☆古墳☆ 小谷東古墳


大和国高市郡
奈良県橿原市鳥屋町(南妙法寺町)
(近隣住民になるべく邪魔にならないように停め置きました)

※住所は「小谷古墳」が築かれた「鳥屋町」と思われますが、「南妙法寺町」との境であり不明。

※「橿原ニュータウン」の西端に留め置き、歩いてすぐ。


露になった石室が有名な「小谷古墳」を目指したものの、どうやら間違って「小谷東古墳」の方を拝したようです。

この辺りに「小谷古墳」を中核に、計8基が確認されているようです。「小谷東古墳」は「小谷古墳」の南40~50m辺りに築かれたもの。

「小谷古墳」以外は調査がなされておらず、また案内等も無いため、おそらくは撮った写真の中に数基の古墳が含まれているのだろうと思います。

当地は「貝吹山」の東裾に当たり、南裾には与楽鑵子塚古墳など古墳の密集地。また異なる尾根の東裾には益田岩船が座します。いろいろな想像を掻き立てられる場所。

「小谷古墳」は7世紀の終末期古墳。全長30m程度の方墳(円墳説有り)。

この時期のこの規模のものとしては、大王級になるようです。江戸時代には斎明天皇に治定されていました。

両古墳を合わせて「双方墳」とする説もあるようです。いずれにしても再拝が必用となりました。


「橿原ニュータウン」の西端から。

崩壊がひどく原型は留めていません。



前方後円墳の方墳部のように見えましたが、どうやら違ったようです。

「造り出し」のようにも見受けられます。