☆ 天武天皇 持統天皇 檜隈大内陵
(ひのくまのおおうちのみささぎ)



大和国高市郡
奈良県高市郡明日香村大字野口
(P有)



「関ヶ原の戦い」が「天下分け目の戦い」と称されますが、古代にはもっと大きな戦いが起こりました。それが「壬申の乱」。

天智天皇の弟大海人皇子と、御子大友皇子が皇位継承を巡り争った、日本史上最大の戦い。大海人皇子が勝利し第40代天武天皇となりました。

その天武天皇とともに戦った鸕野讃良(ウノノササラ)皇后は、夫の崩御後に遺志を引継ぎ第41代持統天皇となりました。

この2代の御世で日本の歴史は大きく変わりました。現在の世の中のあらゆる礎がこの時に作られたと言っても過言ではないかと。

初めての中央集権国家の成立…
記紀の編纂がなされ…

━━日本の統治機構、宗教、歴史、文化の原形が作られた重要な時代━━(Wikiより引用)

神社界においては
神道や各種儀礼等の成立・確立がなされています。古神道が仏教伝来の影響を受け、変革を始めていた時期。天武天皇により、一気に新しい神道が確立されました。

もちろん伊勢神宮が確立されたのもこの時代。

持統天皇は概ね天武天皇の遺志を引継いだものと思われますが、その一言では片付けられないものであったと考えます。
「真の持統女帝」顕彰のテーマ記事にて今後明らかにしていく予定です。

古墳そのものの概要を少々。
「上円下方墳」または「八角墳」という極めて希な形状、もちろん御陵であることが分かります。

丸山古墳が陵墓参考地に指定。かつては両古墳の間で治定を繰り返したようです。そちらは欽明天皇説が有力、当古墳の方も天武・持統天皇説でほぼ間違いないとされます。

*写真は2019年2月と2022年4月撮影のものとが混在しています。







周囲を巡ることが可能。


麓を。