飛鳥神社 (奈良市北京終町、京終天神社)


大和国添上郡
奈良市北京終町45
(近隣コインP等利用)

■祭神
事代主神
宇須多岐比女命
不足留比女命(フタルヒメノミコト)
菅原道眞
(※「奈良市史」による)


「奈良町」と称される歴史的な町並みの一つ、「京終(きょうばて)」エリアの密集地内に鎮座する社。通称「京終天神社」。
◎「奈良町」は「きたまち」「ならまち」「京終」の三つの連続したエリアからなります。「京終」とは「京(みやこ)」の「果て」(南側)ということから。近代まではここから南方は田園地帯。
◎昭和二十八年の登記時の添付されたという由緒書には、「養老二年(718年)大和國高市郡飛鳥村の飛鳥神社の御祭神を平城の新都左京四條七坊飛鳥の丘に、南都元興寺の鎮守社として奉遷、鎮祭したことをもって本飛鳥神社の創建となっている」とあるとのこと。飛鳥神社とは飛鳥坐神社のこと。
◎ところが同様に飛鳥から奉遷鎮祭したという、元興寺町の白山神社、西新屋町の率川神社(本子守町の率川神社ではない方)には「元興寺由来」などいくつかの書にその旨が記されるも、当社に関しては記されたものが無いとのこと。
またその由緒書には、文政九年(1826年)に菅原道眞公が勧請されたとしているものの、既に寛永十七年(1640年)の古書などには「京終天神社」とあります。また「左京四條七坊飛鳥の丘」から現社地への遷座の理由や時期は明記されていません。こちらも他資料には記されていません。したがって信憑性に欠ける資料であるかと。
◎現社名となったのは昭和二十八年のこと。その直近の社名は「紅梅殿神社」。由緒ある昔の社名に戻したとしています。
◎ご祭神について、社頭案内板は「明日香三比女命・天之事代主命・加夜奈留美命・宇須多岐比女命・贈太政大臣道眞公」としています。





小さいながらも良く管理の行き届いた美しいお社です。

かつては「紅梅殿神社」と称されていた時期もあります。