☆ 牽牛子塚古墳・越塚御門古墳
(けんごしづかこふん)



大和国高市郡
奈良県高市郡明日香村大字越
(許世都比古命神社のすぐ前に臨時駐車場が設けられており、そこから徒歩5分余り)



■形状
八角墳(三段構成)
■全長
墳丘対辺長22m
■築造時期
7世紀中葉~8世紀初頭
■埋葬施設
横口式石槨
乾漆棺
■出土品
夾紵棺の破片、金銅製棺金具(七宝亀甲形座金具、ハ花文座金具、六花文環座金具など)、玉類(ガラス玉等)、人骨(臼歯)など
*いずれも国の重要文化財
■周辺の状況
明日香村の西端、高取町との境
「貝吹山」の東側尾根の先端
■被葬者
斉明天皇説が有力



2022年3月に整備工事が整い、ほとぼりの冷めた6月に拝したので改定記事を上げます。
(既にたくさんの「いいね」を頂いておりますが)

「飛鳥駅」西側の丘陵地帯に築かれた古墳。飛鳥京からは裏鬼門の位置に当たることから、この辺りに古墳が多く築かれた可能性もあるかと考えています。

発見されているのは数基ですが、まだまだ未開発の地であり、相当数の古墳が隠れているのだろうと考えています。


当古墳は「八角墳」であり、出土品等を鑑みても御陵であるのはほぼ確実。斉明天皇の御陵ということでほぼ間違いないようです。

「八角墳」は古墳時代終末期に限られており、
* 舒明天皇陵(第34・36代)
* 牽牛子塚古墳(当古墳、第35・37代斉明天皇)
* 御廟野古墳(未拝、第38代天智天皇)
* 天武天皇・持統天皇陵(第40・41代)

* 中尾山古墳(第42代文武天皇)

第34代舒明天皇から第42代文武天皇までが「八角墳」。第39代は弘文天皇(大友皇子)は即位していないという説も。また御陵候補墓も多くあり不明。


斉明天皇治定墓は高取町車木の越智崗上陵。残念ながら治定違いだったようです。もちろん宮内庁は頑なに認めませんが。

第37代斉明天皇(第35代皇極天皇が重祚)の事績等については→越智崗上陵の記事にて

石室は二つの墓室がある合葬墓。もう一つは間人皇女のものとされます。

発掘調査中に偶然にも、すぐ側から孫の太田皇女の古墳が発見され(越塚御門古墳)、正式名称が「牽牛子塚古墳・越塚御門古墳」と改称されています。

飛鳥京やその周辺の遺産群の世界遺産登録を狙っており、その一環であるとのこと。

すぐ側で星野リゾートが、大量の古墳等の遺跡を破壊しつつホテル建設を行っています。それを認めてしまった明日香村には甚だ残念に思います。

*写真は2021年8月と2022年6月撮影のものとが混在しています。


案内はとても分かりやすいもの。

「貝吹山」は左背後。













越塚御門古墳の石室。


牽牛子塚古墳から見下ろす越塚御門古墳。