◆ 火吹く人たちの神 ~14






現在進めている章は「伊福部氏」一色。

どこを切り取っても「伊福部氏」。


遂に谷川健一氏は、「わが伊福部氏…」などと書いておられます。これまでこの書を読んだ時はすべて見落としてましたが…

腹抱えて笑てしもた(笑)(笑)(笑)

先生はとうとう「伊福部氏」を
自分のものにしはった(笑)(笑)(笑)



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第一部 青銅の神々
第一章 銅を吹く人


■ 伊福部氏は雷神としてまつられる

前回の記事は、柳田国男氏の「雷神信仰の変遷」での記述を元に、伊福部氏と雷神との関係を仄めかしたところで終えました。それがはっきりと示されているものがあるのです。



◎「常陸国風土記」逸文の記述

━━常陸の国の記(「常陸国風土記」のこと)に、昔、兄と妹と同日に田をつくりて、「今日遅く植ゑたらんものは、伊福部神の禍(わざはひ)をかぶるべし」と云けるほどに、妹が田を遅く植ゑたりけり。其の時、雷鳴りて、妹を蹴殺しつ。兄大きに嘆きて、恨みて、仇を討んとするに、其の神の所在を知らず。ひとつの雌雉とび来りて肩の上に居たり。績麻(へそ)をとりて雉の尾に繋けたるに、雄飛びて伊福部の岳にあがりぬ━━

「伊福部の岳」なるものがみえ、また「伊福部の神」が「雷」であると示されています。この話には続きがあります。

━━雉に繋けた麻糸をさらにつないでいくと、雉は雷の住む岩窟に着いた。そこで兄は刀を抜いて、雷神を斬ろうとすると雷神は恐れおののいて、命を助けてくれと頼み、百年の後、あなたの子々孫々にいたるまで、雷に打たれる恐れは無いようにすると誓った。そこで雷神を許してやった。男は雉の助力をよろこんで、恩義を忘れるようなことがあったら、自分は生涯不幸になっても仕方がない、と誓った。そこでその辺りの百姓は現在まで雉を食わない、云々━━

「伊福部岳」の所在は不明。「地名辞書」は石岡市「上曾」を宛てているとのこと。これは西北一里余りに「葺山」があり、「イフキ」と音が近いという理由から。

下部に地図を載せましたが、「葺山」とは「加波山」「丸山」「足尾山」「きのこ山」これらのいずれかということになるのでしょうか。

「和名抄」に常陸国茨城郡「夷針郷」がみえます。「夷針」の訓みは「伊志美(いじみ)」。
「上曾」や隣の「鯨岡」辺りは「井白郷(いじらごう)」とされたり、「上曾」が「伊字名郷(いじなごう)」とされているため、「伊志美」からの訛伝であろうと「新編常陸国誌」はしています。「姓氏家系大辞典」「地名辞書」も同様の見解。

これに対して反論をしているのが谷川健一氏。「夷針」の訓みはやはり「イバリ」ではないかと。

「イバリ」は「イフリ」に由来。尾張国の葉栗郡門間庄に意富利神社が鎮座することは、第10回目の記事にて既出。「意富利(イフリ)」は「廬入(イホリ)」で「伊福」と同じ語…と。

他にも肥前国高来郡(現在の長崎県南高来郡瑞穂町)に「伊福」という地名があるが、かつては「伊布利村」と呼ばれていたことを記しています。

「上曾」は赤の破線囲み。



◎「雷」は伊福部氏の「鍛冶技術」

主題は「伊福部岳」の比定や、「夷針」の訓みではありません。「伊福部氏」と「雷神」との関係。主題へと進みます。

先の「常陸国風土記」逸文の記述から、
━━伊福部神がはっきり雷神として登場しているということだ。伊福部氏は雷をその氏族の神と考えており、それが一般にもみとめられていた━━ということを強調しています。

この傍証として、海外の事例を挙げています。インドシナのレンガオ族が雷神をパトロンとして雷神の夢を見る、中国の青海省に住む士族が初夏に山羊を供えて雷神を呪縛し収穫を守る…など。



◎味耜高彦根命の説話

これは記紀に記される、天若日子(天稚彦)の葬儀の神話。不可解(謎)とされる説話であり、また登場人物(神)の事蹟が他に乏しいということも相まり、たびたび引用される有名な箇所。本書では読み下し文が上げられていますが、こちらではそこまでは不要とし割愛します。

要は、瓊瓊杵命の天孫降臨に先だって高天原から降臨したのが天稚彦。ところが大国主命の娘である下照比売と結ばれ、葦原中国を得ようとして高天原に復せずじまい。高皇産巣日神の放った矢で失命します。
その天稚彦の葬儀の弔問に訪れた味耜高彦根命(アヂシキタカヒコネノミコト)(大国主命の子、下照比売の兄)が、天稚彦とそっくりであったため間違われます。それに怒った味耜高彦根命が喪屋を「十握剣(とつかのつるぎ)」で斬りつけ蹴り飛ばしました。それが落ちたところが山となり「喪山」となったというもの。味耜高彦根命はそのまま飛び去っています。


「喪山」の候補地の一つ、喪山古墳(不破郡垂井町)


不可解(謎)であるのは、味耜高彦根命が天稚彦にそっくりだとし…何かしら言いたげな説話を残しながらも、その後何も触れずそのまま放置してしまうという…肩透かしを食らわせる記紀神話。

まさか同神でもあるまいし、生まれ変わりでもあるまいし。何を言いたかったのだろう…?

一説には同神であり、
━━穀物が秋に枯れて春に再生する、または太陽が冬に力が弱まり春に復活する様子を表したもの━━(Wikiより)
といったものもあるようです。これとて、なるほど!…とはならないもの。

そもそも味耜高彦根命が謎深き神であり、大人になっても言葉を話せず、昼夜泣いてばかりいたと「出雲国風土記」には記されています。「鉄」が原因による「啞者」だったと考えられています。最近は「発話障害」というのでしょうか。

この味耜高彦根命の説話を持ち出してくるのは、いかがなものかと思う次第。伊福部氏と同じく「鉄」に関わるものの、関連が見当たりません。
おそらく何らかの関連があるはずなのでしょうが、私自身も見出だせていませんし、谷川健一氏もそこには触れていません。持ち出してくる以上は触れて頂きたいところなのですが…。

味耜高彦根命を祀る総本社、高鴨神社(大和国葛上郡)



味耜高彦根命について、「アジ」は美称で「スキ」は「鋤」であるという、諸説の一つを上げています。つまり鉄製農具を神格化した神ということ。

紀には喪屋を壊す際に、「十握剣(とつかのつるぎ)」とするものと「大葉刈(おおはがり)」とするものとが記されます。いずれにしても鉄製の利器を所有する神であったと。
つまり農具であろうと武具であろうと、鉄製のものを所有する神だったということに。

この説話には続きがあり、味耜高彦根命は光輝くほどに容姿端麗で、(飛び去ったところの)二つの丘、二つの谷に渡り照り輝いた…と記されます。

これを谷川健一氏は、「野だたらの炉の炎が空をこがしているありさまを叙したものではないだろうか」としています。

今でこそ私の中では当たり前のこととなりましたが、初めてこの部分に目を通した時の衝撃は今も鮮やかに。また初めて「野だたら」というものを頭に描いた瞬間だったかもしれません。

「野だたらが栄えたころには、夜はその火釜の火が真っ赤に闇を照らして、山火事の折の炎のように、三里も四里も遠くから望見できたとされている」と。

紀の説話には下照比売の歌が続きます。
━━天なるや 弟棚機の 頸がせる(うながせる) 玉の美統(みすまる)の 穴玉はや み谷二谷渡らす 味耜高彦根━━

歌はもう一首あり、合わせて「夷曲(ひなぶり)」と言います。これを谷川健一氏は、「鍛冶氏族である美濃不破郡の伊福部氏がうたった作業歌だと考えられぬこともない」としています。

ん…どうなんでしょうかね…
確かに不破郡には伊富岐神社があり、「伊福部氏」の拠点であったのでしょうが、味耜高彦根命と「伊福部氏」との繋がりが見出だせない…

「喪山」についてはもう一箇所の候補地があり、そちらは30kmほどは離れた地。仮に不破郡の方だとすれば、「二丘二谷」は「伊福部氏」が「野だたら」をしていた所となるのでしょうが…。
ただいかんせん味耜高彦根命と「伊福部氏」との繋がりが見出だせない…。

そして最後に吉野裕氏の「風土記世界の鉄王神話」より。

「稲妻のごとき白熱光で鉄(あるいはガラス)を溶かす熔鉱炉を支配する者の表現」と記しているとのこと。谷川健一氏はこれに同意しています。「雷神」信仰が生まれる原因ということでしょう。

伊富岐神社の社前から撮影。奥の山の方で「野だたら」の炎が闇を照らしていたのでしょうか。




今回はここまで。

味耜高彦根命については、まだまだ勉強の至らない神。次に出雲へ向かう時はその足跡を巡拝しようかと考えています。

再び出雲へむかえる日がくるのかどうか…なのですが。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。