☆ 中尾山古墳
大和国高市郡
奈良県高市郡明日香村平田
(古墳西側の「高松塚壁画館」利用でP無料、東側Pはかなり遠く有料)
■形状
八角墳
■全長
対辺長 19.5m
■築造時期
8世紀初頭
■埋葬施設
横口式石槨
■出土品
沓形石造物、須恵器
■周辺の状況
「国営飛鳥歴史公園」内
*高松塚古墳 → 南150mほど
*文武天皇治定墓 → 南300mほど
*天武・持統天皇陵 → 北500mほど
*キトラ古墳 → 南1kmほど
■被葬者
文武天皇とする説が有力
「国営飛鳥歴史公園」内、高松塚古墳からは徒歩10~15分ほど。
昨年(2020年11月)再調査が行われたのが記憶に新しいところ。未だシートで覆われたままの状態、生々しさが残ります。
調査結果により文武天皇墓説がさらに高まったようです。
まず「八角墳」であることから、
天皇御陵、もしくは準ずる立場の陵墓であることが確実。
また火葬墓であることも論拠の一つ。
持統・文武・元明・元正天皇と四代に渡り火葬され、その後は土葬に戻されています。
一般に火葬は仏式、土葬は神式とされますが、土葬も儒教の影響を受けていると言わざるを得ません。
第42代文武天皇(軽皇子)は、草壁皇子と阿部皇女(元明天皇)との間の御子。
天武天皇の后であった鸕野讃良皇女(持統天皇)が、自らの子に皇位を継承させるため草壁皇子を皇太子に擁立します。
ところが草壁皇子は即位前に薨去。
幼い軽皇子を立太子、そして鸕野讃良皇女自ら持統天皇として即位。
ま…むちゃくちゃなことをしたわけですが。
それでも697年に14歳の若さで軽皇子は即位、
文武天皇となっています。
事績等、主だったものは無し。
大宝元年(701年)に大宝律令が完成、翌年公布されています。これとて完成まで20年かかっており、たまたま文武天皇の御代に完成したもの。