☆ 沼山古墳 (橿原市白橿町)



大和国高市郡
奈良県橿原市白橿町8丁目 (「白橿近隣公園」内)
(P有)



■形状
円墳
■全長
18m
■築造時期
6世紀後半
■埋葬施設
横穴式石室
ドーム状天井
■出土品
装身具(銀製空玉、ガラス製小玉、トンボ玉、金環)、馬具、鉄製品、土師器・須恵器
■周辺の状況
橿原ニュータウン内の独立丘陵
南西側は古墳が密集する「貝吹山」
■被葬者
渡来人のものとみられる



1960年代の住宅ブームの際に大規模開発された「橿原ニュータウン」内の古墳。当古墳を中心に丘陵全体が「白橿近隣公園」として整備されています。

「貝吹山」の北東側に当たる地。
周辺は古墳密集地帯として知られ、南側には与楽乾城古墳与楽鑵子塚古墳、東方には牽牛子塚古墳、北方には小谷古墳など。

南側への「与楽古墳群」へは、現在は相当な迂回を強いられますが、古代は容易にアクセスできたかと思われます。

石室はドーム状天井。高さは4.98m。

これは渡来人のものとみられ、与楽乾城古墳与楽鑵子塚古墳も同様のもの。そちらは東漢氏(ヤマトノアヤウジ)の首長墓ではないかとのこと。当古墳も東漢氏のものとみられています。

東漢氏は応神天皇の御代に朝鮮半島から渡来した阿知使主(アチノオミ)を祖とする氏族。以降相次いで渡来した人々が東漢氏を名乗ったとも。

蘇我氏とは密接な関連を持ち、崇峻天皇暗殺の際には、馬子に命じられた東漢直駒(ヤマトノアタイコマ)が実行役となっています。また政権内の政争にもしばしば顔を出しています。



公園南側の「白橿南コミュニティセンター」前にP有り。

案内がしっかりしているので、その通りに。およそ5分ほど軽く登ります。


側面より。

石室は扉で閉じられています。

隙間から内部を。



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