鬼嶽稲荷神社


丹後国加佐郡
京都府福知山市大江町北原小字早谷303-1
(アクセスは下部写真参照)
(雲母が見られる早朝等でなければ、周辺に停め置き可)

■旧社格
村社

■祭神
宇迦之御魂神


鬼退治で名の知れる「大江山(大江山連峰)」。そのうちの最高峰「千丈ヶ嶽」(標高832.5m)の八合目辺り、標高640m辺りに鎮座する社。
◎丹後山地の最高峰である「大江山」。「丹後天橋立大江山国定公園」内。「太陽拝む天空の聖地」などとも形容され、晩秋には雲母と紅葉で知られる観光スポットでも。
また古代より鉱山として知られ、鬼退治はその資源を巡る争奪戦だったのではないかと考えています(参照 → 丹後の原像【「大江山」 3つの鬼退治伝説】)。
◎創建由緒が境内石碑に掲げられています。
━━御鎮座ハ遠ク上古ニ係リ社伝ニ依レバ 開化天皇之王子日子坐命 崇神天皇之朝 青葉山之巣賊土蜘蛛ヲ討伐之途 北原ヲ経テ与謝大山御嶽ニ登リ 神籬ヲ樹テ天神地祇ヲ祭リ祈誓ヲ罩メラレ 神助ヲ得テ遂ニ妖賊ヲ亡シ皇化ヲ布カレ 又其王子但波道主命 四道将軍勅ヲ奉シテ山陰地方スイ撫ノ際 父命之御遺跡ナル当社ニ奉幣祈願セラル 爾来御嶽之神籬ト称シ上下之尊崇ニ厚シ 平安朝ニ降リ丹後之国司在原棟梁屡々参向 社殿ヲ建立シテ御嶽大明神ト崇メラル 一條帝ノ朝 当山ノ一部ニ悪鬼酒顛童子篭窟シ 正歴元年三月 源頼光勅ヲ奉ジテ追討ニ向ヒ当社ニ祈願 神勅ヲ蒙リ悪鬼ヲ誅戮セラレシヨリ朝野挙テ崇敬シ鬼嶽大明神ト尊称スルニ至ル 爾後累代国主ノ崇敬篤ク 殊ニ宮津藩主本荘侯深ク敬仰アリ神号額ヲ揮毫奉納セラル 弘化五年二月伏見稲荷神社ヨリ正一位鬼嶽稲荷大明神ノ神号ヲ贈ラレ 上下遠近之崇敬聚マリ 昭和十一年五月村社ニ昇格 崇敬信徒京阪地方千五百余ニ及ビ神徳愈々顕著也  塩見愛泉識━━
◎これによると日子坐命が崇神天皇の御宇、「青葉山」の土蜘蛛である陸耳御笠を追討、与謝大山御嶽(大江山のこと)に登り、神籬を立てて天神地祇を祀り戦勝祈願をした。そして土蜘蛛を退治。子の丹波道主命が四道将軍として当地に来た際に父の御遺跡である当社に奉幣祈願した。一条天皇の御宇には源頼光が酒顛童子(酒呑童子)追討に。当社にて戦勝祈願し悪鬼を誅したと。これを以て「鬼嶽大明神」と尊称された。
弘化五年(1848年)に伏見稲荷大社より正一位「鬼嶽稲荷大明神」の神号を贈られたと。
◎創祀は日子坐命によるもの。次いで酒呑童子退治の際に「鬼嶽大明神」と称され、江戸末期には伏見稲荷大社より勧請され「鬼嶽稲荷大明神」と称されるようになったとしています。
別の案内板には丹波道主命が神祠を建てたのを以て創建としています。またかつては山頂近くに鎮座していたのを、伏見稲荷大社から勧請の際に現社地に遷座されたとしています。


アクセスは右下の「仏性寺」の方から白い車のイラストの道を通るのが無難。赤い車のイラストの方からアクセスすると、かなりの悪路となります。

雲母は11月頃より。その頃から積雪が始まるようです。




修験道の祠のようです。

中央やや右に「岩戸山(日室ヶ嶽)」が美しく見えています。


「鬼の洞窟」については後ほど記事UPします。