☆ 与楽乾城古墳
(ようらくカンジョこふん)



大和国高市郡
奈良県高市郡高取町与楽
(2021年8月現在整備中、駐車場ができると思います、現在は古墳前に停め置き可)


■形状
方墳
■全長
一辺36m
■築造時期
6世紀前半~7世紀末
■埋葬施設
両袖式横穴式石室
■出土品
金銅製耳環、銀製指輪、土師器(ミニチュア炊飯土器含む)、須恵器など
■周辺の状況
「貝吹山」南西麓
与楽古墳群の一
周辺には100基ほどの群集墳有り
■被葬者
東漢氏(ヤマトノアヤウジ)の首長墓か



「貝吹山」の南西、尾根の先端に3基の首長墓と見られる古墳が並び、「与楽(ようらく)古墳群」と称されています。また周辺には100基ほどの群集墳が存在するとのこと。国史指定。

築造年代の古いものから順に

径28m円墳、6世紀後半
◎与楽乾城古墳(当古墳)
一辺36m方墳、6世紀末~7世紀前半
◎寺崎白壁塚古墳(未拝)
東西長20~35m南北20m方台形墳、7世紀前半

墳形は違えど、3基が並び、またはっきりとした類似点もあることから一族のもの、
そして様式から渡来系氏族のものとされているようです。

なお方墳は古墳時代終末期においては首長級のものであったようです。

なぜ同じ一族の古墳が円墳になったり、方墳になったりするのか…それに対する答えは見つけられていません。

ただ単に好みの問題というわけでもないでしょうし…(古墳勉強中素人の素朴な疑問)

*3基すべてから「ミニチュア炊飯土器」が出土していること。
鑵子塚と乾城(当古墳)は「ドーム状石室」であること。

この「ドーム状石室」、高さは5.3mというとてつもないもの(下部写真にて)。県下最大であるとか。

たまたま高くなってしまったというレベルのものではなく、当時の死後の世界観が表された一例なのだろうと思います。

以上から、渡来人の首長墓であるという推論に達しているようです。
そしてこの豪奢な出土品等からみて、東漢氏(ヤマトノアヤウジ)の首長が眠るみていいのかと。

既に整備事業は粗方終わっているようで、古墳周りを整える程度かと思います。

およそ20年ほど前に、近くの飛鳥病院に仕事上の打合せで来ていた時に、この古墳が発見され、発掘調査に入りました。当日は数百人ほどの報道陣やらでごった返していたのが記憶に新しいところ。

今頃になりようやく本格的な整備に入る…奈良らしいかなと。

*写真は2021年8月と2022年6月撮影のものとが混在しています。


「飛鳥病院」がある東西の大きな道路(町道かと思います)からすぐ。手前に写っているのがその道です。


当日は草刈りをなされていました。


古墳はこのように完成時に近いように整備されるべきだと思います。放置され森になってしまっている古墳の多いこと…(特に奈良県)。




漆喰で塗られた棺台。棺は盗掘済み?或いはどこかで移設展示されているのでしょうか。


高さ5.3mのドーム状石室。訪れるとその異様さが伝わります。