☆ 岩橋千塚古墳群 
(前山B地区/将軍塚古墳・知事塚古墳・郡長塚古墳等)



紀伊国名草郡
和歌山市岩橋
(アクセスや駐車は → 「紀伊風土記の丘」資料館の記事にて)
(登拝時間は資料館からの最短コースで30分程度)






「岩橋(いわせ)千塚古墳群」の一。
紀国造家一族の古墳群とみられ、一族が祀る日前神宮國懸神宮の東方丘陵地の山頂から麓にかけて斜面一面に、およそ600基(800~900基という資料も)も築かれた古墳群。

「将軍塚古墳」「知事塚古墳」「郡長塚古墳」は、「岩橋前山」山頂(標高150m)付近に築かれた古墳。族長に仕える有力者の古墳とみなされます。

◆将軍塚古墳(前山B53号墳)
全長42.5mの前方後円墳。「岩橋千塚古墳群」内最大の「天王塚古墳」(未拝)、大日山35号墳のおよそ半分程度の大きさ。
命名は大正時代に名草郡長が大雨で顕になった古墳に対応したことから「郡長塚」とし、さらに大きなものをそれぞれ「知事塚」「将軍塚」「天王塚」と命名したと伝わります。
横穴式石室が前方部、後円部にそれぞれ一基ずつ有り。後円部は岩橋型横穴式石室、前方部は石梁無し。現在は後円部のみ石室公開。石室の高さは4.3mと、「岩橋千塚古墳群」内では「天王塚古墳」に次ぐもの。
築造時期は6世紀後半。現在のところ「岩橋千塚古墳群」内で同時期に築かれた中では、「天王塚古墳」に次ぐ規模。そちらを族長のものとするなら、こちらはそれに仕えた者かと。

◆知事塚古墳(前山B67号墳)
全長34.5mの前方後円墳。後円部から石棚を備えた横穴式石室、前方部から竪穴式石室と横穴式石室が見つかっています。いずれも埋め戻されており、石室内見学はできません。築造は6世紀中頃。
命名は大正時代に名草郡長が大雨で顕になった古墳に対応したことから「郡長塚」とし、さらに大きなものをそれぞれ「知事塚」「将軍塚」「天王塚」と命名したと伝わります。

◆郡長塚古墳(前山B112号墳)
全長30.5mの前方後円墳。前方部が小さいため帆立貝形古墳とも。石室は石棚を有する横穴式石室。築造時期は6世紀中頃とのこと。命名された理由は同上。

◆前山B41号・B111号・B109号・B36号墳(移築石室)は、案内板を写した下部写真をもって割愛致します。


山塊の上端(山頂付近)に築かれています。


以下「将軍塚古墳」を(冒頭写真も)。










以下「知事塚古墳」。








以下「郡長塚古墳」。


「前山B41号墳」


「前山B111号墳」


「前山B109号墳」


「前山B36号墳」の移築石室

以下「前山B21・23・24・25号墳」。





*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。