☆ 美濃国府跡


美濃国不破郡
岐阜県不破郡垂井町府中
(隣接する南宮御旅神社は「府中2506」)
(P有)



「美濃国府」は南宮大社の北方1km余り、現在の南宮御旅神社の南側に隣接してありました。

南宮大社はかつてこの地に創建され、その後現社地に遷座。南宮御旅神社を「古宮」として、「南の宮」であるとしています。
(→異説は南宮御旅神社の記事にて)

南宮御旅神社は国府跡の正殿跡にあります。国府が設けられたために遷座されたのか、国府跡に創建されたのかは不明。

国府はその国の中心地に設けられるのがセオリーでしょうが、当時はこの美濃国の西端の地がもっとも進んでいたということになると思われます。

また「不破の関」に近いことも理由の一つ。
畿内から東国へ抜ける要衝。天武天皇は壬申の乱の際に拠点とし、即位後すぐに関所「不破の関」を設けました。また関ヶ原の戦いの舞台となったのも当地周辺。古代から近世にかけてまでも要衝であり続けました。

美濃国府はその管理という重要な役目も負っていたようです。

余談ではありますが、赴任した国司は通例、正月に一国の守護を願い一ノ宮から順に二ノ宮、三ノ宮…と拝していきます。

一ノ宮はもちろん南宮大社
二ノ宮は西へ2kmほどの伊富岐神社
三ノ宮は南方へ5kmほどの多岐神社(後ほど記事UPします)

すべて近い距離にあり、すべて平地にあったためさぞかし楽だったのでは…と。



この地図を見ると一目瞭然。近江と美濃との間に南北に山地が広がります。東西の青い線は東海道新幹線、谷地を縫って走ります。その谷地が「不破の関」であり「関ヶ原」。国府跡は山脈の際にありました。谷地の北側の山脈南端が「伊吹山」、谷地の南側は鈴鹿山脈。




背後に見えるのは「南宮山」。