籠神社 「葵祭」の太刀振り
*画像は「海の京都」さんより







◆ 丹後の原像
【79.「丹後史料叢書」 ~「丹後舊事記」 24】







丹後へ向かえぬまま
早くも9月を過ぎようとしています。

何があろうと、年末までには丹後へ!

豊受大神に御礼無しで一年は終えられない!



【読み下し文】
一、丹後守俊綱朝臣
後拾遺和歌集に曰く俊綱丹後守にて侍る頃 破國領事祭の使にて藤の花をかざして侍りけるを見てよめる
 千歳ふる 君かかさせる 藤の花
  まつにかゝれる 心地こそすれ
今も此祭有り四月中午日なり一宮籠守大明神なり


【大意】
一、丹後守俊綱朝臣
「後拾遺和歌集」に曰く、橘俊綱が丹後守であった頃、「破國領事祭」(?)の使者を見て読む歌
 (和歌の意訳は下部にて)
今もこの祭は四月中の午の日に一ノ宮 籠神社で行われています。


【補足】
つくづく…この「丹後舊事記」の精度の低さに呆れます。正確に言うと写本の精度の低さか。どれをどう信じていいものか。

*「俊綱」とは橘俊綱のことか?
*そうだとしても丹後守にはなっていない。
*橘俊綱の和歌をいくら調べても、ネット上には「千歳ふる…」の歌が見つからない。
*和歌には誤写がある。

大変な時間と手間を取られてしまいました。
嫌になるくらいに。「後拾遺和歌集」なんて全部で1218種も載せられていますし。全て確認しましたが見つからず。どうやら誤写されていることが後に分かりました。

…と愚痴っておきます。

上記4点のいずれかが間違っているのです。
間違い数は複数の可能性が高い。少なくとも「後拾遺和歌集」は間違っていることは判明済み。

◎橘俊綱
藤原頼通の子。橘家の養子に入ったため姓は藤原氏と異なるとのこと。
勅撰和歌集に計12首取り上げられています。自ら歌会を開くなど歌人としても知られますが、後世にまでも名を馳せるような歌は無いように思いますが…。

頼通の子であったためか財力には富んでいたとか。邸宅は豪壮で風流で名高く…笛や笙(しょう)など風流人であったとのこと。
また日本初の造園書「作庭記」の著者ではないかとも言われています。

丹後守を務めたという経歴は見当たりません。丹波守は天喜四年(一〇五六年)に任命されてはいますが。

◎「後拾遺和歌集」
平安時代に編まれた勅撰和歌集「八代集」の一。四番目、応徳三年(1086年)に完成。
この時期、あまりに和歌集が多く編まれたので、佳作レベルの作品も多いようです。

◎「破國領事祭」
よく分かりかねます。おそらく誤写なのでしょうけど。「丹波國○事祭」???

◎和歌の訳
先ずこの和歌は「良暹」という者の作のようです。仏教関係者か?
続いて和歌の訂正と意訳を。

━━千歳へむ 君かかさせる 藤の花
   まつにかゝれる 心地こそすれ━━

━━貴女がかざしている長久の年月を経た藤の花は、松に寄りかかっているように見えるのでしょうが、貴女を欠いた今はいつまでも待つしたないのでしょうか━━

大胆に意訳してみました。間違っていたらごめんなさい、先に謝罪しておきます。
「君かかさせる」を「貴女がかざしている」とするなら「君かさせる」となるはず。「か」が一つ多いのです。ということは「君欠かさせる」、つまり「貴女を欠いている」と考えました。そして「まつ」を「松」と「待つ」に語呂合わせしたのではないかと。
歌心に乏しい初老が会心の意訳を放った!…であればいいのですが。

◎「一宮籠守大明神」
「守」は間違い、籠神社のことでしょうね。これだと「子守大明神」、つまり吉野水分神社に端を発する「水分(みくまり)」→「身籠り(みこもり)」→「御子守り」に誤解されかねません。いや…写本した者はすっかり誤解していたようにも思います。

籠神社の「葵大祭」(旧称「藤祭」)
例大祭として四月二十四日に行われる祭。賀茂御祖神社・賀茂別雷神社で行われる京の三大祭の一、「葵祭」の起源とも言われる祭。

公式サイトで「葵大祭」は以下のように示されています。

━━懿徳天皇四年(紀元前507年)に始まったと伝えられ、「藤祭」と称しておりました。欽明天皇の御代に賀茂祭が「葵祭」と称せられるに及んで、當社でも「葵祭」と称されるに至ったと伝えられています。

当神社ともゆかりの深い京都の賀茂社の葵祭では、祭員が冠に葵の葉を付けるのに対し、豊受大神ゆかりの藤の花を挿すのが古例となっております━━


第4代懿徳天皇は2世紀末~3世紀初頭頃でしょうか。「欠史八代」とされていますが、当ブログでは実在した、ただし国王ではないという解釈で進めています。

これを史実とするなら籠神社の方は、京の三大祭の「葵祭」よりも300年ほどは早くから始まったということになります。


手前みそで恐縮ではありますが、かつて「椎根津彦命(倭宿禰)考」という記事の中で、以下を記しました。


━━籠神社の極秘社伝に、彦火明命は賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト)というのがあります。極秘どころか一部に広まっていますが。籠神社側は公にはしていないまでも、海部穀定氏も光彦氏も否定はしていません。但しあまりに突飛なため、このことに関心を寄せる研究者も多くはないのが現状。
賀茂建角身命は八咫烏のこと。賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社、記事未作成)で盛大に祀られていることで知られます。毎年5月15日に行われる「葵祭」が有名。京都三大祭の一つでもっとも大きなもの。京都で「祭」と言えば「葵祭」のことです━━

この真相は確かめようもありませんが、可能性は十分にあると考えています。


「海の京都」さんサイト
冒頭写真をダウンロードさせて頂きました。丹後の魅力たっぷりに紹介されているサイトです(回し者ではありません)。




長くなったので今回はここまで。

愚痴やら、丹後の観光サイトの紹介やら
いろんなものを詰め込みましたが…。


*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。