と崇めていたのが安牟須比命。彼らは日本列島で原始的な「焼畑農業」を営んだ「山祇族」系統であり、本来の「ムスビ(産霊)」は安牟須比命、その実体はカグツチ神(=火産霊神)であると。また「古屋家家譜」の系譜から類推して、氏はカグツチ神(=火産霊神)火雷神と同神であるとみています。

◎なお奄藝郡(現在の鈴鹿市)にも同名の比佐豆知神社が鎮座しています(未参拝)。そちらも由緒不詳。



三重県神社庁の庁舎。当社駐車場と併用されています。


神社庁のお膝元とあってか、境内は清浄そのものに美しく整備されています。



ご本殿


以下、境内社





伊勢国に多く見られる合祀された山神群



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