宇波刀神社 (安八郡安八町)
(うばとじんじゃ)


美濃国安八郡
岐阜県安八郡安八町森部373-10
(境内北側に駐車スペース有り)

■延喜式神名帳
宇波刀神社の論社

■旧社格
郷社

■祭神
天照大神
豊受大神
倭姫命
家津御子神


「長良川」の西岸の堤下、「安八郡(あんぱちぐん)安八町」に鎮座する社。同名の宇波刀神社(うわとじんじゃ)が「安八郡神戸町(ごうどちょう)」に鎮座しています。
◎当社は元伊勢「伊久良河宮」の候補地の一。天照大御神の御杖代を奉戴し、鎮座地を求めて各地を巡幸した倭姫命は、大和から伊賀、近江を経て美濃国へ。
「倭姫命世記」には、━━垂仁天皇十年から四年間、倭姫命が天照大神を美濃の伊久良河の宮に祀った。美濃国造や県主は従者・税物・神田・三艘の船などを献上した。また采女として仕えた豪家出身の女官も税物・新田を献上し、その家族からは神事用の土器が献上された (大意)━━とあります。
◎他の候補地は天神神社(瑞穂市居倉)根祭神社(瑞穂市七崎)、神明神社(瑞穂市内宮町)、名木林神社(安八郡安八町)と、当社を含め計5社(神明神社と名木林神社は未参拝)。
◎候補地の一つとされる所以は、所蔵宝物の神鏡の裏面に「伊久良河宮宇波刀神社内宮」とあることから。また慶長九年(1604年)の棟札の中央に「宇波刀神社内宮」、肩書きに「伊久良河宮」とあるとのこと。
◎この元伊勢とされることにまつわり二つの説があるようです。一つは当社が元伊勢として倭姫命に奉斎されていたと考えられること。今一つは、「伊久良河宮」を経った倭姫命が一時的に滞在したのではないかということ。これは少し上流の豊受神社と同様。
◎当社は同名の宇波刀神社(うわとじんじゃ)とともに、式内社 宇波刀神社の論社に挙がっています。これは上述の神鏡や棟札によるものから。
◎この地域は水害が多くたびたび遷座がなされているようです。記録に残るのは慶長八年(1603年)。また川の改修工事などで大正から昭和にかけて計3回移転しています。原初の鎮座地は不明、古記録も消失しているようです。


駐車スペースはこのような感じで裏側に。




千木が折れたまま放置…。