南宮御旅神社・白鬚神社


美濃国不破郡
岐阜県不破郡垂井町府中2506
(南面する「国府跡」の東部分が駐車場)

■旧社格
[南宮御旅神社] 村社

■祭神
[南宮御旅神社] 金山姫命 豊玉姫命 埴山姫命
[白鬚神社] 猿田彦命


南宮大社の御旅所と合祀された白鬚神社。南宮大社よりほぼ真北1km余りに鎮座しています。御旅神社は摂社であり、村社に指定。
◎かつてこの地は美濃国府があったとされる地。境内はその正殿跡にあたるとのこと。
南宮大社は神武天皇の御代に創建され、後に現社地に遷座されたとしていますが、この「古宮」に対しての「南の宮」であることからの社名。そして時代の推移を鑑みるなら、創建は国府跡に創建され、さらに後に遷座されたとみるべきかと。つまり創建は奈良時代以降のことと推されます。
◎「南の宮」であるということに異を呈しているのは谷川健一氏。「梁塵秘抄」に「南宮の本山は、信濃の国とぞうけたばる、さぞまうす。美濃の国には中の宮、伊賀の国にはおさなき、児(ちご)の宮」と記されていると。信濃の国とは諏訪大社の下宮(記事未作成)、伊賀の国とは敢國神社(かつてはそちらの「南宮山」山頂に鎮座)敢國神社南宮大社からの勧請。「中の宮」とあるのは南宮大社が「中山」の地に鎮座することと、かつて「仲山金山彦神社」と称されていたことから。
この3ヶ所がいずれも「南宮」と称されていることから、疑を唱えていいます。ただし代替案は提示していませんが。
◎白鬚神社の創建由緒等は不明。かつては府中の「字葉生」(詳細地は未確認)に鎮座していたのを、昭和三十九年に遷座されてきたとのこと。昭和四十九年には御旅神社の式年遷宮に及び仮殿の敷地が寄進され、拝殿造立の運びとなったようです。
◎遷座理由は「祭儀萬代の為」としています。継続が困難な地に鎮座していたということでしょうか。



大きい方の左殿(向かって右殿)が御旅神社、右手殿は白鬚神社。

白鬚神社にも鳥居が設けられています。



「国府跡」からの出入口。